04-08 彼らの思惑(1)
「あー、久々によう寝たわー」
と言ってカルラが起きてきたのは、私たちがそろそろ夕食を終えて部屋に戻ろうとしていた頃だった。
私も遅い昼食をとってから少し昼寝をしたとはいえ、ほぼ半日寝ていたカルラはいくらなんでも寝すぎだ。これでは夜に眠れないのでは、と余計な心配をしてしまう。しかもカルラは屋敷に着く前から完全に寝入ってしまったので、着替えてもいない。破れたり汚れたりした服のままだ。
大きなあくびをしながら食堂に入ってきたカルラを見て、フィオネがさっと立ち上がってお辞儀をする。
「はじめまして、キルナス王国で盾の巫女を拝命しております。フィオネと申します」
「おー、うちはカルラや。よろしゅーな、盾のお嬢ちゃん」
カルラは片手を軽く上げてにこりと笑った。
盾のお嬢ちゃん、なんて、相変わらず呼び方が独特だ。普通に名前で呼べばいいのに。
フィオネがレオンとヘイスを紹介したあと、レオンが何か食べ物をもらってくると言って食堂を出ていく。ヘイスも一礼してからそれを追っていった。椅子が五つしかなかったので、私はとりあえず自分の椅子をカルラに勧める。
「ここ、座っていいよ」
「ん? お嬢はどうすんの?」
「いいよ、私は食べ終わったし」
「それでしたら、わたくしの席をお使いください。わたくしは食べ終わっておりますし、皆様にはきっとお話もおありでしょう?」
フィオネが自席の前の皿を片付け始めてくれる。それなら私も片付けるかと、自分の使ったお皿を重ねてフォークとナイフも最後に乗せた。
わたくし共が運びますので座っていてくださいとフィオネに言われ、ちょっと迷ってから、積んだ皿をテーブルの隅に移動するだけにしておいた。高そうな食器を落として割ると怖いので、運んでくれると言うならその言葉に甘えよう。
カルラに自分の席を譲ったので、私はさっきまでフィオネが座っていた椅子に腰を下ろした。
「で、カルラ様。リドーは北の方にいるという話ではなかったのですか?」
ジュリアスが隣に座ったカルラに視線を向ける。カルラは「あーそれなー」と言いながら己の頭を掻いた。
「デマやって。うちが北に行くようにわざと流されたんちゃうかって言われて気になったから、走って来たらホンマに凄いことになっとったな」
「そうですか……できれば、情報が誤りだとわかった時点で連絡を頂きたかったですね」
「おっ、ホンマやな! 忘れとったわ、すまんすまん」
あっけらかんと笑うカルラに、ジュリアスは若干苛立たしげに息を吐いた。
「よく間に合いましたね。カルラ様はアルカディア王国の北方にいらしたのでは?」
「えっ、遠くない!?」
アルカディア王国はフィオデルフィアの北側にある国だ。一方、今いるキルナス王国はフィオデルフィアの南端。間に挟まっている国もある。地上を移動するのにどれくらいかかるものなのか私には感覚がつかめないけれど、かなり遠い、ということだけはわかる。
「せやねん。丸一日くらい、めっちゃ頑張って走ってん」
「馬でも六週間はかかる距離ですが……」
「凄いやろ? 褒めてや。途中で水はちょっと飲んだけど、食べるもんを何も持たずに来てしもてさあ。くったくたやったわ」
それは頑張ったらどうにかなる距離なの? 無茶苦茶だと思ったけれど、カルラだからなと考え直すことにした。しかも丸一日水だけで走り続け、こっちについてからは戦闘続きなんて、よく体力がもったものだ。そりゃ終わったら寝るよね。
「以前、私に休めと仰っていましたが、カルラ様も休みを取られた方がよろしいと思いますよ」
ジュリアスが横目でカルラを見ながらそう言ったけれど、カルラはさして興味もなさそうな声で返している。
「うち、馬車に乗ってる間はずっと休んでるようなもんやで」
馬車で移動している間は暇だというのは私も体験したからわかるけれど、カルラはいつも夜の見張りを引き受けていたし、乗り物に揺られているだけでも疲れはする。私も休みは必要だと思うとジュリアスに同意したら、カルラが困ったような顔で私に視線を返してきた。
「へいへい。まあ、確かにヤマトたちにもたまには里帰りさせたらんとなー。リドーもお嬢のあの炎をまともに食らってすぐには動けへんやろし、今すぐなら時間取れるかもしれん」
カルラの言葉を聞いて私はさっきの戦闘を思い出してしまい、必死で別のことを考える。そうだ今晩は寝る前にどの本を読もうかな。フィオネが追加で本を貸してくれたし、お使いを頼んでおいた本も手に入ったので、まだまだ楽しめそうだ。
「そういえば、今日戦ったあの変な怪物みたいなん、何やったん? やっぱカリュディヒトスの仕業なん?」
せっかく他のことを考えていたのに、カルラがそんなことを言ったせいでまた思い出してしまった。あまりよく見ていなかったけれど、毛玉と白い人形みたいなのがいた気がする。思い出したらだいぶ気持ち悪い見た目をしていた。しまった、なぜ思い出してしまったんだ。夢に出そうだ。今すぐ忘れたい。
「やっぱりってどういうこと……?」
でもカリュディヒトスと言われては気になってしまい、聞き返さずいはいられなかった。
リドーはその怪物を見て「あいつ、変なもん作ったなあ」と言っていたらしい。確かにリドーが〝あいつ〟と呼んだなら、一番に思い付くのはカリュディヒトスだ。
ジュリアスに視線を向けると、ジュリアスは腕を組んだまま顔をカルラに向けている。
「まあ、断言はできませんが、おそらくは」
「リドーの居場所に関するデマもそうなんかなあ?」
「そうでしょうね」
「なんで?」
カルラの問いに、ジュリアスはすぐには答えない。開けっ放しになっている食堂の扉をちらりと見てから口を開いた。
「お二人が寝ている間に、この国の女王陛下と話す機会を得たので聞いてみたのですが……そもそも、今回の会談にあたり、ディアドラ様に来てほしいと依頼した覚えはないそうです。我々からの返事で初めて魔王に娘がいることを知ったと」
「えっ、えっ、どういうこと?」
私は目を瞬きながら身を乗り出す。確かに私の出番は謁見の挨拶くらいで、それ以外はフィオネと仲良く本の話をしていただけだ。カルラが頬杖をつきながら、うーんと唸る。
「そう言われてみれば少年も、お嬢が魔王の娘やってことは報告に上げてないて言うとったな。魔王に娘がいるなんて、なんで人間が知っとったんやろ?」
「んん? 報告って何??」
カルラが少年と言うならたぶんニコルのことなんだろうけれど、報告とは何の話だろう? そういえば以前、お父様とニコルが話をしていた時に、ニコルが上に報告するとか何とか言っていたような気もする。けれどそれをどうしてカルラが知っているんだろう?
「カルラ様の伝手の方が話したのかと思っていましたが、その様子では違いそうですね。当てずっぽうにしては的確すぎますし、女王陛下の指示でないなら、誰かが意図的に改ざんしたと見るべきでしょう。さらに言えば、事前の書簡のやり取りに際し、我々の提案を受け入れて話し合いの場を持つことに賛成していたはずの大臣たちは、そのことを覚えていないそうですよ」
「えっ、えっ……?」
どうしよう、二人の話についていけない。ジュリアスはずっと涼しい顔をしている。でもカルラに視線を向けてみると、カルラも難しい顔で首をひねっていた。よかった、理解していないのは私だけではなさそうだ。
カルラが言う。
「よーわからん。つまり?」
「全て推測の域を出ませんが」
「それでいい! お願い、一から解説して。私も全然わからない」
ジュリアスをじっと見つめると、ジュリアスはメガネを一度押し上げてから口を開いた。
「では考えてみましょう。仮に、ディアドラ様が滞在中にこの王都が落ちたとします。人間はそれをどう解釈するでしょうね?」
「……魔王の娘の仕業だと思う……?」
私の回答にジュリアスは頷きを返してくる。「いやでも待って?」とカルラが異を唱えた。
「お嬢が来とることって、そんな大々的に知られてるん?」
「いいえ。ですが、ディアドラ様の滞在を知っている国の重鎮をあえて数名生き残らせておけばすむことです。あとはその者たちが勝手に証言してくれます。もともと魔族に反感を持っている者を選んでおけばなおいいですね」
な、なるほど。今回の襲撃ではフィオネが死ななくて良かったというレベルの話ではなく、もっと大きな話だった。
それから、とジュリアスは続ける。
「もう一つ仮定の話として、ディアドラ様がこの国で命を落とされたとします。せっかくですから人間の仕業に見せかけましょう。さて、グリード様はどう反応されるでしょうね」
あまり自分の死を仮定されたくはないけれど、それはさておくとして、お父様の反応かあと私は考えてみる。あれだけ温厚なお父様のことだから、悲しんではくれるだろうけれど、それで終わりじゃないのかな?
カルラは「あー……」と言いながら苦笑した。
「それはあのグリードはんでも怒るわなあ」
「え、そ、そうかな?」
「ええ」
ジュリアスも真顔で頷いている。
そういえば、私がニコルに刃物を突きつけられていた時も、お父様はディアドラの記憶にもないほど怒っているように見えた。それは怖い話だと思う一方で、つい嬉しさを感じて口元が緩んでしまった。
「元々、この国に来る前からその可能性は考えていたのです。ただ、リドーは北にいると伺いましたし、カリュディヒトスの転移魔法でもすぐに移動できる距離ではなさそうだと油断してしました」
はあ、とジュリアスはため息をつく。それを見てカルラが頬を掻いた。
「あれ? うち、連絡忘れんなって責められとる?」
「そう受け取って頂いて結構です。……まあ、嘘の情報であるという可能性を私ももっと大きく見ておくべきでした」
「ごめんってー。次はちゃんと連絡するから」
カルラがジュリアスの方を向いて、手を合わせながら頭を下げた。そんなことを考えていたなら事前に聞きたかった。でも事前に聞かされていたらこんなに無邪気にフィオネと仲良くはなれなかったかもしれない、と思い直して文句を言うのはやめた。
「リドーとカリュディヒトスは元々この国にいたってこと?」
私が首を傾げると、ジュリアスは頷いた。
「リドーがもともと王都内にいたのか、あの時になってカリュディヒトスが転移させてきたのかはわかりません。が、カリュディヒトスだけは随分前からこの国に潜伏していたはずです。そうでなければ、書簡の改ざんなどできるはずがありません。大臣たちが覚えていないと言っている件もそうでしょう。それに、最後にリドーを転移させたタイミングがよすぎたことを考えても、彼は我々の戦いが見える場所にいたと思われます」
「な、なるほど……」
「それから最初の質問の、あれらの怪物についてですが、カリュディヒトスは戦力の補充を試みようとしているのではないかと。魔族は元々数が少ない上、カルラ様や人間に少しずつ減らされています。代替の戦力は必要でしょう」
ほう……、と、私は若干唖然としながら頷いた。推測の域を出ないとジュリアスは前置きしていたけれど、どこにも矛盾を見つけられないので妙な説得力がある。ジュリアスの説明には淀みがない。きっと私やカルラが寝ている間に全部考え終わっていたんだろう。
ジュリアスが続ける。
「おそらく、カリュディヒトスの誤算は二つ。一つはカルラ様が間に合ったこと。もう一つは、ディアドラ様がリドーを圧倒できるほど強くなっていたこと、でしょう」
ジュリアスとカルラが私を見る。二人の視線から逃げるように目をそらすと、カルラが「うち、間に合って偉いやろ? やっぱ褒めてや」と笑いながらジュリアスを見た。
「連絡を忘れた件と相殺ですよ」
「坊んの評価は厳しいなあ」
カルラがわざとらしくしょんぼりして見せ、「そんで、カリュディヒトスはまだこの国におるんかな?」と話題を変えてくれた。ジュリアスはカルラを見返して首を傾げる。
「国内にいる者全てを魔力の見える聖職者に確認させた方が良い、と女王に進言はしました。が、私がカリュディヒトスならリドーと共に国外に転移して仕切り直しますね」
「ふうん」
ジュリアスがそう言うのなら、きっとカリュディヒトスがこの国に残っている可能性は限りなく低いのだろう。それならばこれ以上フィオネに害が及ぶことはなさそうだ。ほっと息を吐いた私の向かいでカルラが頬杖をついた。
「転移なあ……うち、カリュディヒトスが転移魔法使えるっていうの、いまだに納得いかんのやけど。あのおじいちゃん、そんな優秀やったっけ?」
カルラが不満げな顔で言う。ジュリアスがそれに視線を返した。















