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一、独立人(インディーズ)

 頭上できしむ音がして水滴が額にかかった。一歩横に避けながら見上げる。電柱に貼り付けられた監視カメラがカバーの中でがたつきながらこちらを追いかけていた。昨夜の雨水がその揺れに伴って垂れてくる。空は青い。青い蓋だった。


「片倉さんですね。こんにちは」その電柱の向かいの家の玄関から太った男が呼びかけてきた。

「こんにちは」片倉は仕事用の笑顔を浮かべてそちらへ行く。

「どうぞ中へ」太った男は分厚いドアを開け、片倉を通した。


「時間通りですね。すぐ分かりましたか」

 男は長い廊下を先導しながら言った。家の中はきれいに片付いており、所々に輪の中に梅を配した家紋が掲げてあった。

「ええ。ここらへんはあまり変わりませんね。昔の地図データが使えます」

 片倉は愛想よく返事をした。

「古い地区ですから。皆変化には慎重です」

 男は同じ調子で返した。


 通された和室には木の香りが漂っていた。男は座布団を勧めると一礼して去った。足音が遠ざかる。

 室内は明るい。障子が日光を和らげ、散らしていた。


 しばらくして二人分の足音がすると先程の男が障子を開けた。ゆったりとした和服の老人が入ってきて上座についた。


「ようこそいらっしゃいました。木下です。『偃武修文(えんぶしゅうぶん)会』の代表を務めております」

 しわがれてはいるが、しっかりとした声だった。

 片倉は手をついて頭を下げる。

「どうか、お上げください。足もお楽にどうぞ」

 木下は太った男に向かってうなずく。男は部屋を出て障子を閉めたが足音はしなかった。


「本日はお忙しいところお時間を頂きありがとうございます。改めまして、私は片倉渉(かたくらわたる)と申します。この度は『東陽坂組織連合』代表の代理人として参りました」

 頭を上げて挨拶した。老人は袂から巻いた端末を取り出して拡げた。

「ご用件は伺っております。浄水場ですね」

 画面を見ながら言い、片倉はうなずいた。


「単刀直入に行きましょう。我々の利益は? ここには良質の水とありますが、それだけですか」

「大切です。良い水が確実に得られる。これは『それだけ』と言ってしまえるようなものではありません」

「しかし、我々からすれば微々たる利益でしょう。水など他から入手するのは容易です。私の組織は今でもそれなりの繋がりと力があります」

「承知しております。木下様がお持ちの『繋がり』と『力』は一般とは異なるものでしょう。しかし、それに頼り切ってしまうのは不安が大きすぎるのではないでしょうか」


 木下が眉を上げたが、片倉は続ける。


「すぐに夏です。失礼ながら、安全な水を確実に手に入れるには心もとないと結論致しましたがいかがでしょう」

「はっきりおっしゃいますな。なるほど私が若い頃のような勢いはないかも知れませんが、これまでもそうだったように、これからも水程度で他の組織と交わる必要はないと考えております」


 片倉は木下が膝元に置いた端末を指差した。


「そちらにお知らせ致しました通り、夏は長く厳しくなっております。降水量は増えていますが、処理施設は限られており、処理量は横ばい、あるいは保守の行き届かなくなった施設の運用停止により減少傾向にあります。我々『東陽坂組織連合』は今のうちに必要量を確保すべく行動を開始しております。木下様の組織にもご参加頂けないでしょうか」

「十組織、三十五名で間違いないですか。東陽坂の規模は」

「はい。現在は。他にも交渉中があり、全て加われば木下様の組織も含めて十五組織、六十五名になります」

「我々は警備力を提供するのですな。水の代償として」

「はい。木下様の組織の構成員はそのような技能と経験をお持ちです。他の組織はそれぞれの技能、特性や実績に合わせて技術や事務を担当します」


 木下は端末に指を滑らせた。表示が切り替わる。


「浄水場そのものは確保できているのですか。今は周辺の数百組織、約五千人に供給しているのでしょう? 東陽坂だけで支配できるのですか」

 目を画面に落としたまま言った。片倉は即返事をする。

「我々にも『力』があります」

 端末から片倉に目を移したが、木下の口は閉じられたままだった。

「他の組織と異なり、我々は技術者集団です。浄水場の機器の維持補修、それと人工知能の保守管理も可能な人員が揃っており、教育訓練も施せます。これまでも管理は我々が中心となって行ってきました」

「それで、いよいよ他組織より優位に立ちたいと、そういうおつもりですか」

「組織間の均衡を大きく崩そうとまでは考えていません。上下水以外は他組織に頼る部分があるわけですから。しかしながら、何かの時のために『力』を持っておくのは悪くないだろうと考えた次第です」

「私たちに何ができます? 警備なら他組織でもいいでしょう。頭数があればなんとかなるのでは?」


 片倉は首を振って木下の顔を見た。老人はかすかに笑っていた。


「いいえ、警備は片手間にできる業務ではありません。それなりのノウハウが必要です。そして、木下様の組織は長年に渡りそうした知識を蓄え、実践されてきたと理解しております」

「お褒め頂いたと考えてよろしいですかな。確かに我々はそうした活動を長く続けてきました。それこそ大分裂以前から」

「そのお力を持ってご参加頂けませんか」

「考えておきましょう」

「ありがとうございます。お考えを変えて下さったのですね」


 木下は手を打った。少しして茶が運ばれてきた。礼をして片倉が一口すすると、外からさえずりが聞こえてきた。


「良い季節ですな」

 また二人だけになると、木下が端末を巻いて片付けながら言った。片倉はうなずいて返事をする。

「ええ、冬と夏の間はいいですね。ほんの二、三週間しかないのがもったいない」

 茶碗の花を眺める。この季節の花だった。

「『春』とは言わないのですな。若いお方は」

「そうですね。知識としては知っていますが、実感できません。『秋』もそうです。ただの暴風雨シーズンですから」

「ここらあたりは豪雪地帯と言われていたんですよ。私の小さい頃は」

「降水量は増えているんですが、今は雨がほとんどですからね」


「お代わりはいかがです?」

 片倉の返事を待たずに木下自ら注いだ。手には染みと血管が浮き、縮緬のような皺が寄っていたが震えてはいなかった。

「これは恐縮です。頂きます」


 木下は片倉がうまそうに茶をすするのを見て言う。


「ところで個人的な質問をよろしいですか。いや、この件にも少しは関わるかな」


 それから両手で茶碗を持ち、流れるような動作で飲んだ。片倉は目でうなずいた。


「立ち入ってお伺いしますが、片倉さん、あなたはなんですか。この件でどのような利益を得るのですか。我々とおっしゃっていたが、あなた自身は東陽坂の人間ではないでしょう」


 片倉は茶碗を置き、膝に手を置いて答える。


「私は、そうですね、おっしゃる通りどのような組織にも所属していません。俗に言う独立人(インディーズ)です。こうした組織間の交渉事を得意にしています。利益としては私も同じで安全な水です。その入手の権利を得ます。株ですね」

独立人(インディーズ)。聞いた事はありますが、私のような年寄りには良く分からない。組織や集団から離れて生きていけるのですか」

「いいえ。『独立』とついていますが山奥で自給自足しているのではありませんから。所属しない、というだけですよ」

「そうはおっしゃるが大変でしょう。例えば身の安全を誰が保障してくれるのですか」

「誰も。しかし、組織間の力が均衡する点をたどっていれば手を出そうとする者はいません」

「想像もつかない。難しそうだ。それになぜわざわざそんな立場に自らを置くのですか」


 片倉は年の割に白さを残している老人の目を見た。


「自分が自分の主人でいられるからです」


 木下は若者の黒い瞳を見た。


「それはうらやましい」


 二人は障子を通した柔らかい日光に浸されている。

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