第四話 喪失―ロスト―
この作品は作者が舞氏のHP、「ARCADIA」と自分のHP「たわごと御殿」に掲載しているものを再度投稿したものです。
昔、死を大いなる眠り、眠りを小さな死と表現した哲学者がいる。
我が種族において、その言葉は比喩ではなく単なる事実に過ぎない。
夜の眷属は百年に一度、長く深い眠りにつく。
休眠期は短くて数ヶ月間、長ければ数十年間に渡ることもある。
その間、我々は呼吸や鼓動はもちろんのこと、夢をみることすらない。
そして、眠りから覚める事は死からの蘇生に等しい。
黄泉のまどろみから目覚めた時、私は何か大事なものが自分の魂から抜けて落ちていることに気付いた。夜族は覚醒するたびに生まれ変わり、必ず何かを失っている。
だが、私の長い闇の人生において、かつてこれほどの喪失感を味わったことがあっただろうか?
自分が何を亡くしたのか思い出そうとしたが、なぜか上手くいかない。
まあ、仕方がない……。
何を失ったのかは後で他人に、例えば妻辺りに確認すれば済む話だ。
さし当たって私にはもっと急を要する用事がある。
イングランドのストーンヘンジの中に置かれた私の寝床に何者かが急接近しているのだ。
地を伝わる振動から私は、訪問者がオートバイに騎乗していることを知った。
二輪駆動は馬のような優美さなど欠片もない無粋な乗り物だが、その速度だけはどんな駿馬も叶わない。
そしてまた、大地の囁きは私に二輪の騎手が重武装していることを教えてくれた。
深夜のこんな時間に、武器を携えて私の寝所を訪れるものなど一つしかない。
魔狩人めが、一体どうやって我が寝床の場所と目覚めの時を知ったのだ?
不躾な訪問だが、奴はちょうど良い時に現れた。
この胸の開いた虚無を埋めるため、喜んで怒りと戦意の杯を傾けよう。
私は長い間横たわっていた石棺から身を起こし、裸足の足で大地の上に足った。
上半身を一ゆすりして、体の形を解し始める。
もとより、我ら血族は生物と言うよりも大地の霊に近い存在だ。
肉体は仮初の器に過ぎず、私ほど年経た血族ともなればもはや人の形に捕らわれることもない。
私は黒い霞に姿を変えて大地の中に染み込んだ。
一筋の光もない闇の中を手探りし、ついに地の骨のように一本筋の通った霊脈を見つけ出した。
私はその霊脈にそっと身を寄せて詠いかけた。
「おお、地の底に眠るフォモールの勇者よ。独眼王バロールの戦士達よ。いさおしを歌って目覚め、斧を取って舞うがいい」
イングランド人はストーンヘンジを『石巨人の踊り』と称したことがある。
誰が考えた呼称かは分からないが、今ここにそいつが要れば自分の言葉が正しかった事に気付かされただろう。
起立する巨石の一つが中に舞い、別の巨石がそれを追って空中で合体する。
他の巨石も次々に浮き上がり、たちまちの内に逞しい腰、強靭な腕、そして力強い足を携えた六体の石巨人たちが姿を表した。
戦士の一体が巨大な斧を振るって、狩人を迎え撃つ。
七メートルの高さから振り下ろした一撃は、オートバイを瞬時に鉄くずの山に変えた。
だがその時、狩人の姿は既に石の戦士の頭とほぼ同じ高さにあった。
その人間離れした跳躍力から、私は狩人が我らと人間の混血児、ダンピールであると確信した。
外套を閃かせて、ダンピールを銀の輝きを放つ得物を抜いた。
またしても、お馴染みの聖別した武器か?
私はクリスチャンではないし、フォモールの戦士たちはキリスト教そのものよりも遥か昔から存在していたのだ。
私たちのどちらにも十字架や聖水など効きはしない!
だが、私の予想に反して狩人が取り出したのは教会の聖別された武器ではなかった。
それは妖精の金属である銀でできた鎖だった。
鎖を構成する輪の一つ一つに太古から伝わる秘文字、ルーンが刻み込まれていた。
狩人が腕を振るうと、鎖はまるで命を得たように手近に立っていた巨人の一体に巻きついた。
体の一部が強引に引き千切られたような不快感が私を襲った。
地の奥から召喚した石の戦士の一体が敵に奪い取られたのだ!
こやつ、私と同じドルイド魔術の使い手かっ?
しかも、私の召喚術を上書きする程の術者とはな。
今では途絶えて久しいドルイドの業をこやつは一体誰から習ったのだ?
狩人は岩でできた頭に着地すると、さらに銀の鎖を使って信じられないような速さで巨人を操った。狩人の巨人が目にも止まらぬ速さで斧を二回振り下ろすと、二体の巨人があっという間に斬られてただの岩に戻った。
私は四方から囲い込むように残った巨人を狩人にけしかけた。
すると、狩人を乗せた巨人は四方から襲われる前に驚くべき身軽さで飛び上がり、一度宙返りをして岩の戦士たちの背後に降り立った。
私の巨人たちは無様にもぶつかり、もつれあって何も出来なくなったところで狩人の巨人に滅多切りにされた。
最後に狩人は自分の操っていた巨人から飛び降った。
手に持っていた鎖を束ねて長大な剣に変え、最後の巨人を頭から股間まで一刀で両断した。
これで私が召喚した巨人は全部いなくなってしまった。
しかし、問題はない!
狩人が着地する瞬間、私は再び実体化して奴に襲い掛かった。
奴は身近にいきなり現れた私に驚いたようだったが、巨人を倒すために鎖を伸ばしきっていたせいで反撃をすることは出来なかった。
「ははは、油断したな! 鎖のような武器は伸びきった瞬間が一番あぶないと教えてやっただろうっ?」
ん……待てよ。
教えてやった、とはどう言うことだ。
「……さん、……てください」
私は前にこいつに会ったことがあるのか?
そういえば、どこか顔に見覚えがあるような―――。
「父さん、いい加減目を覚ましてください! 何時まで、寝ぼけているんですかっ?」
ローマの剣闘士のようにがっつりと組み合っている狩人の声で私は我に返った。
相手の顔を良く見ようと目を凝らす。
「デビット? おまえ、デビットなのか?」
「ええ、そうですよ。忘れたんですか? 今度目を覚ました時は、寝ぼけて大暴れするかもしれない。だから、早めに起こしに来てくれと言ったのは父さんですよっ?」
「おお、そうだったな息子よ! 片時もお前の事を忘れた事はないぞ!」
「嘘をつきなさい。今、頼み事ごとまるっと忘れたじゃないですか……」
「違う! 私は忘れていたんじゃない! ちょっとお前の顔と名前が一致しなかっただけだ!」
ぬう、デビットの奴め!
今、実の父親をボケ老人を見るような目で見おったな!
私は別に認知症にかかったわけじゃないぞ。
我ら吸血鬼は人間と同じように休眠期の間、記憶の整理をするのだ。
ただ、私たちは生きている時間が桁違いに長いせいで、時に百年単位で辛かった記憶や悲しかった思い出が行方不明になることがある。
例えその記憶がどんなに大切なものであっても、だ。
どうやら、今回の眠りで私はかなりダイナミックに記憶を亡くしたらしい。
こう言う時は妻に話を聞くに限る。
私の妻、ヘレンは優れた記憶力の持ち主だ。
彼女に聞けば、眠っている間に何を忘れたのかすぐに分かるだろう。
「さあ、父さん。早く家に帰りましょう。妻と娘も父さんの帰りを待っているんですよ」
「……それは良いがデビット。実はちょっと母さんに聞きたいことがあるんだ。彼女は今どこにいるんだね?」
デビットは悲しみと痛みが複雑に入り混じった表情で私を見ながら言った。
「忘れたのかい、父さん。母さんはもう十年も前に亡くなったんだよ……」