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第二話 鮮血の美食家―ストレンジ・グルメ―

この作品は作者が舞氏のHP、「ARCADIA」と自分のHP「たわごと御殿」に掲載しているものを再度投稿したものです。

 静かな緊張が漲る部屋の中で私は、じっと『奴』の襲撃を待ち構えていた。

 締め切った部屋は蒸し暑いが、空気を入れ替えるわけにはいかない。

 家の窓や扉にはニンニクの花や聖餅を使った結界が、幾重にも施してある。

 名のある妖魔でも容易には突破できない。

 魔狩人として培った二十年以上の経験を活かした会心の防壁だった。

 私の背後には美しい未亡人が期待と恐怖の入り交じった目で私を見ている。

 それにしても今回は運が良かった。

 もし婦人が胡散臭い私の経歴に理解を示すような人じゃなかったら、もし『奴ら』が仲間に獲物の占有を告知するためのマーキングを先に発見する事ができなかったら……。

 私はもっと厳しい戦いを強いられていただろう。

 そして、生まれたばかりの無垢な命が一つ失われていたかもしれない。

 私の今回の敵は悍ましくも風変わりな美食家だった。

 有り触れた処女の血に飽きたのか、奴はとんでもない珍味に手を出そうとしたのだ。

 未亡人の傍らから小さな声が上がった。

 ミルクの香が漂ってきそうな甘く幼い声。

 生後三ヶ月になったばかりの赤子が銀の鎖に守られた寝床の中から母親に抱擁を求めていた。

 まだ生まれて間もないと言うのに天使のように愛らしい女の子だった。

 思わず目元が綻ぶのを感じながら、私は例え自分の命と引き換えにしてもこの子を守り抜こうと固く心に誓った。

 重々しい音が響く、壁にかけた年代ものの時計が逢魔ヶ刻の到来を知らせた。

 加齢で残り少なくなった体毛が一本ずつ逆立っていくのを感じた。

 鍛え上げた狩人の直感が私に警告する。


 『奴』がついにやって来たのだっ!


 地響きをあげて、何か巨大なものが家の前に止まった。

 緊張の極地にあった未亡人が、押し殺した悲鳴をあげる。

 私は恐る恐る窓に近づき、外を覗いた。

 そして家の前に鎮座しているものを見た時、不覚にも驚きの声をあげてしまった。

 大昔の夜族たちは馬車を愛用していたが、最近の奴らは大型のダンプカーで獲物の家の前に乗り付けるのが流行らしい。

 ダンプカーの運転席から滑稽なほど優雅な仕草で誰かが降りてきた。

 頭頂から爪先まで真っ黒な影に塗りつぶされた体の中で、鋭い牙だけが月明りを反射して白く輝いている。

 私たちの抵抗を嘲笑うか、妖魔め!

 私は急いで部屋の中央に引き返し、銀の鏃を備えた連射式クロスボーを構えた。

 がさがさと爪が家の壁を引っかく音がする。

 さらに拳で屋根を叩く音が、聞こえてきた。

『ここか? ここであるか?』

 しばらくして隙がないと分かったのか、這い回る音は屋根から北面の壁へと降りていった。

『それではここか? ここが開いておるのであるか?』

 私の防備は万全だ。

 屋根にも、壁にも、もちろん妖魔の忍び込む隙間はない。

 だが諦めが悪いのか、がさがさと気味の悪い音は絶えず移動を続け、その度に家がぐらぐらと揺れる。まるで巨大なゴキブリのように這い回る妖魔の姿が目に浮ぶようだ。

 赤ん坊がぐずり始め、母親は不安に顔を青ざめた。

 ふいに這い回る音が止まった。

 『奴』が得意げな叫び声をあげた。

『見つけた! 見つけであるぞ! この家の入り口を見つけたである!』

 未亡人は甲高い悲鳴をあげ、赤ん坊を連れて逃げ出そうとした。

 私は銀の鎖を解こうとする彼女を慌てて押し止めた。

「待ちなさい! あそこに『奴』が入り込めるような隙間はない! 今のハッタリだ! 『奴』は私たちが混乱して飛び出すのを待っているんだ」

「本当ですかっ? それは間違いないんですかっ?」

 内心、ほんの僅かな不安を感じていた。

 しかし、私は自分の本音を完璧に押し殺して、自信に満ちた顔で彼女に頷いて見せた。

 息を殺して待ち続ける。

 一秒、二秒、三秒……。

 三十秒を数えても誰かが子供部屋の中に押し込んでくる気配はしない。

 やはり、さっきのは『奴』のハッタリだったのか?

 次の瞬間、未亡人は半分気を失いながら私にしがみ付き、私自身も後少しで悲鳴をあげそうになった。妖魔がその青白い頬を押し付けるように子供部屋の窓に張り付いていたのだ。

 私は手に持ったクロスボーの鏃を『奴』のにやけた顔に向けた。

 息苦しい睨みあいが続く。


 いや、待て……いくら何でも息苦しすぎないか?


 それにあいつは何故、鍵をこじ開ける代わりに粘度で窓の隙間を埋めているんだっ?

 突然、眩暈と一緒にインスピレーションが私を襲った。

 そうか、これは炭素ガスだ! 

 『奴』はあのダンプカーの中に詰まった二酸化炭素をこの家の中に注ぎ込んでいたのだ!

 大気中で一定以上の濃度に達した二酸化炭素は麻酔薬と同じ働きをする。

 傍らの夫人が音もなく崩れ落ちた。

 私も堪えきれずに膝をつく。

 手から滑り落ちたクロスボーが床にぶつかり、弾みで発射された矢が絨毯に穴をあけた。

 全身の力を振り絞って霞み始めた目を窓に向けた。

 『奴』は私たちが無抵抗になったのを確認すると、バールで窓を抉じ開けた。

 そして、高枝切りバサミを改造した道具で私が設置した結界を次々に取り除いていく。

『ははは、良い世の中になったものである。格式、矜持に無駄な面子。つまらぬ諸々に捕らわれねば、ホームセンターで何でも手に入る上、かくも容易に天下の珍味を味わえるのである』

 『奴』の靴がついに子供部屋の絨毯を踏んだ。

 部屋の中にはまだ二酸化炭素が充満しているが、呼吸をしない妖魔が気にするはずもない。

 このままでは、あの子が危ないっと、思った瞬間、奴は赤ん坊のベッドを素通りして私の方に近寄ってきた。

 先に私を片付けてから、食事に移るつもりか!

 しかし、『奴』は無造作に私の体を跨ぐとしどけなく床に横たわる未亡人の隣りで足を止めた。

 しまった!

 私とした事が、『奴』の行動を読み損ねた!

 妖魔の本当の狙いは夫人の方だったのだ!

 そうとも気付かずに私は彼女に最低限の守りしか与えていなかった!

 『奴』は嫌悪に顔をしかめながら、ベンチで婦人の首にかけてあった銀の十字架を取り除いた。

 私は水中で溺れる者のように絨毯の上で暴れた。

 しかし、体の中に染み込んだ二酸化炭素の威力は精神力だけではどうにもならない。

 手足から、力が、抜けて、行く。

 閉じていく、瞼の隙間で私が最後に見たもの。

 それは、服の胸元を大きく開き、無防備に首筋を曝した夫人の上に圧し掛かる『奴』の姿だった。



 ***

 


 翌朝……。

 白々しいほど爽やかな小鳥たちの歌声が私を悪夢から現実の世界に引き戻した。

 目覚めた私を待っていたのは、昨夜の襲撃以上に当惑すべき現状だった。

 赤ん坊はベットの上で穏やかに眠っていた。

 そのすべすべした肌にはもちろん、一つの傷もなかった。

 少し遅れて未亡人も目を覚ました。

 彼女の体にも傷痕は一つもなかった。

 私は聖水などを使って念入りに調べたが、二人とも妖魔に噛まれた痕跡は皆無だった。

 未亡人が入れてくれたコーヒーを飲みながら、私は途方に暮れていた。

 一体あの変な『奴』はあんな大掛かりな道具まで用意して、何をしにこの家に押し入ったのだ?

 睡眠で澄み切った頭をいくら動かしても答えが出なかった。

 突然、小さな悲鳴が私の耳に飛び込んだ。

 振り返ると未亡人が目を覚ましたばかりの赤ん坊に乳首を含ませていた。

 私の視線を感じた途端、彼女は顔を赤らめて

「あ、あのすみません。何故か赤ちゃんのおっぱいが出なくて、驚いてつい声をあげてしまったんです。一体どうしたのかしら? いつもは痛いほどたくさんお乳が出るのに、どうして今日だけ……」

 その時、天啓が稲妻のように私の頭を打ち据えた!

 ああ、そうか。

 ああ、格式や矜持に捕らわれないとはそういう意味だったのか。

 あの変な吸血鬼は、私の予想通り、いや私の想像を超えて遥かに美食家グルメだったのだ。


「そう言えば、母乳の成分は、血とほとんど同じだったなぁ……」

 

 椅子の上で脱力し尽くしながら、私は呆然と朝日に向かって呟いた。



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