なぜ映像に飽きたのか?
なぜ映像に飽きたのか?
ずっと疑問に思っている
わたしはいまでも映画が好きなつもりだし、頻繁に見てもいるが、その大半は二十世紀に作られたものだ
最近の映画にほとんど興味を持てない
昔の好きな作品を見返すか、まだ見たことのなかった白黒の名作を見たりするか、そんなのばかりだ
好きな監督の近作なら見るが、なぜその監督が好きかといえば、それはその監督の昔の作品が好きだからであって、最近の映画への興味とは言い難い
テレビはドラマもバラエティー番組も見るだけで癇に障るから見ない
演出も様式もそこに映される価値観も何から何まで不快感しかないから出来るだけ見ない
ゲームはいまでも好きだし、ゲームのグラフィックは作品にとってとても大切な要素だが、そこには必ずプレイヤーの操作や介入が考慮されており、その余白と可能性が他の映像とは異なる魅力を放っている
また、それに伴ってゲームの実況動画もよく見るが、ラジオのような感覚で見ており、声が主で映像は従という認識だったりする
遊べるような余白のない、情報を伝達するだけの動画は、呆れるほど苦痛で五分の動画すら最後まで集中力が持たないので、文字だけで伝えてくれた方がよほどありがたいし、手早く済む
見ることを強要される広告としての映像には、ストレスしか感じたことがないし、そこで宣伝される商品や映される演者に悪感情すら抱くことがある
スマホに細切れに流れてくる戦場で撮られた凄惨な映像は、それとはまた別のストレス、それとはまた別のおぞましい現実を届けてくれる
こうして考えてみると、わたしと映像との関係は、悪化するばかりだ
きっと、感性が現在から落ちこぼれてしまったのだろう
なぜ映像に飽きたのか?
どうでもいいような、わたし個人の問題だが
今夜も昔の映画を見ながら、なにが変わってしまったのか、ずっと疑問に苛まれている