浮舟の拒絶
源氏物語を読み終えてしまった
少し嬉しくて、少し寂しい
読書にはジャストミートする時期があると
大江健三郎が言っていたっけ
本には出会うべき時がある
でも、それにいたるまでの、空振りやファウルに終わる読書にも意義はあると
自分にとって、ジャストミートだったかはわからないけど
いま読むことが出来てよかった
とても面白く、とても退屈だった
でもこの退屈は、可能性のある退屈だ
聖書やバッハと同じだ
退屈が含まれない作品の、どれほどつまらなく、色褪せることの早いことか
とりわけ好きな巻は、「御法」と「幻」の二巻だった
前者は死んでいく者の眼から世界を眺め、後者は死に後れた者の眼から世界を眺める
源氏物語を読んでいると、これは死に憑かれた物語だな、という印象を一面では受ける
これを書いた人は、死にたいと心底願ったことがある人なんだなあ、と
勝手にそう考えてしまうような、独自の死の感触がある
死にたいと願って、入水したかと思われて、ある意味では死んで、ある意味では甦って、この世にふたたび生まれたような、浮舟
死ぬことによって、自分自身の意志を手に入れたかのように、あらゆる甘言を拒むようになる浮舟
彼女の拒絶で物語は終わる
おびただしい数の歌が登場してきたこの物語、あらゆる感情を歌に詠み、歌を詠まれたら歌で返すのが作法のようなこの世界で、返歌も返事も拒否する浮舟
この拒絶に出会うために、この長い物語を辿ってきたのか
なんて清々しい
魂の自由の
先触れとしての拒絶




