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ヴォネガットが弁護したセリーヌ

「わたしは実際、ひとりの人間の偉大さに――彼が自己探求の過程で見いだした善に――触れていた。そういうことなのです。セリーヌはもはやこの世の人ではありません。わたしは彼の善良な部分を愛します」


(『ヴォネガット、大いに語る』飛田茂雄訳)


 昨日、セリーヌの『なしくずしの死』を読み終えた。素晴らしい小説だった。吐瀉物をそのままぶちまけたような支離滅裂な文体と、ぐずぐずな構成。それでも、そこから伝わる痛切さは、地の底から届いた叫びのようで、稀有なものだった。でも、セリーヌは差別的な言葉をまきちらした人でもあった。反ユダヤ主義者で、ナチ同調者の、戦争犯罪人だった。関係ないが、猫を愛した作家でもあった。カート・ヴォネガットはたびたびセリーヌについて語り、小説作品に込められた慈しみと、差別的なパンフレットに表れた愚かさの、その落差に戸惑いながら、なんとか弁護しようと試みた。セリーヌの、汚物と罵倒と死体まみれの作品に漂う、独特の優しさを。


 ヴォネガットは、こんなことも言っている。


「この図書館にある本とフィルムとレコードとテープと写真とは、実生活においてはしばしば多くの点で軽蔑すべき人々の、最善の部分から生まれたものです」


 わたしは彼の善良な部分を愛します――なぜ人は、善良な部分だけでは成り立たないのか? ぼくも愛したかった。でもその善良な部分は、他人の傷と痛みを踏みにじることでしか成り立たなかったのか?


 唾棄すべき暗い影を見ずに、こころおきなく愛せたら、どれだけよかったことだろう。

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