広告に対して
広告に対して
あなたは真剣になれるだろうか?
ネットを開いて目の端をよぎっていく広告
テレビに垂れ流されるコマーシャル
壁にべたべたと貼られたポスター
わたしはそれらを
他人がどういうふうに考えどういうふうに処理しているのか
気になるときがある
大半の広告を
わたしは無視している
あるいは愚劣なものだと蔑んでいる
肯定的な気持ちになれる広告などごくわずかだ
それらひとつひとつに真剣に向き合うとしたら
わたしはそれがどれだけの嫌悪感と吐気をわたしに催させるかをいちいち事細かに言い立てて
末代まで祟るような勢いで怒りをぶちまけつづけることも可能だろう
でもそうしない
そうすることに意味を見出だせない
そうした場合の疲れに見合うなにかがあるとは思えない
わたしは無視し、蔑みながら遠ざかり、わたしを広告から切り離す
わたしはこの慣習を病的なものだと思っている
広告を受け入れることも、無視することも、なにかに蝕まれているような感覚がある
わたしは大半の広告に対して真剣に向き合わない
そして真剣にならないことに慣れてしまう
そのことにどうしようもない怒りを感じるときがある




