あいつには近づくな。
季節外れの転入生の噂話は、学校中に広まっていった。
揺れる金髪が天使の様だと、女の子達は言った。なにが天使なものか。あいつは悪魔の化身だと、ぼくは女の子達にそう言ってやりたかったけど、言えるはずがなかった。
深い緑色をしたあいつの目は、女の子達の心をワシ掴みにしていて、あいつが一言話す度に、女の子達の口からはため息が漏れた。
「こんなのって、ありなのか!」
ティムが休み時間にぼくを捕まえて言った。
「えっ、何が?」
「あいつの事だよ。あいつだけ、なんであんなにモテるんだよ!」ティムがぼくに向かってまくしたてた。
「なんでだろうな。ティムも女の子達にモテたいの?」ぼくが言うと、ティムは「んなぁ訳ないだろ。俺にはお前がいるからいいんだよ」とぼくに言った。
ティムは時々女の子みたいな事を言う。
ぼくはティムの親友であり、女の子達よりも大切な存在だと、そう思ってて良いのだろうか。ティムのお喋りはまだ続いていた。
「あいつだけがモテまくるのは、やっぱ気に入らないな」
「なんだよ、やっぱりティムも女の子にモテたいんじゃないか」
「そんなんじゃねーよ。なんか、あいつだけは気に入らない。あいつは......何か異質な感じがするんだ」そう言ってティムは口をつぐんだ。
あいつは、異質なものだとティムはもう一度、ぼくに向かって言った。
とても......異質なものだと──
あいつはまず最初に、学校で一番の人気者であるローラ・キャンベルに近づいた。
ローラは美人で、この学校の全ての男子達に好かれていた。それは、しごく当然の事でローラ程美人で明るくて、性格の良い子はめったにいないからだ。
多分、この学校の全ての男子達は、ローラに恋をしているだろう。
ぼくもそうだ。
ぼくもローラに恋をしている。
もしかしたら、ローラもぼくの事を......
何度かそう思った事もあったけど、ローラをぼく一人だけの彼女にするなんて、それはとても罪な事だった。本心ではそう思ってなくても、その時のぼくは本気でそう考えていた。
ローラはぼくの神経を狂わせてしまうくらいとても、素敵な女の子だったからだ。
長いブロンドの髪はゆるくカールされていて、ローラが微笑むと憂いを含んだくちびるに誰もが触れてみたいという衝動に駆られた。
ローラの瞳の色は青く、どこまでも青い輝きを放っていた。肌は透き通る様になめらかで、美しく......足はすっきりと長くて美しくローラが長い足を組みかえる度に、全ての男子達の目は、ローラの足に釘付けにされた。
こんな素敵な女の子を、あいつが見逃すはずがなかった。
そんなローラの元に、あいつが近づいて行くのをクラスの男子達が気付かないはずもなく全員固唾を飲んで見守った。
その瞬間、男の子達の顔は蒼白となって、静かなため息と共にうなだれた。
とても──ぼくらじゃあいつには敵わないと気付いたからだ。
二人はまさに、お姫様と王子様そのものだった。
二人の姿を見て、ぼくはたじろいだ。
あいつと話すローラの弾んだ声が、ぼくの胸を締めつけた。
ローラの視線が一瞬ぼくを捕えたのが分かった。あいつがぼくの方を〝ちらっ〟と見て口の端をちょっとだけ上げた。
あいつは、何故かぼくだけに挑戦的な態度を示してくる。ある時は挑戦的で、ある時は友好的で......ある時はまるで、ぼくの事を誘っているかの様な視線をなげかけてきた。
そんな時のあいつの目は、あの日のぼくに向けられた〝バリー・スミス〟の目とは似ても似つかない澄んだ綺麗な目をしていた。
バリー・スミス......ぼくが封印した幼い頃の記憶。
幼かったあの日、ぼくはテレビの中でバリーを見つけた。バリーは顔を隠そうともせずに手錠をかけられた両腕を高く上げて何か叫んでいた。
ぼくはテレビの中のバリーの顔を食い入る様にして見ていた。その時、テレビに写ったバリーの目が、ぼくを捕えて笑った。あいつと同じ様に口の端を、ちょっとだけ上げて。
恐怖を感じたぼくは、大きな叫び声を上げた。すぐに叔母のサラが走って来て、ぼくの体を抱きしめた。そして、テレビを消すともう一度ぼくを抱きしめて「大丈夫よ......ジェイ。もう怖くないわ。バリー・スミスは捕まったのよ」と言ってきかせた。
ぼくの家族はサラ叔母さんだけだった......
もう随分昔の事なのに、つい昨日の事の様に思いだされた。あの時テレビの中からぼくを捕えたバリー・スミスの目は、狙った獲物を捕えようとしている獣の目と同じだった。
あいつの目もバリー・スミスと同じで、狙った獲物を捕えようとする時の獣の目をしている。
ぼくはさしずめ、狙われた小動物......
あいつの目は狂ってると思った。
あいつには関わるんじゃない。
あいつは得体が知れない。
あいつには近づくんじゃない。
ぼくの直感が、そう叫んでいた。
ぼくの直感がはずれた事は、今まで一度だってないんだから......
『ジェイミー。お前の直感を信じろ』
あいつには近づくなと、ぼくは何度も心の中で言い続けた。そうだ、ローラにもこの事を知らせなくちゃ。でも......どうやって。
ローラに〝あいつは危険な奴だから近づくな〟って、そう言うつもりなのか!?
そんなの無理だ。
ティムなら......信じてくれるだろうけど......ティムなら──
あいつの足音が、ぼくの方へと近づいてくるのが分かった。
あいつが言った。
「これからもローラと話がしたいんだけど、きみに許可をもらった方が良い?」
ローラの笑う声が、ぼくの耳に突き刺さってくる。
そして、ぼくの心を傷つける──
「変わった人ね。私はまだ誰のものでもないわよ」
「それじゃあ、ローラを借りていくね」
あいつはぼくの方を見てそう言った。その後は、クラスの男子達の笑い声が、ぼくの耳の中でこだまして、ぼくは恥ずかしさと嫌悪感とで目眩を起こしそうだった。
その数日後──
ぼくはローラが泣きながら、廊下を駆け出していく姿を目撃した。あいつと何かあったに違いない。
ローラの事を想うと、ぼくは夜も眠れない程の強烈な不安に襲われた。
更に数日後──
校庭の、ちょうど死角になっている木々の間に立っている二人を、ぼくは目撃した。
ローラの右手が、あいつの左頬を平手打ちした。ぼくは茫然とそれを見ていた。
ローラの綺麗な顔は......流した大粒の涙で輝いて......余計に綺麗に見えた。
「きみはいつまでそこに突っ立ってるつもり?そんな暇があったら、彼女の後を追いかけて涙を拭いてあげた方が良いよ」
あいつは遠くで見ていたぼくに話しかけてきた。そして、気が付くとぼくはあいつのすぐ目の前に立っていた。
いつの間に────
最初に会ったあの時と同じだ。
ぼくはまた、あの時と同じ様に......気が付くとあいつの目の前にいた。けどぼくには、あいつの前まで歩いて行った記憶がまったくなかった......
あの時と、まったく同じだ。目の端には、傷つきながら走り去る、ローラの姿が見えた。
でもぼくは、あいつから目が離せなくて、その場に立ち尽くしていた。
あいつはぼくの目をじっと見つめた後、〝ふっ〟と笑った。
「きみは......〝大人になんてなりたくない〟って思った事はない?」
あいつの目がぼくの目の奥を覗きこんできた。
「大人になんか、なりたくないと......そう思った事があるよね?」
そう言ったあいつの目は、ぼくの目を捕えて離さない。
......あるけど......とぼくは呟いた。
「誰だって一度位、そう思った事はあるだろ。でも今は違う......ぼく達は、必ず大人になるんだから」
「きみの考えは間違っている」
あいつは、目の前に垂れている木の枝を力強い音と共にへし折って、ぼくの前に差し出した。ぼくの心は一瞬ドキッとして、止まったかの様に思えた。
「誰だって大人になれるなんて......本気でそう思ってるの?」
そう言ってあいつは笑った。
「きみのお兄さんは、きみの三つ違いのお兄さんは大人になる事が出来たの?」
瞬間、ぼくの腕は、あいつの顔に向かってグーでパンチを繰り出していた。
ぼくの握りしめた拳は、あいつの顔に届いたはずなのに......あいつはまるで空気みたいで──
空振りしたのか......?
ぼくの拳は宙をさ迷って、行き場をなくしていた。あいつが口の端を上げて笑うのが見えた。
──あいつは何故知っている──
ぼくが六歳の時に、兄さんは死んでしまった......ぼくの兄さんは大人になる事が出来なかった。あいつは、何故知っているんだ......
あいつは何故、その事を知っている。
ぼくの心は、あいつに対する怒りと恐怖に支配されて震えた......今にも気を失いそうな気分だ......
その時、ぼくの名前を呼ぶティムの声が聞こえてきた。
「よおっジェイ。こんな所で何してんだ?」
ティムの声が遠くで聞こえる。
ぼくが倒れ込もうとした瞬間に、ティムの腕がぼくの体を抱きとめた。