季節外れの転入生
初めてあいつを見た時、ぼくは、突き刺す様な視線と、冷たくてどこまでも深い緑色をした目を見て、
一瞬で悟った......
あいつは得体が知れない。
あいつには気を付けないと、厄介な事に巻き込まれてしまうぞ......て。
ぼくの直感はとても良く当たる。
ぼくは、ぼくの直感を信じて十三歳の誕生日を迎えるこの日まで、無事に生きてこられた。
あいつは季節外れの転入生として、ぼくと同じクラスへやって来た。あいつの姿を公園で見かけてから、二日後の事だった。
これは......ただの偶然なんだろうかそれとも......
ティムに早くこの事を知らせなくてはそう思った時、急に胸の動悸が激しくなって、冷や汗が出てきた。
どうしたんだろう......
こんなことって初めてだ。
ぼくは、どうしてあいつに怯えてるんだ?
あいつが危険なのは分かってるけど、でもどうしてぼくは、こんなに怯えている。
ぼくは突然の目眩に襲われて、イスから転がり落ちた。
気が付くとぼくは、保健室のベッドの上で寝ていた。ぼくは気を失っていたのか......?
でももう、そんなに気分も悪くないし、少ししたら教室に戻ろう。それとも今日はこのまま、具合が悪いって事にして、家に帰ってしまおうか......
......ぼくはなんでこんな事を考えてるんだろう。あいつが......ぼくと同じクラスに転入して来たってだけで、何を動揺してるんだ。
その時、女の子の(多分)足音がぼくのベッドの方へ近づいてきた。
ローラ・キャンベルの立てる足音に似ている。この足音は......きっとローラのだ。
「はぁい、ジェイミー」
「やあ、ローラ......」ぼくはローラに向かって微笑んだ。
「もう大丈夫なの?」
ローラが近づくといい匂いがした。
「ああもうすっかり、この通りさ」
「ジェイミーまだ顔色が悪いわ。でも元気そうで安心した」
そう言ってローラが、ぼくに顔を近づけてきた。うつむいたローラの、ブロンドが揺れてぼくの頬に触れた。
ローラはぼくのおでこに〝キス〟をして、それから〝にこっ〟と笑った。
ぼくは照れ笑いを浮かべながら「おでこにキスだなんてママみたいだな」と言うと、ローラがまたにこっと笑った。
ぼくは、この瞬間、世界中の誰よりもローラの事が好きになっていた。
「もう教室に戻れるよ。ローラ」
「だめよジェイミー」
「どうして?」
「だって、もう授業が終わって帰る時間だから」ローラはそう言って、片目をつぶった。
「ティムが来たのにも気付かないなんてジェイミーったら、ほんと良く寝てたわね」
「ティムが来てたの?」
「ええ。声をかけても貴方が起きないから、心配したティムが先生にジェイを病院に連れて行けって騒いで、大変だったの。でもその騒ぎの最中でも、貴方は目を覚まさなかったわ。まるで眠り姫みたいにね」
ローラは、一気に喋ったせいで胸が苦しそうだった。
ローラの胸は、ピンク色のセーターの下で、いつもより早い速度で鼓動を刻んでいる。
ぼくはうっとりしながら、ローラを見つめた。ローラ......
きみはなんて美しいんだ......
「じゃあ、また明日ねジェイミー」ローラは微笑みながら部屋を出て行った。
ちょっと気を失っただけだと思ってた。なのにティムが来た事にも気付かないなんて......
ぼくはどうしてしまったんだろう......いいようのない不安に襲われて、胸を押さえながらドアの方に目をやると、ティムの姿が見えた。
ティムがドアを開けて入って来た。
「よお、ジェイ。やっと目覚めたな」
「うん、まあそうだけど......」
もう大丈夫なのかと言いながら、ティムはぼくの側に近寄って来た。すると突然にぼくのシャツの襟をひっぱり、首筋に目を凝らした。
「いきなりなんだよ。ぼくの首筋に噛まれた牙の痕でも付いてた?」
「ああ......付いてた」
ティムはそう言ってぼくから目をそらした。ぼくは唖然とした顔でティムを凝視した。
「そんな訳ないだろジェイ」冗談に決まってるだろと言ったティムの口元はゆがんでいた。
「ティム。鏡を持ってきてよ。自分で確かめるから」
「ジェイ......何も付いてないよ。吸血鬼なんかがほんとにいるわけないだろ」
ティムの顔は怯えている様に見えた。
「じゃあなんで、あんな事したんだ」
「さっき、この部屋にコウモリが......入ってくのを見たんだ。だから......」
ティムの言葉に〝ギクッ〟として、ぼくの体が強ばるのを感じた。
ぼくは深呼吸してからティムに言った。
「コウモリが入ってくのを見たって言ったけど、本当は外を飛んでただけなんじゃないのかティム?」
「......そうだな、そうかもしれない」
ティムはぼくの為に、仕方なくそう答えた様に思えた。そう言ってからもティムの黒い瞳が、何か変わった事はないかと、油断なく部屋中を見回している。
「ジェイ、この話はもうやめよう」
「お前が先に言いだしたんじゃないか」
ぼくはちょっとだけムッとして言い返した。
その後、ぼくはベッドの上で考えていた。もし、ティムの言った通りなら────
あいつは────
あいつは............
ベッドから出る気配のないぼくを見かねて「もう帰る時間だぜ」とティムが言った。
ティムに急かされて、ぼくはのろのろと帰り支度を始めた。
ティムと一緒の帰り道、ぼくはずっとあの時の事を考えていた。保健室に運ばれてからずっと、一人で寝ていた時の事を。
夢も(多分)見なかった。ローラとティムの他にも、誰か保健室に入って来た人がいたんだろうか。
あいつは!?
ぼくの手は、無意識に首筋に触れていた。それに気付いたティムが言った。
「ごめんジェイ......さっきは驚かして。なんか首筋に小さな傷跡が見えた様な気がしてさ。でもきっと見間違いだから、心配するなよ」
ぼくを安心させようとして言ったティムの言葉は、逆にぼくに恐怖を植えつけた。
首筋には、噛まれた跡があったんだ......だからティムは、あんな顔をしたんだ。
ぼくは急に気分が悪くなって、その場に座りこんだ。
「ジェイ!どうした?!」
ティムのぼくを呼ぶ声が......近くにいるはずのティムの声が遠くで聞こえる。
そしてあいつの声が......ぼくの耳元で囁いている。
──きみの一番大切にしているものは──
あいつの声が......ぼくの耳元で囁いた。
ぼくの......一番大切にしているもの......
それは......
──それは?──とあいつの声が言った。
......ローラ......
──ローラか──
あいつの声は満足そうに、そう呟いた。
──きみはローラを選んだ。ローラは魅力的だ。そして刺激的だ。
ティムとの友情よりもずっと、魅力的で刺激的だ──
あいつが大人びた声でぼくに囁いた。
そんなんじゃない。
ティムはティムなんだ。
ローラとは別なんだ。ティムはぼくにとって、とても大切な友達。そう......ティムはぼくにとって、大切な友達。大切な友達なんだ。
「ジェイ......ジェイ大丈夫か!?」
ティムの心配そうな顔がぼくの顔を覗きこんでいる。
「うん、大丈夫だ......ティム」
ティムはぼくの顔を見て安心したのか、嬉しそうな笑顔を見せた。
「そうか。じゃあ、早く家に帰ろうぜ」
ぼくは〝あいつ〟の声を無視して歩き出した。ティムと二人、肩を並べて家路へと。