見知らぬ少年
公園にあるベンチの端っこに、あいつは一人で座っていた。
あいつの姿を一目見た瞬間に、ぼくの体は強く震えた。気付くと、ぼくはあいつの目の前に立っていた。
──いつの間に?
ぼく自身にはあいつの前まで歩いて行った覚えが(記憶が)まったくなかった。
でも、とても寒い日だったのは覚えている。なのにあいつは、コートも羽織らず「気持ちいい風だね」とぼくに話しかけてきた。
とても......大人びた声をしていた。
ぼくの声は凍りついて、沈黙を守った。
「きみは......この寒さで凍りついてしまった様な顔をしているね」
そう言った時の、ぼくを見つめたあいつの目が、ぼくを過去へと引き戻して行った──
ぼくは......こんな目をしている男を、一人だけ知っている。ぼくが今よりもっと小さかった頃の事だ。
男の名前はバリー・スミス。バリーは道ですれ違った男を殺して、ポリスに捕まった。自分を見た男の目が気に入らなかったからというそれだけの理由で、バリーは男が死ぬまで殴り続けた。ぼくとティムは、バリーが人殺しをする七日前に道で出くわしていた。
バリーは不機嫌そうな顔をしながら、ぼくとティムに向かって歩いて来ていた。
ティムがこっそりと、ぼくに合図をよこした。しかし、バリーはそれを目ざとく見つけた。ぼくとティムはその場で凍りつき、直立不動でその場に突っ立っていた。
近づいてきたバリーの視線が、ティムの足元に注がれているのが分かった。バリーは「にやっ」と嫌な笑いを浮かべティムの肩に手を置くと「よお、しょんべん小僧」と言って立ち去った。
隣でティムの息づかいが聞こえてきた。ぼくはこっそりとティムの足元に目をやった。
そこには、小さな水たまりが出来ていた。ティムはぼくを見ると「よっ。しょんべん小僧」と情けない声で言った。
冷たい風が、公園の中を吹き抜けていった。
「いつまでにらめっこを続けるつもり」とあいつが言った。あいつの言葉で我に返ったぼくは、激しく波打つ心臓の音を聞きながら、一歩後ずさった。
あいつの目が、ぼくを捕えて離さない。
この威圧感は......一体何なんだ......
とても子供のものとは思えない。その時、あいつの視線がぼくを通り越して後ろからやって来たティムの方へと向けられた。
ティムはジェイ!とぼくを呼んで、サッカーボールを蹴ろうとしていた。それに気付いたぼくは、ありったけの声で「来るなティム!」と叫んだ。
ティムはぼくの声を聞くと、その場に立ち止まり、ぼくに向かって大きく両手を振ってみせた。
「彼はきみの事を、とても信頼しているんだね」あいつが言った。
ぼくはゆっくりとティムの所へ歩いて行った。そして、右腕でボールを抱えこむと左腕でティムの腕をつかみ「あいつは危険だ......」と耳元で囁いた。
ティムは「ニッ」と笑って、親指を立てるとベンチに座っているあいつに向かって、親指をぐいっと下げた。
「走れ!ティム」ぼくは叫んだ。
ぼく達は全力で公園の外へと走り出した。公園からだいぶ離れた辺りで、ぼく達は二人して座り込み、ハァハァと息を吐き続けた。ティムの茶褐色の髪が、汗で額に貼りついている。
「でぇ?ジェイ、一体あいつは誰なんだ」ティムが訊いてきた。
「分からない......ぼくの勘だけど、あいつは危険な奴だって、そう思ったのさ」
「お前の勘は当たるからなぁ」そう言いながら、ティムは上着の襟を体に引き寄せて寒そうに身震いした。
火照った体が冷たい風でみるみる冷えていった。
「フード付きのジャケットにすれば良かった」そう呟きながらティムは歩き始めた。
ぼくはティムほど寒がりじゃなかったので首に巻いたグレーのマフラーをはずしてティムに渡した。
ティムはとても嬉しそうな顔でマフラーを首に巻いてみせた。
「こんな寒い日だってのに、上着も着ないで一人でベンチに座ってる奴なんて、
なんか気味悪いよな」ティムが言った。ぼくはティムの顔を見つめて頷いた。
「あいつと......なんか話をしたのか」ティムがぼくの方に顔を向けてくる。
「なんでそんな事訊くんだ」
「いゃ別に。意味なんてないけど......」
ティムはそう言って、唇をちょとだけ尖らせた。
「あいつ、俺達と同じ年位かな?」
「............」ぼくは何も答えずに歩き続けた。
風が何度も体にぶつかってきた。さっきよりも冷たく感じる風に、ぼくは身を震わせた。その時、何かが(風の音が......?)耳元で囁いた。
────きみを迎えにきたよ────
『あいつの声だ』ぼくはとっさに、後ろを振り向いた。
「ジェイ?どうかしたのか」ティムが立ち止まってぼくを見ている。
「ううん、なんでもない......」
────きみを迎えにきたよ────
まただ......あいつの声が聞こえる......あいつの声が......ぼくに囁きかけてくる......
「なぁジェイ。あいつなんか妙な感じがしたよな。見た目は俺達と同じ子供なのにさなんでだろうな」
「......ああ、そうだな」
ぼくはティムの問いかけに上の空で答えた。風の音が静かになり、そしてあいつの声も......消えた。
あぁ、良かった......もうあの囁き声は聞こえてこない。
あれはきっと......木々が風に揺れて、風が囁いていただけなのだろう。
「あいつ、見た目は俺達と変わんないのになんでだろうな。なんか引っかかるんだよな......」
ティムはまだ、あいつの事を詮索していた。
「俺、何が変かって気がついたよ」ティムが得意そうな顔でそう言うなり、ぼく達は顔を見合わせて、同じ言葉を口にした。
「あいつ、見た目は完璧な子供。だけど中身は完璧な大人」
それってなんかおかしいよなと言って、ぼく達は笑った。
「あいつは、どっからどう見ても十二歳位にしか見えないってのに、こんな事を考えてる俺達の方が変なのかな」と言ってぼくとティムは更に笑った。
そして、何がそんなにおかしいのかも分からないまま、ぼく達は笑い続けた。
その時、突然頭上を突風が吹きぬけて──
ぼく達の笑い声をかき消した。
「楽しそうだね。何か面白い事でもあったの」
「!!」
ぼく達の目の前に、あいつが立っていた。
ぼく達は、ワァーーッとか、ギャーーッとかそんな叫び声を上げながら駆け出していた。
ぼくは駆け出しながら、ちらっと後ろを振り向いた。けれど、あいつの姿はもぅ、そこにはなかった。
あいつ......どこに消えたんだろう?
一匹のコウモリが、森へ向かって飛び立った。
「あ、コウモリだ!」
ぼくとティムは、コウモリが飛んで行く姿を目で追っていた。
「森へ向かったのかな?」ティムが言った。
コウモリは森の中に吸い込まれて、姿を消した。
「吸血鬼って......コウモリに化けられるんだろ?あのコウモリ、あいつだったりして」
ティムはそう言って、ニヤッと笑みを浮かべた。
「何だよそれ!ティムの話は唐突過ぎてついていけないよ」
ぼくはわざと大きな声を出した。
忍び寄る不安を打ち消す様に......