闇の中でうごめくもの
暗闇の中で何かがうごめいている。
ジョニーはカーテンを開けて、暗闇に目を凝らした。すると一羽のコウモリが飛び立つ姿が目に入った。
「コウモリには気を付けろって、父さんが言ってたっけ......」
ジョニーは身震いをすると、急いでカーテンを閉めて、ベッドまで戻っていった。
────ひっそりと、静まりかえる闇の中で、何かがうごめき葉の生い茂る木の下まで来ると、急に止まった。リアンが灯りのともる二階の窓を見上げている。
リアンは暫く闇の中で静かに佇んでいた。そして、ジェイに囁きかけた。
────ジェイ、窓を開けてぼくを中に入れてくれないか──
ジェイは焦点の定まらない目をしながら窓に近づいて行き、そしてカーテンを開けた。
窓の下で、リアンがジェイに微笑みかけた。ジェイはぎこちない動きで窓を開けると、虚ろな目つきで闇を見つめた。
ジェイがベッドに戻ると同時に、リアンが窓から入って来た。
「ジェイ......きみに会いたかった」リアンがジェイの首筋に手をかけて囁いた。
「きみは知ってた?ぼくの血は人の成長を止める事が出来るんだよ......ぼくの血は特別なんだ......」
ジェイの首筋に置かれた小さな手が、首筋にかかった髪の毛をそっと押しのけた。
「きみはもう......これ以上大人になる事はない......」
リアンはジェイの耳元で囁いた。
ナイフで傷つけたリアンの手首から血がにじみ出ている。リアンは流れ出る血をジェイの口に落とした。
落とされたリアンの血がゆっくりと吸い込まれていった。
ジェイの体はリアンに身を任せたままでじっと動かない──
もうすぐきみは......ぼくとひとつになる......
......さぁ......ジェイ......行こう......
......ぼくとネバーランドへ......
リアンの声はジェイの全身を、魂を支配していた。その時、部屋のドアが静かに開かれた。
「父さん......まだ起きてるの?」
少しだけ開けたドアに手をかけながら、ジョニーは部屋の中に父親の姿を捜した。
リアンは血の流れる手首をジェイから離すと、赤く燃え上がる目でジョニーの視線を捕えたままジェイの体から離れた。
「......リアン......?!」
叫びそうになる気持ちを必死で抑えながらジョニーはもう一度「......リアンなの?」と訊いた。
リアンの瞳は、もう赤く燃えてはいなかった。
「ジョニーきみは、寝てるかと思ってた」
リアンの鋭い視線に捕えられ、ジョニーの体は小刻みに震え始めた。
「......リアン?リアンなの?!」
......リアンじゃない......
リアンによく似てるけど......リアンじゃない。......父さんの言ってた......あいつだ。
......あいつ............だ......
恐怖で声を出せないジョニーの元へ、リアンがやって来て「ふっ」と口の端で笑った。
恐怖で凍りついたジョニーの瞳から、リアンが目を離した途端、ジョニーはその場に倒れ込んだ。
木の葉がカサコソと耳元で音を立てながら、ジェイの体に落ちてくる。木の葉は体中を覆い隠し、埋め尽くされた木の葉の中から差し出されたジェイの手を、あいつの手が掴んだ。
あいつの顔をしたリアンは、ジェイの手を取り自分の元へと引き寄せ、耳元で囁いた。
......やっと......会えたね......
......待っていたよ
......きみの事を
......ずっと......待っていたよ
ジェイは木の葉の中ではなく、ベッドの上で目を覚ました。
「......夢だったのか......」
ベッドの上で身を起こしたジェイは、部屋のあちこちに散らばった木の葉に目をやった。木の葉は少しだけ開いた窓の隙間から、風に運ばれて入って来たらしい。ジェイは窓から身を乗り出して、庭中を見渡した。
「窓は閉めたはずなのに......まさか」
リアンの気配を感じたジェイは、胸を押さえこむと苦しげな声を上げた。そのまま床に膝をつき、ジェイはうずくまった。
「......ジョニー......」ジェイは苦しい息の下でジョニーの名前を呼んだ。
木の葉が風に舞いながら部屋へと入り込み、うずくまるジェイの足に触れた。窓の下で佇む、あいつの顔がジェイの脳裏をよぎった。強い風が部屋へと入り込み木の葉がジェイの肩に降り注いだ。
リアンが......あいつが......この部屋に入って来た............
「......ジョニー......ジョニーは無事なのか......?」
ジェイは胸を押さえながら、ドアの近くまでやって来た。その時、ドアの外で控えめなノックの音とジョニーの声が聞こえた。
「父さん、ぼくだよ。まだ寝てるの?」
ジェイは押さえていた胸から手を離すと、呼吸を整えて、そっとドアを開いた。
「おはよう父さん......」
「おはようジョニー......日曜なのに、随分と早起きだな」ジェイは無理やり笑顔を作った。
ジョニーは部屋の窓を食い入るように見つめている。窓から父親へと、視線を戻したジョニーは、父親の顔を見て驚きの声を上げた。
「父さん、大丈夫?どこか具合でも悪いの」
窓が開いてたせいで、風をひいてしまったらしいと言うと、ジョニーは強ばった顔で父親を見てきた。
「父さんが......うっかり窓を閉め忘れてしまったみたいだ」
「ぼく......リアンが、窓から父さんの部屋へ入って来る夢を見たんだ......」
ジョニーの一言は一瞬にして、ジェイを恐怖におとしいれた。震える声を抑え込む様にして、ジェイは訊いた。
「ジョニー......それは......本当に夢だったのか............」私の声は少しだけ震えた。
ジョニーは暫く考えていた。
「うん。夢だよ父さん。だって目が覚めた時ぼくはベッドの中にいて、今、父さんに言った事を思い出したんだから」
「そうか......夢ならいいんだ」
「夢に決まってるよ。父さんてば、時々変な事を言うんだから」ジョニーの顔から笑顔がもれた。
「そうか......父さんは時々変なのか」
「うん、時々だけどね」
ジョニーは無邪気な笑顔を父親に向けてそう言った。
ジョニーあれは......お前の夢なんかじゃない......ジェイの直感がそう言っていた。
ジェイの中にいるジェイの声が、お前の直感を信じろと言っていた。
ジョニーが部屋の中に入ってきた木の葉を、一枚一枚拾い始めた。
ジェイは開いていた窓を閉めてカーテンをひいた。ジョニーの手の中には、数枚の木の葉が握られていた。
......ジョニーは、何故あんな夢を見たんだろう......それとも、夢を見たと思っているだけなんだろうか。ジェイの不安は恐怖と連鎖して心と体を縛りつけてきた。だめだこのままだと......またあの発作が起きてしまう......
「ジョニー......父さんは少しの間ベッドで横になっていたいんだが......朝ご飯は一人で作れるかな......」
「うん、大丈夫。父さんはゆっくり休んでていいよ」
ジョニーは部屋の中で集めた木の葉をテーブルの上に置いて微笑んだ。ジョニーは後ろ手でドアを開け部屋を出て行った。ジェイは一人静かな部屋の中で、ジョニーの立てる小さな足音を聞いていた。
しばらくして、ジェイが下に降りて行くと台所からいい匂いがして来た。
「父さん。朝ご飯にパンケーキを焼いたんだ」
「お前がパンケーキを?」
「そうだよ父さん。ぼくだってパンケーキの作り方くらい知ってるさ」
ジョニーはパンケーキの横に置かれた父親のグラスに、オレンジジュースを注いだ。テーブルの上に置かれたパンケーキとオレンジジュースの入ったグラスを、ジェイは暫く見ていた。その間にジョニーが椅子に座った。
「おいしそうだな」ジェイは椅子に腰かけた。
「うん、おいしいよ。さあ早く食べよう」
「そうだな、ジョニー」
「父さん。オレンジジュースのおかわりが欲しい時は、ぼくに言ってね」
ジェイはパンケーキを一口ほおばった後、ジョニーに言った。
「ジョニー、今日はどうしてそんなに優しいんだ?」
「えっ......」
ジョニーは不意を突かれて口ごもった。ジェイはすかさず「そうか。何か欲しい物があるんだな」と言って笑った。
「えっ......どうして」
ジョニーは上目づかいに父親を見つめた。
「お前は......小さい頃から欲しい物がある時は父さんに優しかったからな」
ジェイが口元に笑みを浮かべながら言った。
「それで、何が欲しいんだ?」
「欲しい物なんて......ないよ」
ジョニーはそう言って、パンケーキを口に運んだ。
「本当に何も欲しくないのか?」
ジェイはパンケーキを食べるのを止めて、ジョニーの顔をじっと見つめた。ジョニーはうつむいたままで、落ち着かなげに足を揺らし始めた。
「......欲しい物はないけど......一つだけ、父さんにお願いがあるんだ」
ジェイは、青ざめた顔をジョニーに向けて言った。
「......リアンの事か......」
ジョニーが足を揺らすのを止めた。
「ジョニー......リアンは駄目だ!」
「父さん......」
「ジョニー......リアンの他に友達はいないのか」
「ぼくは......リアンがいいんだ......」
その言葉に、ジェイの胃袋が食べたばかりのパンケーキを戻しそうになった。
......ジョニー......何故リアンなんだ......何故なんだ
「お前は......リアン以外にも友達を作るべきだと思う......新しい友達が出来たら、その時は友達をいつでも家に連れて来たらいい。約束するよ......ジョニー」
「......リアンがいいんだ......」
ジョニーはうつむいてた顔を上げると、父親を睨みつけた。ジョニーの瞳の奥で揺れ動く炎を見て、ジェイは息子に恨まれた事を知った。
「......ジョニー......」
......ジョニー何故分かってくれないんだ............リアンは......あいつなんだ......
「ジョニー、リアンはあいつなんだ!」
「父さん!」と言ってジョニーは椅子から立ち上がった。ジョニーは、テーブルにしがみつく様にして座っている父親に顔を向けて吐き捨てる様に言った。
「父さん、リアンはリアンだよ。あいつなんかじゃない。ぼくはあいつなんか知らない!もう......父さんの口から、あいつの話なんて聞きたくないよ!」
「ジョニー............」
「父さんは......どうかしてる」
ジョニーの一言は、ジェイを打ちのめした。
「ジョニーお願いだ。父さんの話を......信じてくれ......」ジェイはすがる様に言った。
「もう......いいよ父さん。父さんの話なんて聞きたくない......もう......何も信じられないよ......」
茫然と立ち尽くす父親を残して、ジョニーは二階へ続く階段を登って行った。