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時に逆らう者  作者: 森島小夜
13/20

囁き続ける声

父さんがもう何年も前から、病気と闘っていた事を......ぼくは知らなかった。


父さんの古い友人である医者は、「息子にはまだ知らせないで欲しい......と頼まれていたんだ」とぼくに話した。


父さんは......いつも......いつも......ぼくの事ばかり心配して......なのにぼくは、ぼくは父さんの......病気にも気付かず、自分の事ばかり考えていた。


......ぼくの心は......ぼくの手で引き裂かれて血を流していた。そして......ぼくは再び()()()の声を聞いた。


()()()がぼくの耳元で囁く声を聞いた......



あいつの声が......囁いている......



────さぁジェイ......ぼくと一緒に......

────ぼくと一緒に行こう............


()()()の声は......ぼくの体中を包み込んできた......それは、ぼくが今まで聞いた事のない囁き声だった。


......さぁ、ジェイぼくと一緒に......


あいつの声は、いつまでもぼくの耳元で囁き続けた......




父さんの古い友人である医者は、ぼくの背中にそっと手を触れて言った。

「ジェイミー......何も心配はいらないよ」


医者は、ぼくが大学を卒業するまで面倒を見てくれると言った。父さんに頼まれたんだろうかと、思いながらも、その事を医者に尋ねる事はしなかった。


数年後、ぼくとシンディは結婚した。

その頃サムは、キャシーとは別れていて別の女性と同伴で式に現れた。サムは人の良さが現れた笑顔をぼくに向けて、白い歯を覗かせた。


「ジェイ!シンディ!結婚おめでとう」

「ありがとうサム。来てくれて嬉しいわ」

シンディはサムに、綺麗な笑顔をふりまいていた。


ぼくは「久しぶりだねサム。会えて嬉しいよ」と言ってサムに手を差し出した。

サムはぼくの手を力強く握りしめると「あぁそうだなジェイ。俺も会えて嬉しい」と言いながら、ぼくを窓際まで引っ張っていった。


サムは、ぼくが学生だった頃に感じたあの繊細さと優しさの入り混じった空気を、今でも漂わせていた。



今でもぼくは、サッカーを愛しているんだとサムは言った。サッカーはぼくの命だからなと言って笑った。ぼくはさりげなく、キャシーとの事を訊いてみた。


サムは〝ニヤリ〟とした笑顔を見せて言った。


「キャシーは......飽きっぽい女だったからな。ぼくもすぐに飽きられて......本当は追いかけたかったんだが......そんなのはぼくらしくないだろう......」サムは言った。


「......じゃあ、大学を卒業する前に......キャシーとは別れてたの?」

「あぁ......そうなんだ。あれから何度も、くっついたり離れたりを繰り返してる内に......キャシーはサッカー部のエースとステディな仲になってたって訳さ」

笑って見せたサムの瞳は淋しそうで、淋しそうなサムの瞳の中に、ぼくの顔が写っていた。




翌年ぼく等には、男の子の赤ちゃんが誕生した。

シンディは赤ちゃんに『ジョニー』と名前を付けて母性本能を発揮した。シンディはぼくが想像してた以上に、母親らしい女性(ひと)だった。


そして気がつくと────


シンディの中から、ぼくは消えかかっていた。ぼくとシンディとを繋いでいたのは......ジョニーの父親という鎖だけになっていた。


その頃から......ぼくの中に空虚な穴があき始めた。......それはどんどん大きくなっていった。


ジョニーはとても可愛い赤ん坊だったが......

ジョニーはいつも母親と一緒だった。

母親はいつもジョニーと一緒だった。


ぼくは......孤独に襲われ始めていた──

ぼくは、誰と一緒にいるんだろうか?

ぼくと一緒にいるのは......いつも一緒にいるのは......父さん......とティム......だけ。


ぼくは、いつだって独りぼっちだ。


ぼくの中の孤独が、目を覚ましかけていた。




日曜の午後。偶然街中でサムと出会った。サムは仕事で、この街に来ているのだと話した。

ぼく等は近くにあった店に入り、コーヒーを注文した。


ジェイ、そんなの当たり前だろうとサムが言った。


女は子供が生まれると母親になるんだ。母親になった女は、四六時中、赤ん坊の世話をして、赤ん坊の事ばかりを考える様になる。ジェイお前だって、赤ん坊の父親なんだろ。その内赤ん坊は大きくなって、父親であるお前の事を頼りにする様になる。それまで、待っているんだなジェイ。


サムの話は......いつまでも続いた。

俺だって......実はお前と一緒なんだ......サムは、すがりつく様な目でぼくを見てきた。

ピンキーの奴が......最近ちっともぼくの事を、かまってくれなくて......あいつには、赤ん坊の事しか頭にないんだ......とサムは嘆いた。


「ジェイ。分かるだろう、この気持ち......」

ぼくは無言で頷いた。けれどぼくにはサムのいつ終わるとも分からない話を、聞き続けるだけの体力は、もうどこにも残されていなかった。


ぼくはありもしない用事を、急に思い出したかの様に装ってサムと別れた。


サムと別れたぼくは、街中を抜けて公園へと向かった。公園のベンチに腰かけて暫くの間物思いに浸っていたかった。



公園のベンチには、小さな先客がいた。

ぼくが見てる事に気付いた男の子は、警戒する様子も見せずに、少しだけ笑顔を見せた。


男の子の髪は、天然のカールらしく、細い髪が風に揺れる度、目の周りをくっついたり離れたりしていた。


ぼくは男の子に話しかけようとして近寄った。


「誰か待ってるの?」

男の子は何も答えず、急にもじもじし始めた。男の子は「......お兄ちゃん」と言って、うつむいた。


「お兄さんが、早く迎えに来ると良いね......」

「うん......」

男の子のカールした髪が風に揺れて、風が吹く度男の子の体は、寒そうに震えた。


「お兄さんが迎えに来るまで、ぼくのコートをはおると良いよ。温かくなるから」


ぼくが男の子の後ろから、コートをはおらせ様とした時、一人の少年が目の前から歩いて来るのが見えた。ぼくのコートは、小さな手によって払いのけられた。


「おじさん......コートならもういらないよ。弟はぼくが連れて帰るから」

少年は震えている弟に、家から持って来たらしいジャケットを着せながら、ぼくの方をちらっと見た。


ベンチから立ち上がった男の子は、嬉しそうな笑顔をぼくに向けると、一度だけ手を振った。コートに袖を通しながら、ぼくは帰って行く二人の後姿を暫くの間見ていた。


公園の中を冷たい風が吹き抜けて、ベンチの下にうずくまっていた木の葉をさらい、空へと舞い上げた。何かの気配を感じてぼくは、後ろを振り向いた。



目の前に......少年(あいつ)がいた。

()()()は......ベンチの端っこに一人で座ってぼくを見ていた。



()()()だ!

ぼくは心の中で叫んだ。


()()()が......ぼくの目の前にいる......昔と......何一つ変わらない姿をして────


少年のままの姿で......ベンチの端に腰かけて冷たい視線を投げかけている。



あいつだ────

あいつが......ぼくの目の前にいる............


ぼくは気を失いかけてその場にうずくまった。


ティム......あいつだ......

あいつだティム......

あいつが......ここにいる............


ぼくは......ティムに助けを求めていた────




冷たい風が吹き抜けて、地面に落ちた木の葉を空へと追いやった。

ぼくはゆっくりと立ち上がった。顔を上げて、少年(あいつ)が座っているベンチへ目を向けた。


そこに少年(あいつ)の姿はなかった。


ぼくには......わかっていた......

少年(あいつ)は、はじめからそこには......いなかったんだと......

公園から立ち去ろうとしたぼくの背後で、何かが動いて羽ばたいた。


......コウモリ......〝コウモリだ──〟


ぼくは一瞬にして恐怖に捕らわれた────

......コウモリが現れた......あいつはやはり、ここにいたんだ......

()()()はまだ諦めてはいない............

諦めちゃいないんだ────


何度もその言葉を呟きながら、ぼくは恐怖に駆られてその場から逃げ出した。




()()()危険だ!少年(あいつ)がいる!


ぼくは家に帰るなり、シンディに言った。ここじゃない別の場所に住むべきだと。

ジョニーの為にも、ここよりもっと環境の良い場所に引越しするのが良いとシンディを促した。


ジョニーの為にと言われたシンディは、早速新しい住居を見つけてきた。そこは申し分なく環境の良い場所だったが────


ぼくは近くの公園を通る度、不安になってあいつの事を思い出した。

あいつの影に怯えた......




三度目の引っ越しを切り出した時、シンディは突然声を荒げて、ぼくの言葉を遮った。


「ジェイ。いい加減にして!環境の良い所って......これで三度目よ。分かってるの?」

ぼくは何も言えずに、シンディの顔を見つめた。


「ジェイ、ここはとても良い所だわ。私ここに来て初めて、ジョニーの事を相談できる友達が出来たの。だから、もう引っ越しはしないわ。絶対に......!」

「......シンディ......」


ぼくは項垂れたまま何も言えなかった。もう引っ越しはしないと言うシンディの言葉を聞いてから、ぼくは不安な毎日を送っていた。


()()()から逃れる為、引っ越しをする事でシンディとジョニーを守れると信じていた。ぼくは、前にもまして不安な気持ちに襲われていた。


ぼくはジョニーを公園へ近づけなかった。ぼくは他人が家に来る事を(入って来る事を)極端に嫌った。家の中でも外でも、ぼくは監視の目を緩めなかった。

そんなある日、シンディが一枚の髪をぼくに差し出して言った。


「ジェイ......これにサインしてちょうだい」

「シンディ......これって......」

言いかけて、ぼくは言葉を詰まらせた。


「あなたがサインしてくれない時は......ジョニーを連れて実家に帰るつもりよ......そして、あなたとは、もう二度と......会わない」


シンディの燃える様な瞳を見た瞬間......ぼくはもう何も言えなかった。


「分かったよシンディ......ぼくが、この家を出て行く......君はジョニーとここで暮らせばいい......」

その代わりと言ってぼくはジョニーを抱き上げた。シンディの顔が強ばって、ジョニーをぼくから引き離した。


「ジョニーは駄目よ!この子は絶対に渡さないから」


シンディは怒りに満ちた目をしてぼくを睨みつけた。そうじゃないよシンディ......君に一つだけお願いがあるんだだと、ぼくは情けない声で言った。


シンディは威圧的な目をぼくに向けて「何、お願いって」と言った。


「ぼくに......ジョニーの写真を送って欲しい......ジョニーの育っていく姿を、ぼくも見てみたい......」

「それで......!?」

「それだけさ。その条件さえのんでくれたら......今すぐにでもぼくは書類にサインをするよ......」

「分かったわ......ジェイ」


シンディは二つ返事でぼくの条件をのんだ。こうして......ぼくとシンディの......短い結婚生活は終わりを告げた。シンディは約束通り、ぼくの元へジョニーの写真を送ってくれた。どんどん大きくなっていくジョニーの写真(すがた)を眺めながら......ぼくは思っていた。


これで良かったのかもしれないと......

あの二人は......ぼくと一緒にいない方が安全なんだ......ぼくは......唇をかみしめた。

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