父さんの手の平
ここは......どこだろう......
ぼくを優しく包みこんでくれるこの光は......なんて......温かいんだろう......
この手は......誰のもの......?
この手は温かくて......優しくて......とても気持ちがいい......そして、ぼくを安心させてくれる......
優しい手のぬくもりが、ぼくを永い眠りから目覚めさせた。
「ジェイミー......」
ローラ......なのか?
ローラがぼくの名前を呼んでいる......
ぼくは目を開けてローラの顔を見た。
「ジェイミー!気が付いたのね......良かった......」
ローラの青い瞳が、涙で溢れている......ローラの手はぼくの手をしっかりと握りしめていた。
ローラの手のぬくもりが伝わってきてぼくはローラの手を食い入るように見つめた。
そうだ......サラ叔母さんと......ティムは?どこ?
ローラは美しい顔を曇らせて、悲し気に首を振った。
そうだ......そうだった。
二人はもぅ......
何処にもいない............
ぼくは現実から逃げる為に再び目を閉じた。
「ジェイミーだめよ!お願いだから目を開けて......」
「ジェイミー!」
ローラ......お願いだから、大きな声を出さないでよ。ローラ......ぼくは眠りたいんだ............
眠りたいんだ────────
その後──
ぼくが学校へ戻る事はなかった。ぼくはもう何もかもがどうでもいいと思う様になっていた。ぼくは心を病み、病院で一年間を過ごした。
その時の事は、よく覚えてはいないけど......
しばらくして父さんが、ぼくを病院から連れ出してくれた。
「こんな所に......お前をいつまでも置いとくわけにはいかないからな......」そう言って、父さんは父さんの知人が働いている、病院へと再入院させた。
「ここでなら、お前も自由に動けるだろう」
「父さん......ありがとう」
ぼくは心から父さんに「ありがとう」と言った。よく覚えてはいないけど......もう二度とあの部屋へ戻るのは嫌だった。
あの病院にいたら、ぼくはどうにかなってしまいそうだった......から......
新しい病院に移ってから、ぼくの心は少しずつだけど落ち着きを取り戻していた。
あんな事があったのに......ぼくの心は今、とても穏やかだった。
知らないうちにぼくの目から涙がこぼれ落ちた。
ぼくはパジャマの裾で涙を拭うと、ベッドからおりて、窓へと近づいた。
窓を開けようとしたぼくの手は震えていた......
この窓を開けたら、ピーターパンが入ってくるんだろうか............
あの日の様に窓から......
だけどあいつは、ピーターパンなんかじゃなかった。あいつは......ぼくから全てを奪い去ろうとしている者。あいつは今でも、ぼくをネバーランドへ連れて行こうとしている......
ぼくが淋しさに負けて、手を差し出すのを............あいつは
あいつは待っているんだ────
誰かが部屋に入って来た。
「初めましてジェイミー。今日から貴方の担当をする事になったセイラよ」
私の事はセーラと呼んでね。とその人は言った。
「うん、セーラよろしく......」
セーラはぼくの手を両手で包みこむと、優し気に微笑んだ。ぼくはセーラの手を離すと、窓の外を見つめたまま動かなかった。
「ジェイミー。窓を開けたいの?」セーラが訊いてきた。
「うん......窓を開けないと......ピーターパンが部屋に入ってこられないから」
セーラは、ぼくの事をかわいそうな子供だと思ったかもしれない。でももう......
そんな事どうでもいい......とぼくは思った。
「そう......ピーターパンを待ってるの」セーラは笑わなかった。
「......待ってるんじゃないんだ。ピーターパンがぼくを迎えに来るんだ」
どうしてそんな事を言ったのか、ぼく自身にも分からなかったけど......セーラは笑顔で、「そう......来ると良いわねピーターパン」と言って、ぼくと一緒に窓から外の景色を眺めた。
それからセーラは、ぼくにベッドへ戻る様に言った。
「今から体温と血圧を測るわね。それが終わったら、また窓を見てて良いわよ」
ぼくの部屋の窓は......ぼくが窓を開けない様にしっかりと固定されていた。
ぼくは......まだ信用されていないんだな......医者も父さんもセーラも、ぼくが窓を開けて飛び出すんじゃないかと心配してるんだ......
ぼくが窓を開けるのは......ピーターパンの手を掴む為。ぼくは──
どうして......こんな事ばかり考えてるんだろう。ぼくはおかしくなったんだろうか。
だったら......おかしくなったままでも、良いかもしれない......
ぼくにはもぅ、何もないんだから────────
数ヵ月後、ぼくは父さんの待つ家へと帰った。まだ病院へは通っていたけど、ぼくは目に見えて良くなっていると父さんは言った。
ぼくは嬉しくなって、父さんに抱きついた。父さんは照れくさそうにぼくの体を抱きしめた。
父さんの体は......びっくりする位細くなっていた。ぼくは思わず、父さんから体を離した。
「どうしたジェイ?もっと父さんの事をハグしてくれないか」
「うん。分かったよ父さん......」
ぼくの腕の中で、父さんの痩せた体は壊れてしまいそうだった......
「父さん......ごめんね」
「ジェイ......何を謝ってるんだ。お前は何も悪い事はしていないだろう」
「そうじゃないんだ父さん。そんなんじゃないよ......今まで、父さんに心配かけてごめんって......意味なんだ......」
父さんは何も言わずに、ぼくの頬を両手で挟んだ。
ああ......これって......
あの日、サラ叔母さんに両手で頬を挟まれた事を思い出して、ぼくの心が震えた。
「サラ......叔母さん......」
「......サラ叔母さん......ティム......ティム......」
「ティム............」
父さんは何も言わず、ぼくの体をきつく強く抱きしめた。
「......父さんティムは......ぼくの友達は、最高に良い奴だったよ......ぼくにはもう、ティムのような友達は二度と出来ないよ」
父さんは抱きしめていたぼくの体を、そっと離すと大きな手の平で、ぼくの頭を優しく撫でた。
「心配するなジェイ、ティムは」
ティムはいつだって、お前の心にいるだろう。
父さんは自分の胸に親指を押し当てて、笑ってみせた。
「ジェイ......これからは父さんがついてるから、お前は何も心配する事はないんだ......お前はもう大丈夫だ。父さんがお前の事を守ってやるからな」
父さんは痩せ細った体にぼくを引き寄せると今度は、優しく抱きしめた。
「父さん......父さん......」
ぼくは父さんの優しい腕の中で目を閉じた。
父さんは何度も、何度もぼくの耳元で囁いた。
「大丈夫だ......ジェイ」
お前はもう大丈夫だ......
......もう......大丈夫......だと。