表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

微生物のわたし

作者: ともだともこ

 暑い夏もようやく終わりを迎えようとしていた。蒸し暑さを一層感じさせるセミの鳴き声も少なくなり、外を歩くにも涼しさを感じるようになってきた。出張訪問も終わり時間を潰すために、私は目についたチェーンの喫茶店へ入った。

「いらっしゃいませ、1名様でよろしいでしょうか?」

 店内を見渡すと高校生や大学生と思われる若い子達で賑わっている。最近はどこに行っても若者がいて騒々しいな、と小さくため息をつきながら、私は奥のソファ席へ案内してもらった。

 アイスコーヒーを頼み、訪問先で整理できなかったカバンを整え、汗ばんだ額をハンカチで拭った。営業というものは無駄なマナーが本当にたくさんあると思う。例えば訪問先ではお客様を待たせてはいけない、という体で急いで資料をカバンにブチ込むのがうちの会社ではお決まりだ。恐らく数秒そこらの時間短縮でしかないにも関わらず、相手を配慮しています、という体を取り繕うためだけに行っている。私はそれが腑に落ちない。相手に次の予定があり急いでいるのなら理解はできるが、そうでもないのに、「あなたに私の片付けを待つ時間をかけて頂くのは大変恐れ多いので、私はあなたのために出来る限り急いで待ち時間を減らしています」とでもわざとらしく言っているかのような姿勢を見せる。もしかしたらその理由すらあくまで建前で、「私営業マンは如何なる時もお客様のために最大限努力をしています。それが数秒の時間削減のためであってもお客様第一の精神に乗っ取り、常にお客様の視点に立ち対応しております。」とでも同行している上司やお客様にアピールし、自らの評価を上げようとしているのかもしれない。考えたところで真実には至らない不満を抱きながら、前の席にいるサラリーマン2人組を横目にスマートフォンでメールを確認していた。

 少しするとアイスコーヒーを店員さんが持ってきたので私は鏡をしまいコーヒーを飲んだ。飲みながら耳を立てていると、前のサラリーマン2人組の会話が聞こえてきた。

「今日の打ち合わせは良かったな。お客さんも何とか他社の製品を使わずウチを継続して使うと言ってくれたしな。」

「そうですね、もう他社に持っていかれると思ってましたが、先輩の営業力のおかげでしたね。」

「今後はどう他の製品を提案していくか会社に戻って考えよう!」

「分かりました!ぜひ引き続き勉強させてください!」

 そういった会話のやりとりが聞こえてきて、上司と話しているその若手サラリーマンに、5年前の自分を照らし合わせた。私は5年前に今の会社に就職した。ITに強いこだわりは無かったが、何となく面白そうなのと、会社員という経験をしてみたいという思いがあり、現在のIT企業に就職先を決めた。入社当時は、1人前になりたい一心で頑張っていたが、1年もたてば要領もつかめ、それなりに1人で出来るようになった。またやりたかった会社員も経験でき、特に目標もなくなった。私は必要のないことは絶対にやりたくない超合理主義である自負がある(というより無駄なことは1秒たりともやりたくない超面倒くさがり屋とも言えるが)。そのため目標が無くなるととたんにやる気は無くなる。必要最低限の仕事はこなすが、自ら動いて成績や評価、ましてや自分の成長のために頑張るなんてことは全くやってこなかった。営業成績も人並みで、先輩上司からももう少しやる気を出せを叱咤激励を受けることもしばしばある。だが、先ほど言ったように私には仕事における目標がなく、目標がない私には頑張る理由もないので、営業成績などどうなろうが何とも思わない。大げさでなく本当にどうでもいい。自分の営業成績が良かろうが悪かろうが、会社の業績が良かろうが悪かろうがどうでもいい。なぜみんなそんなことで一喜一憂してるんだろうか。営業成績なんて、自分の人生という長い物差しで見れば取るに足らない出来事なのに、どうしてそのために毎日の時間や体力を注げれるんだろうか。勿論仕事が楽しくて仕事に全てを捧げる覚悟がある、という人なら理解できる。でも大半の人は仕事に全力を注ぐ覚悟や明確な目標が無いにも関わらず、仕事一つ一つに過度な心配をし、必要以上に悩んだりストレスを溜め込んでいる。私なんか、何となく仕事をやって、仕事仲間と楽しくダラダラできればそれでいい、と思っているのに。みんな馬鹿だな。自分のことが理解出来てないからくだらない仕事に振り回されてるんだろう。

 そんなことを思いながら前のサラリーマンを冷ややかな目で見ていた。

 少し経つと横のテーブル席に受験生と思われる男子高校生が座った。彼はメニューから抹茶ラテを頼むと、カバンから数学の参考書を取り出し、徐ろに問題を解き始めた。

 思えば私が物事に対して冷めた見方、というか斜に構えた見方をし始めたのも受験生の頃からだった。高校生の当時、私は難関大と呼ばれる大学を目指し受験勉強に明け暮れる日々を送っていた。受験勉強当初は勉強した分だけ点数を伸びていくが、だんだんと点数は伸びなくなっていく。対照的に、何のために受験勉強を頑張ってるのか、という雑念は指数関数的に私の頭の中に湧き上がってきた。何のためにこんなに頑張っているのだろうか?18歳という若く貴重な時間を棒に振って難関大学に入る意味はあるのだろうか?入ったところでやりたい勉強はない。良い大学に入り良い就職先につき良い生活を送るためなのか?私はそれを望んでるのだろうか?人間はそもそも必ず死ぬ生き物だ。80年生きれば皆必ず死ぬ。どうせ必ず死ぬのに更に一つ小さい物差しで、生きてるうちの大学を決めることなんて本当に小さな、とても小さな選択ではないのか。そもそも人間は何のために生きてるんだろうか。働いて食い繋いで、病気を治して出来るだけ長く長く生きて、最終的に死ぬ。何のために?種を残すため?だとしたら何のために種を残すのか?生き続けていった先にゴールがあるのか?皆必ず死ぬ。人間も動物も植物も虫も蟻も。その大きさに違いがあるだけで私の命と道端に歩いている蟻の命も同じだ。特に虫なんか自我なんてないから、体内に設定された遺伝子によって働く本能によって、無意識的に生きようと努力している。更に小さい視点で見ればお風呂場やトイレに発生するカビなどの微生物も同じだ。それぞれの微生物が私と同様に生まれ、そして死んでいく。

何億、何兆と数えきれない生物が日々生まれ、死んでいく中で私という一人の存在が難関大学に合格する、という出来事がどれほど大きなことなのだろうか。。。。

 受験勉強に明け暮れる中で、ふとした瞬間にそんな虚しさを感じペンを置く、といったことを繰り返していた。そんなことを考える度に、受験勉強に必死になることに馬鹿馬鹿しさを感じていた。だからといって放棄するわけにもいかず、何とか自分を誤魔化し受験勉強を頑張った。結果、希望の大学へ入学することができ、順調なレールを歩んできた。

 当時はこういった独特な世界観、というか人生観もいわゆる思春期の悩みといった類のものなのかと思っていたが、私の人生観は28歳になった今でも変わらず、むしろ自身の価値観の根幹となっている。

 隣の受験生の努力を垣間見ながら過去の自分を思い出していた私は、頭の中で巡らされた回想の固まりを体の奥底に戻すようにコーヒーを力強く飲み込んだ。

 喫茶店の壁にはポスターが貼られていた。ちょうど30インチほどの大きさのポスターだ。「ALWAYS FRESH」と書かれ美しいモデルさんが写っている。制汗剤のポスターだった。日照りの強い中公園で撮影されたものだろうか、見ているだけでギラギラとした暑さのわかる景色の中で、制汗剤をもった女性がこちらを見ている。周りの環境になんか屈しないといった自信満々の笑顔だ。まるでその世界の中心にいる、太陽だったり女神なんじゃないかと思える。なんて綺麗なんだろうか。ミーハーではないけれど、いつも冷めた見方をしてしまう私でも人々を引きつける特別な魅力のあるモデルの表情や見せ方は凄いと思う。

 彼女は何を考えながら日々生きているんだろうか。多分、今その時その瞬間を全力で生きているんだろう。その表情を見ているだけで、今に全力を向けていないと作れない表情だということが誰にでも分かる、特別な魅力がある。彼女が50年歳をとり入院し死ぬ間際何を思うのだろうか。その後の人生がどう進んでいったのであれ、そのポスターは彼女にとって輝かしい歴史として思い出されるだろう。そして彼女にとって、そういった全力の生き方を常にしていれば、彼女の人生は悔いのない素晴らしい人生であったと、満足しながらその生涯を終えるだろう。そう考えた時、生きとし生ける物のそれぞれの命に、本当に違いがないものだといえるのだろうか。

 私の中でぶれなかった根幹が、少しずつ向きが変わっていく感覚を感じた。

生きることに万物共通の意味はなく、自分自身がどう生きたいか、それに向かってどう行動するかが大切であり、それによって自分自身がどう満足するか、それに尽きるのではと思った。

「私にとって大切なことってなんだろう。」それを考えれば何かが変わる。

 私は、今の生活をずっと面白くできるのではないかという期待に興奮を覚え始めた。

止まっていた鼓動が10年の時を置き、再び動き始める。

「ごちそうさまでした!」

 私はコーヒーを飲み干し、カバンの中に荷物をブチ込むと、足早に喫茶店を出て行った。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] ともこさん、こんばんは!初めての文章投稿ということで、しっかりと読ませて戴きました。たぶん私が感想第一号かな(わくわく)。全体的に論理的な文章で、「私」の世の中の捉え方、考え方、周りをどう…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ