徳のある政治とは
ものって売ったら買主のものになりますよね?
戦国時代は違うんです。
特に家屋敷田畑などという不動産は「売っても売り主のもの」なんです。
一度売っても気が変わったら返してもらっていいんです。
侍も百姓も同じですけど、その家の人間が、代々同じ名前を継いで、代々同じ家屋敷に住んで代々同じ田畑を耕すのが「自然な形であり太古から続けられていた「あるべき姿」」であると考えられていました。
よって、何らかの事情によりそれらの「イエ」から奪われた土地建物田畑は、それらの「イエ」に戻されるのが「正しい」ことだったのです。
よって、徳政令というものが出ます。
銭のやり取りという世の道理に合わないもので、土地が奪われるというのは日本人にとってとても違和感のあることでした。室町時代になると将軍や大名の代替わりのたびに徳政令が出ます。出ない場合は一揆です。実力で出させます。
そして強欲な金貸しが集めた財産はみんなに再分配されて全員喜ぶわけです。
当然ながら金貸し側もそんなことではやっていられないので、売買や質流れの証文に「徳政令があっても無効」という文言をいれるのですが、最後揉めると惣村一揆が襲い掛かって「私的に徳政」しますのであまり効果はなかったようです。
よって、よくある話ですが、なんか契約書をどうこうして、主人公をだまそうとした商人から逆に家屋敷を取り上げるような話がたまにありますが、それが徳政令でひっくり返るとかあると無常観たっぷりで、あまり面白い小説にはなりませんね。
代替わりの徳政令とか、逆に災害があったので住民を救うためにわざと代替わりして徳政令出すとか、そういう話を挟むとちょっと面白いかもです。
なお、銭で戦おうとしてる主人公にとって徳政令は天敵ですが、農村支持を基盤に国盗りを勧めようとしている主人公の場合、金貸しを多少破産させたところで、大多数の農民が安心して耕作できるようにする方が重要なわけです。こういう価値観の違いとか描写してみるといいかもしれませんね。





