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旅路1

 ギークが抱いていた最大の懸念は飲食品だ。

 リュックに収めていたレーションは吹き飛び、水筒も穴が開いて空っぽ。

 頼れるのは、同行者のローサが持っていた僅かな物資ばかりだ。

 食料をほとんど持っていないとローサに告げると、

「助けてもらったんですから、そのぐらいおやすいご用です!」

「いや、村に着くまで食料がもつかどうか聞きたいんだ」

 村から現在位置まで、推定一日以上は要する。大した距離ではないが足場が悪く、素早い移動が困難なのだ。

 それに水筒についても問題がある。ローサが持っていた水筒は小さな皮袋だ。彼女一人ならまだしも、大の大人一人が加わるとなれば心許ない量であった。

「えーっと……なんとかなる、かなぁ?」

 ギークは仮にも特殊部隊に身を置く人間だ。三日間ほど飲食休憩なしで活動する事は出来る。だが彼女は、ローサはどうだろうか。

 盛大に疑問は浮かんだが、歩みを止めることは出来ない。


 日が落ちる頃になると、さすがに森歩きは危険だ。

 野営に向きそうな場所を探し始めると、ほどなくして小さな広場を見つけた。

 広場といっても、相変わらず箒をひっくり返したような木の下ではあったが、見通しのきかない場所で野生生物の奇襲を受けるよりマシだ。

 念のためローサが持つ動物が嫌がる匂いを放つ袋を開き、続いて火を焚くための薪を集めた。

 ここで、ギークの脳裏に古い創作群が頭をよぎった。

 一から火を点けるというのは、極めて重要であると同時に大変な作業だ。そこで現代技術の恩恵を受けている主人公がライターやらマッチを使ってワンタッチで火を点け、現地人がアッと驚く。

 ありきたりすぎて、国際条約で禁止されそうな展開である。

 そんな事を考えながらギークがモールベストのライターに手を伸ばすと、

「あっ、私持ってますよ」

 ローサはそう言ってポーチから箱を取り出した。箱の中には小さな木の軸。靴底で軸の先端を擦ると、火が灯された。

「……マッチあるんだ」

「まっち……? ああ、火付け軸の事ですね。本で昔読んだんですけど、マーセルと錬金術師の奥さんが発明したものらしいですよ」

「へぇ。じゃあライターはあるのかい? こんなものだけど」

「わっ」

 ためしにギークはライターの火を点けたり消したりしてみせると、ローサは声を上げて驚いた。

「凄い! 何度でも使えるんですね!」

「フリントが壊れたり、燃料がなくなったりしない限りね」

 マッチはあってライターはないのか。ギークは少し困惑した。

 この火付け軸とやら、見た目から構造まで明らかにマッチと同じものだ。恐らく、火打石を自動的に擦って火花を起こす装置よりも、安定して発火させられる物質の登場の方が早かったのだろう。

 これも世界の、歴史の違いというやつか。貪欲な知識欲を持つギークは、ますますこの世界への興味を強めた。


 暗い夜の森に、篝火のぼうっとした明かりが灯された。

 夕食の頃合いと見たローサは干し肉を篝火で温め、野菜の塩漬けを小さな皿に盛った。

「こんなものしかありませんけど、どうぞ」

 腹は減っていないとギークは何度も断ったが、「食べてくれるまで私も食べません」と言って聞かないローサに折れた。

 まずギークは干し肉をかじった。

―――固い。

 まるでというか、犬用ビーフジャーキーを噛んでいるようなものだから当然だ。これもまた当然の話だが、保存を効かせるためにとても塩辛かった。噛めば噛むほど、腎臓がダメになっていくのではないかと不安になるほどだ。動物並みに強靭な顎を手に入れたいのならば、二日に一枚くらい噛めばちょうどいいだろう。

 ふた口分ほど食道に流し込めば、もうこの干し肉を食べようという気は失せる。

 期待はしていないが、続いて野菜の塩漬けを口に含んだ。

―――これは、野菜のナリをした塩そのもの!

 葉菜類を塩漬けにして発酵させた、ザワークラウトに近いものだろう。

 少々の酸味はあるが、それ以上に塩味がきつすぎた。危険を感じた脳髄は「これは毒物だ、食うんじゃない」と叫び、反射的に吐き出そうとするほどに。

 しかし、出された手前食わなければ。

 猛烈に水分が欲しくなるのをこらえつつ、シャビシャビした物体を喉に押し込んだ。

 これについてはローサも気に入らない味だったらしく、

「うー、しょっぱい!」

 などと呟いていた。

「これ、本当は塩抜きするものなんじゃないのかな」

「……塩抜きってなんですか?」

 どうやら、ローサにはこの手の知識が欠けているようだ。

「これなら多分……普通の水に丸一日浸すんじゃないかな」

「へー、そうなんですか。今度、やってみますね!」

 やれやれ。これで次回の食事がマシになればいいのだが。

 そう思ったのも束の間、今ある分は食べねばなるまい。

 ギークは干し肉や塩分の塊を齧っているうちに、自衛軍で支給されているレーション(携帯食料)を思い出した。

 世界各国の軍と比較して、自衛軍のレーションは美味で有名だ。何度か他の国の兵士から物々交換を持ちかけられたほどだ。

 しかし、ギークは個人的に好きではなかった。

 副食のおかず缶には野菜煮や、蚕やイナゴの佃煮など様々な種類がある。加えて、どれもレーションであることを考えても凄まじくうまい。

 だが欠点がある。それは、おかずの多くがタンパク中心で、炭水化物とタンパク質以外の栄養が欠乏しやすいのだ。

 腹に溜まって、美味しく食えればいい。それは食事に大切な要素だが、健康に生きるためには栄養価をバランスよく摂取する必要がある。

 もちろん野菜煮のようにある程度バランスの整ったメニューはあるが、任務中、常に都合のいいパッケージを持ち合わせているとは限らない。

 一応擁護するとすれば、このレーションの原型は自衛軍が軍ではなかった時代で採用されていた戦闘糧食だ。これは後方から食事が届けられることを前提とした設計であり、それが成立していたから災害派遣などの長丁場の任務以外ではそれほど問題になる事はなかった。

 しかし、戦場でそんなに都合のいい話はない。

 レーションのメニューとして必要な条件の一つは、単体で人体に必要な栄養価を補充できることだ。

 この点で考えれば自衛軍のレーションは、軍用携帯食料としては間違いなく欠陥品だった。

 おかげで栄養サプリメントを持ち歩いたり、背広組からの叱責覚悟で別の国の部隊とレーションを交換を強いられた。

 うまい飯を貰えると相手は喜んでいたが、そんなどうでもいい事で右往左往せねばならないぐらいなら、まずい携帯食の代名詞である米軍のMREを食った方がいいとギークは常々思っていた。

 MREは米軍が開発したレーションであり、様々な栄養価を一つのパッケージで摂取できるよう追及されている。加えて常に改良を重ねているため、最近では味さえもマシになっているという。

 自衛軍の戦闘糧食が味特化なら、MREは栄養価に全能力値を割り振った栄養特化型だ。

 あれさえ食えば、作戦中の栄養失調はあり得ない。

 ここでギークは自分の手元を見た。

 最低限の栄養バランスさえ考えられていない、味や量すらも最低限の食事。

 この現状を鑑みれば、サバイバル訓練と同等あるいはそれ以下の食事という事になる。

 ああ、あの墜落現場をもう少し調べておけば、あるいは……らしくない後悔で、思わずため息が漏れた。


「休んでていいよ、僕が見張っておくから」

「そんな、悪いですよ」

「こういう時の為に鍛えていたんだ。頼ってくれ」

 食事を終えた二人はそんなつまらない問答に五分ほど時間を無駄にしたが、今回はローサの方が折れた。

「じゃあ……お願いしますね。でも、疲れたらちゃんと言ってくださいね。代わりますから」

「そうするよ」

 リュックを枕代わりに、ローサが瞼を閉ざす。少しして、すやすやと寝息をたて始めたのを確認したギークは、ベストのポケットにしまっておいたメモ帳を取り出した。正真正銘、紙のメモ帳である。


 さて。まずギークはこの世界の自然について記録する事にした。二〇度前半と過ごしやすい涼しさであり、森を構成するのは箒をひっくり返したような形状の広葉樹。この特徴は、地球でいうポプラの木に近い種なのではないだろうか。

 結論、自然は地球のそれとかなり近しい。


 文化や習慣に関しても、地球で多く行われているそれと大した違いはない。少なくとも、一般人は人肉の類を嗜まないことがわかったのは大きな収穫である。

 問答無用で襲い掛かる集団がいる以上、この世界の人間すべてが銃火器を用いる食人鬼集団である可能性も否めなかったのだから。


 さて。これは曖昧な情報だが、ローサとの会話に錬金術師なる言葉が現れた。錬金術とは、通常の卑金属類(普通の金属)を金や銀をはじめとする貴金属類に変化させようとした学問の事だ。錬金術師とは、その学問を扱う人間の事を指す。

 現実には、錬金術として考えられていた手段では鉄を金に変えることは出来なかった。現代ならば炭素を圧縮してダイヤモンドを作ることはできるが、それは錬金術とは少し違うだろう。

 では、この世界の錬金術とは何か? マッチを発明したとなれば、発火剤を発見したと見るのが自然だろう。つまり現実の歴史通り、化学に近しい存在と推測できる。


 あとは……ギークは同行者の寝顔を見た。

 ローサは女性経験の少ないギークから見ても、明らかな北欧系の美少女だ。こんな状況だからこそ平静を保っていられるが、お見合いの場にでも現れればドギマギしてしまうだろう。

 自然に整った鼻筋に、鈴のようにパッチリとした目。そしてふわりとしながらも軽く癖のついた長髪は、どこか抜けた性格に通じるものを感じる。

 しかし、ただ抜けているわけではない。彼女の旅の根底にあるのは肉親の危機だ。聞くところによれば遠出の経験はなく、たった一人で危険な旅路を行かんとしていたとか。これは並大抵の覚悟では出来ないことだ。

 先ほども危険な目に遭ったというのに、帰るという選択肢は彼女に存在していないようだった。

 ただの考えなしなのか、それとも心が強いのか。

 判断には困ったが、ギークが来る限り助けてやりたいと思ったのは確かだ。

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