遭遇戦2
彼の目覚めは強烈なショックだった。
「―――!」
反射的に声もなく意識が覚醒し、慌ててギークは辺りを見渡した。
―――木と草、そして岩。ここは森か。
真上には枝が折れた木々。どうやら撃たれた衝撃で崖から落ちたが、生き延びたようだ。
そこに思考が行くと、背中と左肩に鋭い痛みが走った。反射的に受け身はとったかもしれないが、一〇メートルの高さでは効果は限定的だ。
弾はボディーアーマーが貫通を防いでくれたが、左肩からは常に痛みが走り、動かそうとすると激痛が走った。着地のショックで脱臼したらしい。
《ギーク、生きています》
かろうじて体内通信でバーゲストに呼びかけると、すぐに応答が来た。
合流は困難、それは向こうにもわかっているだろう。ギークは素早くタブレットを取り出して地図を確認すると、現在位置から西へ向かえば村にたどり着けるだろうと導き出した。
《地図によれば、この森からでも村にはたどり着けます。そこで合流しましょう》
ギークは他人の足を引っ張りたくはなかった。バーゲストがそこを忖度したのかは、ギークにはあずかり知らぬ話だったが、
《わかった。しかし、無事到着するように。特に武装集団には注意せよ。交戦は極力控えろ、どうぞ》
《了解。通信終了》
体内通信の回線を閉じると、ギークは傍らに転がっていた自身の獲物、マーク六PDWを握り締めつつ上体を起こした。
野生動物が狙っていたら、先ほどまでの明らかな隙を逃さないはず。ならば、今自分をマークしている存在はここにはいないはずだ。
続いて全身を起こすと、西に向けて移動を再開した。
移動し始めてすぐ。人の気配を察知したギークは背の高い草むらに身を隠すと、少し大回りして気配を睨んだ。
例の黄色スカーフ複数に、明らかに毛色の違う少女が一人。正確な状況を掴むまでもなく、よろしくない事が起きようとしていた。
『交戦は最小限に』
これはTF101の交戦規定であり、先ほども命令されたことだ。
もしうっかり交戦して現地住民を巻き込み、信頼が損なわれるような事態になれば本末転倒だからだ。
だが、今回はそれ以前の問題だ。これは人権、あるいはもっと基本的な、人としてのモラルの問題である。
身近な話題であれば、複数から無抵抗に痴漢を受けている女の子がいるとしよう。助けたいか? 助けたくないか? 答えは至極シンプルだ。少なくとも、ギークにとっては同じ光景を何度も繰り返したくはなかった。
ギークはマーク六をそっと置いた。
マーク六には高性能なライフルスコープや、構えやすい小型フォアグリップなど、正確な照準をつける補助をしてくれるアクセサリーが装着されていた。しかし、左肩を脱臼している現状では反動が大きすぎる。助けようとして、逆にとどめを刺していてはシャレにならない。
そこで腰のホルスターに刺したP七拳銃を抜いた。古いドイツ製拳銃で、独特な構造ゆえに少々扱いにくいが、ギークにとっては最高の拳銃だった。片手でも十分正確に照準、射撃が可能だ。
拳銃を出来る限りしっかり構えると、ギークは最初の犠牲者として少女を後ろから抱え上げている敵を選んだ。
息を整え、照星と照門を寸分の狂いもなく頭部に合わせ、引き金を引き絞った。
パスパスッ。サプレッサーによる気の抜けた銃声と共に、九ミリ拳銃弾が頭蓋骨を貫通し、脳髄をぐちゃぐちゃに食い荒らした。
体勢を整えさせてなどやるものか。着弾を確認したギークは飛び出した。続いて少女の衣服をナイフで切り裂いた男に銃口を向け、三発の弾丸を胸部に叩き込んだ。
順番を後回しにされていた哀れな三人組。ナイフを研いでいたり、略奪品の品定めを行っていた様子だが、臨戦態勢を解いていたのが仇となった。
瞬きする間もなく放たれる銃弾の嵐。合計一三発の弾丸は余すことなく黄色スカーフの集団に叩き込まれた。
油断なく新しい弾倉を叩き込みつつ周囲の安全を確認したギークはリュックを拾い上げ、少女の手を取った。
「走って!」
連中の残党がうろついているかもしれない。土地勘は向こうの方がある可能性が高いのだから、ぼさっとしている暇はない。
「えっ、えっえっ?」
左手で少女の手を取ったため、ずきずきと肩が痛んだが、置き去りにしたり見捨てたりするより、ずっとずっとマシだった。
三キロぐらい休まず走った。とにかく、ここまで来れば大丈夫だろう。
そんな場所はこの世界に存在しないと言って過言ではないが、
「ひっ、ひーっひーっ……」
さすがにそろそろ休まなければ、ギークより先に少女がダウンしそうだった。
立木の下で少女を座らせると、ギークは語りかける。
「こっちの言っていること、わかるかな?」
「……はい」
翻訳機は機能する。そこに安堵すると、ギークは続けた。
「名前は?」
「ローサです」
「いい名前だ。どこか怪我は? ……っと」
少女ローサの様子を確かめるため、改めて視線を向けると、ギークは気づいてしまった。
彼女の衣服は前方が上から下まで縦一文字に切り裂かれている。つまり、サラシのような下着や無防備な腹部、さらに簡素なパンティーまですべてが露わになっていたのだ。
「あっ、はい。私は大丈夫です。それよりも、あなたの方が大変ですよ」
失礼のないようにギークは視線を逸らすも、当の本人は全く気付いていない様子で歩み寄ってきた。
「肩、失礼しますね」
「ぐっ」
一言断ると、ギークの左肩を撫でた。さすがにこれには声を漏らす。
「脱臼してるんだ。……手伝ってくれ、応急処置をしたい」
「手伝えるなら」
「左手、動かないようにしっかり握って」
握られるだけでも激痛だが、これをやるのとやらないのでは今後の展開は大きく異なるだろう。
それに、感覚からして亜脱臼。まだ自力で処置は可能に思えた。
息を吸って、吐く。意を決すると、ギークは自身の肩を力強く引っ張った。
奥歯を噛み砕かんばかりに噛み締めるも、痛みで脂汗が溢れ出る。まだだ、中途半端に止めたらさっきよりも酷い事になる。
やれ、やれ、やれ!
ギュッと肩を元の場所に組み込むと、遂に腰が抜けた。
「これ、飲んでください。痛み止めです」
そう言ってローサは小さなポーチから丸薬を取り出した。
現地の飲食物、ましてや薬なぞ簡単に口にしてはいけないのは明白だ。しかしリュックに入れた鎮痛剤を喪失した今、痛みが止められるというのならなんでもよかった。
それに、本の虫ならぬ知識の虫と言って過言ではないギークの好奇心が、異世界の薬の薬効を知りたがっていた。
ローサを信用したわけではないが、止められるはずがなかった。
「これは、噛むのかな?」
「はい。すっごく苦いけど、噛み砕いて飲み込んでください」
「眠気は?」
「あー……出ると思います」
「なら我慢しよう」
口に放り込むと、言う通りだった。思わず吐き出したくなるほどの苦みが口腔を支配した。
「うえっ、これは酷いな」
「飲み込んでください」
舌が狂いそうになるほど苦い物体を嚥下すると、胃の中まで苦みに飲み込まれそうな気がした。
さて。痛み止めを貰いはしたがいくら即効性の薬でも、経口摂取では限度がある。少し待たなければ効果は出ないだろう。
たとえ、彼女が出した薬がよほど強力な毒薬の類だとしても。
とはいえ、毒薬であった場合はナノマシンが自動で検知し、除去あるいは中和してくれる。本当に痛み止めならば、適量であればちゃんと効果を発揮してくれるはず。
もちろん地球上に存在する成分による効果である場合に限るのだが、ナノマシンが強制分泌させているエンドルフィンでさえ誤魔化しきれない痛みの前では、この程度は些事である。
「あと、服を脱いでくれませんか? 軟膏もありますから」
「わかったよ」
得体の知れないものを口に含んだ以上、抵抗は無意味に違いない。アーマーと弾倉の類を提げるためのモールベストとシャツを脱ぎ―――もちろん、拳銃は片時も手放さずに―――上半身を露わにした。
ギークの背中を見ることが出来るローサの目には、彼の背中に浮かび上がる酷い青痣が映った。これは、先ほど背中に弾丸を受けた時のものだ。
「酷い痣……こっちにも塗っておきますね」
軟膏が塗られると、患部がひりひりした。
「ありがとう」
「それはこっちの台詞ですよ! ……危ないところを助けていただいて、ありがとうございました」
そう言うと、ローサはぺこりと頭を垂れた。
感謝の意を表す時に礼をするのはこの世界も共通らしい。ギークはレポートのネタを脳内に書き留めると、ローサの休憩がてらに雑談をすることにした。
「それにしても、一体なにがあってこんな場所で一人歩きを?」
ローサは少し悩むと、話し始めた。
「おばあちゃんが病気になって、薬の材料を探しているんです」
「近場で手に入らないのかい?」
「はい。ここからずっと南西に行ったシャンナン山で採れると聞いて……」
ギークはあえて祖母以外の親族については尋ねなかった。こんなに若い子が一人旅に出なければならないのだから、いてもいなくても、聞いて気分のいい返事が返ってくるとは思えなかったからだ。
「なるほど……ローサちゃん。ついさっき怖い思いをしたところで申し訳ないけど、あの連中が何者なのか、心当たりはないかな?」
貴重な現地人の証言だ。彼女には酷な事を聞くようだが、少しでも武装組織の情報が欲しかった。
「わかりません。ずっとおばあちゃんに言われて、あまり自宅の辺りから出なかったので」
どうやら、ギークの心遣いは杞憂に終わったらしい。すらすらとローサは言ってのける。
「でも、マーセル統一記に出てくる“ダギーズ”に似てる気がします」
「……ダギーズでいいかな?」
新しい単語だ。翻訳が機能しなかったため、改めて口頭で確認する。
「はい。黄色いスカーフで素顔を覆った義賊なんです」
創作に登場する義賊。創作上の存在ならば、物語が彼らを正義と描く限り、確実に正義だ。
だが、現実ではどうだろうか。彼らは本当に“義賊”なのだろうか。
それに、ダギーズを騙るタチの悪い模倣者の可能性だってある。
これらの歴史が証明している疑問をおいて、彼らが義賊だとしよう。だとしても少女を複数で乱暴し、爆弾を投げつけ、あまつさえ自分の背に弾丸を喰らわせた連中を、間違っても正義の味方と思う気にはなれなかった。
状況の整理を終えると、ギークは上半分が消えたリュックの中身を探った。
残念ながら、医療品と食料はすべて吹き飛んでいた。加えて弾倉は六つ喪失していた。
今持ち合わせている弾倉はモールベストのポーチに収められている二つと、現在マーク六に装填されている一つ。そしてリュックの中で奇跡的に生き延びた一つで、即座に使える弾は一二〇発。一〇発単位でまとめた弾倉装填用クリップ四つを含めると、合計一六〇発となる。
「それって、もしかして銃ですか?」
「ああ、まあ……そうだよ」
現地人のローサに話していいのか迷ったが、ばかすか銃を撃ちまくる強盗がいる世界なのだから、今さらだ。
「少し、特殊なものでね」
「やっぱり! ……これ、随分と小さいんですね」
これは、恐らくこの世界基準の話なのだろう。マーク六は二一世紀初頭に開発されたライフル、SCARの改良型であり、ギークが持つタイプはそれのPDWモデル。つまり、最小のモデルである。
全長五〇〇ミリ程度だが、これは五・五六ミリ弾を使用する個人防衛火器の中では標準サイズである。
「だから、特殊なんだよ」
嘘は言っていない。マーク六の中では特殊なサイズである。
それよりも、ギークにはもっと別なものが気にかかっていた。奇跡的にリュックの底に転がっていた裁縫セットを発見すると、
「ローサちゃん、ちょっと」
「はい?」
針に糸を通すと、切り裂かれたローサの衣服を器用に縫い始めた。自衛軍の兵士として、裁縫技術は基礎の基礎である。
「えっ、あっ……ああっ!」
ここでようやくローサは自分の姿に気付いたらしく、顔を紅潮させた。しかし、ギークの施しを無下にも出来ない。だから呆然とするわけでも暴れるわけでもなく、ひたすらぴくぴくと四肢を震えさせた。
さすがに元通り、というわけにもいかないが、少なくとも下劣な視線を向けられない程度にはなった。
「これでよし。これは応急処置だから、落ち着いたら新しく着替えた方がいい」
「ありがとうございます。……うう。私、こんな恥ずかしい恰好してたんだ」
果たして、大物なのやら抜けているのやら。命の危機に遭った直後で、かつ人の死も目の前にしたというのに、その反応は少々暢気すぎるようにギークには感じられた。
もっとも犯罪者相手とはいえ、その手を血で汚して眉一つ動かさない方が異常なのだが。
「まだ日は昇ってる。疲れているところ申し訳ないけど、もう少しだけ移動しよう。歩けるかい?」
「はいっ。行きましょう」
休憩もそこそこに、二人は薄暗い森を歩き出した。