遭遇戦1
「くそ。宇宙船が光の速さで動く時代だってのに、何だって俺らは原始的に徒歩で移動してんだ?」
険しい道を歩く中、モホークが愚痴をこぼした。
タスクフォース101は全隊員がニュー・ノバスコシア高原基地に集結すると、早速活動を始めた。
彼らバーゲストのチームの任務は付近に確認された村の調査であり、現在移動中というわけだ。
「アメリカ人が機械化を進めたのは戦略のためじゃなく、弱い足腰を守るためだったのか?」
“ソヴォク”がモホークの愚痴を笑う。彼の詳細は他の隊員と同様に不明だが、少なくともロシア人である以上、連邦保安庁のエリート部隊出身であることは確かだ。
専門は破壊工作及び建築学とのことだが、少なくとも戦闘のプロフェッショナルであることも想像に難くない。
「そうさ、いざ戦う時のために足腰をいたわってるんだ。それに比べ、ロシア人はかわいそうだな。金がないから移動は徒歩で、ライフルは今でもAKを使ってるんだろ?」
「未だストーナーの傑作に執着するアメリカ人が言うと、実に説得力があるな」
「黙れ二人とも」
加熱しつつある下らない口喧嘩をバーゲストが一喝した。さすがに、彼らも兵士だ。上官に命じられれば従いはする。
しかしバーゲスト自身もモホークの愚痴に思うところがあったらしく、こう続けた。
「上層部は航空機や車両が現地に与える影響を計りかねている。問題がないと判断されるか、問題を起こしてでも手を出す価値があると見れば、車両の支援は得られるようになるだろう」
現地人の宗教や価値観がエンジンを受け付けない可能性は十分にある。機械化された乗り物でそんな場所に乗り込めば、招かれざる客として相応の対応を受けるだろう。
もしこの地に大量の化石資源や未知の超物質が眠っているのなら、世界は戦争ぐらい厭わない。しかし、役立つものがないのに大きな出費を強いられるのはお気に召さないだろう。
だから、TF101がいるのだ。
「どのみち、ノバスコシア周辺の立地じゃ普通の車両は使えん。航空機は嫌が応にも使う事になる」
「光学迷彩積んだヘリじゃダメなのか? 見られなきゃ問題ないだろ」
「静音性は完璧じゃない。それに、光学迷彩が通じない生物が存在する可能性を考えろ」
「ごもっとも」
論ではまったく歯が立たないと見たのか、モホークは肩をすくめた。
「ところでギーク、お前火星にはどうやって来た? やっぱ、エレベーターで月面からか?」
「いえ。アフリカで仕事中に召集が掛かったので、ソマリ基地からシャトルで直接来ました」
「直行便か? お前、よっぽど国から大事にされてんだな」
「そういうわけじゃありませんよ」
通常、軌道エレベーターを利用して地球から月に向かい、重力の弱い月面から火星へ向かう超光速シャトルに乗るのが一般的だ。
しかし、致命的な弱点が存在する。それは大き過ぎる政治的価値だ。
軌道エレベーターは別荘や避難地を月面に建てようと考える金持ちや、宇宙開発に携わる世界各国のエリート。さらには月の領土というパイを会議室の机で奪い合っている政治家など、庶民が手の届かないような生き物が利用する場合が多い。
ここまで述べれば想像もつくだろうが、現在の世界が気に食わない組織や、新たなエネルギー源などの単語に敏感な国々によるテロの標的にされやすいのだ。
現にコンゴ軌道エレベーターは、一〇〇回以上のあらゆるテロ攻撃の対象に選ばれ、二度機能停止に追い込まれている。
ギークの話に戻ると、こんな事情から唐突に運行が停止するのも珍しくない。
とどのつまり、日本政府は彼に万が一にも遅刻してもらいたくないがため、わざわざ大金を出して確実なルートを選んだと言った方が正しいというわけだ。
だから「ギーク自身が大切にされている」というよりも、「国の面子を守るのに必死」といった方がさらに正確だ。
「そういや、お前日本人だよな? だったらヘンタイポルノ持ってないか?」
「は?」
モホークが突拍子も無いことを言い出す人間だと薄々気付いてはいたが、さすがにこれは想定外だった。思わず、ギークが間抜けな声を垂れ流してしまうほどに。
「いやよ、女っ気のない職場じゃ寂しいわけよ。そんでいい加減、馬のバックとか、ドラゴンと働く車シリーズは見飽きたんだよ」
「それとアニメのなんの関係が?」
「アニメだったら有害検査AIの捜査を避けられるって噂を聞いたんだ。あれ、マジなのか?」
それはそれは。海外でならまだしも、日本ではデマとして有名だ。
有害検査AIとはその名の通り、記録媒体に保存されている人類にとって悪影響を及ぼす創作―――とりわけ、ポルノが代表される―――を自動的に発見し、所持者の逮捕はなくとも、自動で削除するというものだ。
創作の自由を謳う団体は、日夜このAIをクラックして無力化せんと活動している。
ちなみに日本のアダルトアニメは少なくとも、公式に発売された製品全てが有害指定されており、実写のフェラチオ動画よりも正確に削除されてしまう。
「ちっ、描いた絵ですらダメなのかよ」
といっても、オンライン機能のない古い記録媒体はAIの索敵からは逃れられる。そのため、ギークは秘密のディスクを密かに持ち歩いていた。
先進国で多く採用されている有害検査AIに反感を持っている者は多い。そのため万が一見つかったとしても、“おこぼれ”を要求されるに留まる場合が多く、没収される事はないと言ってもいい。
もっとも、ギークはそんな事態さえ起きないほどに徹底した隠匿処理を施してるのだが。
「……二人とも。念のために言っておくぞ」ギークとモホークの会話に呆れたバーゲストが口を開く。「お前たちの下半身の事情については関知しないが、“現地での節度は弁えろ”。いいな?」
バーゲストがイギリス人である事以外の詳細は不明だが、問題行動を起こせばその場で“終了”させるのだろう。彼の鋭い眼光はそんな予感さえさせた。
「イエス、サー」
「もちろん」
「まったく。大体、ここに来る前に制欲治療を……」
その瞬間、TF101隊員の眼が鋭くなった。
素早くバーゲストがナノマシンを介した体内通信で告げる。
《気付いたか?》
《火薬の匂い。多分、黒色火薬だな》
ドイツ人の“コロニー”が告げる。ギークも人の気配については察知していたが、火薬の匂いに関しては彼の発言で初めて気付いた。
現在位置の地面は多少ならしてあるとはいえ、かなり悪い足場だ。一方、気配は前方の遮蔽物の多い林に感じていた。
《いいか、発砲は極力控えろ。ただし、身の危険を感じた場合は……》バーゲストが姿勢を低くしつつ、C九ライフルの安全装置を解除した。《応戦を許可する》
向こうもこちらが戦闘態勢に映ったのに気付いたのか、辺りはしんと静寂に包まれ、互いに動向を伺い始めた。
沈黙を破って先に動いたのは、やはり向こうだった。
チッ、とやすりか何かの摩擦音が聞こえた。その直後、黄色いスカーフの男が林の木々の隙間から姿を見せた。手には導火線の付いた物体。
モホークはバーゲストの指示に忠実に従った。サプレッサー付きのM四〇ライフルを発砲し、爆発物らしきものを持つ男の胸を撃ち抜く。
心臓を破壊されて即死した男の手から爆発物が滑り落ち、林で爆風が吹き荒れた。
《一番星は俺だな。あとで勲章くれよ》
彼らしい軽口の直後、林の暗がりからまばゆい閃光と硝煙が迸った。銃撃だ。
TF101隊員達に向け、無数の弾丸が襲いかかる。
「何が中世クラスだ、クソめ」
岩に身を隠し、真っ先に苛立ちを口から漏らしたのはバーゲストだ。
彼の口から隊員に向けて、現地の武器は中世クラスと発言した。無責任な発言だったと思えるだろう。
しかし彼もまた、上や諜報屋から聞かされたことをそのまま知らせただけに過ぎない。
この怒りは、自身がこのような危機的状況に置かれたからと言うよりも、仲間や部下を危険な状況に追い込んでしまった責任感からのものである。
《交戦を許可する!》
指示とともにTF101の隊員が遮蔽物から身を乗り出し、銃撃を開始した。
向こうの射撃は非常に間隔が長く、大量に硝煙が散っている様子からマスケット銃を使用していると想定出来た。
マスケットとは日本語でわかりやすく言うと火縄銃、あるいは種子島だ。前装式のライフルで、丸い弾丸を使う。
銃口から弾と炸薬を詰め込んで、さらに奥まで棒で押し込む必要があるため、装填に時間がかかるのだ。
《前進!》
SASの戦術は非常に好戦的だ。敵が隙を見せれば確実に弾を当てられる距離まで接近し、絶対に排除する。
近距離向けのスタイルではないモホークと、戦闘向きでないギークと衛生兵の“イェシュア”以外の隊員はバーゲストに従って前進した。
《報告する。連中のライフルは結構短いぞ。マスケットだと思って油断するな》
敵の兵装を目撃したモホークからの報告。前装式ライフルの精度と装填速度は、その銃身の長さに直結する。長ければ―――限りはあるが―――真っ直ぐ、長く弾が飛ぶようになり、短くなれば弾と火薬を押し込みやすくなる分、装填が確実かつ早くなる。
敵は精度と射程を諦めて、速射を重視しているのだ。
しかし、ギークはこの辺りを問題とは考えなかった。
マスケット銃の精度の悪さは、熟練の射手でもない限り二〇メートル先に当てるのでさえ困難だ。地球の歴史ではその精度の低さを補うため、一列に並んで一斉射撃を行っていた。
一方、相対している武装集団の銃撃には統一性がなく、発砲のタイミングはてんでバラバラ。射撃も上手くないのに、散兵を用いている。
実際、被弾するどころか、弾がすぐ近くを掠める事さえなかった。
つまり、すべてにおいて中途半端なのだ。
《一人排除》
《こっちもやった》
仲間から次々に流れる敵排除の報告。所属は不明だが、戦術が全く練られていない素人の集まりだろうか?
あまり隊列が伸びないようにモホークたちと共に前進を始めると、不意に崖上から気配を感じた。
ポシュン! それは圧縮された空気が解放された音だった。この場合、飛んでくるのはろくなものではない。
「伏せろ!」
ギークの警告とほぼ同時に、何かが炸裂した。咄嗟に地面に伏せたギークとイェシュアは事なきを得たが、偶然足場の悪い場所で移動中だったモホークが体勢を崩した。
「クソがっ」
滑落し、伸ばした手が運よく崖から突き出た岩を掴んだ。これも、長くもつとは思えない。
《モホーク、無事か》
《俺はいい、敵をやれ!》
体内無線の応答に、ギークは安堵した。死んでいないのなら、助けられる。
《こちらギーク、モホークが危険》
《いいぞ、援護する》
既にバーゲストたちが追い立てていた敵は、背を向けて敗走を始めていた。放っておいても害はないだろうと判断し、崖上の敵に対して制圧射撃を開始。
よし、今だ。ギークは頃合いを見て崖に向かうと、どこかにいるであろうモホークの姿を探す。
「こっちだ、引っ張り上げてくれ」
声を頼りに彼の姿を見つけ出すと、腕を掴んで引っ張り上げた。
「ありがとよ」
モホークの両足が地面についた際に礼を言った。直後、ギークは背中に強い衝撃を覚えた。
―――弾を喰らった!
思考は冷静そのものだったが、動作が一瞬追いつかなかった。
ギークはバックパックの中身を散乱させつつ、崖下の森に姿を消した。
「クソがっ!」
モホークはM八カービンを構え、三連射でライフルを構える敵を射殺した。
《モホーク、応答しろ。何があった》
《ギークが被弾、崖に落ちた!》
《こちらバーゲスト。ギーク応えろ》
呼びかけるも、反応はない。まさか早速の犠牲者か。バーゲストは覚悟したが、まだ決まっていない。
《イェシュア、ギークの生体反応を確認してくれ》
衛生兵であるイェシュアは、チームメンバーの体調をナノマシンを介して確認できるデバイスを所持している。死んだのならば、彼女が持つデバイスでもそう表示されるはずだ。
《ギークは……生きています。気絶して左肩を脱臼しているみたい》
道から崖の下まで、推定一〇メートルはある。木がクッション代わりにでもなったのか。どのみち、運はある。
《脳や頸椎に異状はないんだな? なら、電気ショックを浴びせて起こせ》
しかし、戦場は厳しいものである。生きて歩けるのなら、出来る限り自分の力で解決してもらわなければならない。
イェシュアのデバイスからギークの体内を巡るナノマシンに信号を送り、意識を覚醒させる電気ショックを起こすように促した。
少しして、応答が来た。
《ギーク、生きています》
《よし。合流できそうか?》
―――といっても、無理だろうな。
地域の制圧に成功したバーゲストは敵兵の遺体を調べつつ、どうギークと合流すべきか考えていた。
こちらが降りられそうな場所を探して合流するか、ギークが登れそうな場所を……それはだめだ、彼は肩を脱臼している。ライフルは撃てるかもしれないが、ロッククライミングをするには酷だろう。
《地図によれば、この森からでも目的地にはたどり着けます。そこで合流しましょう》
ギークの言う通り、森の中は危険が多そうだ。しかし、辿りつけることに違いはない。下手に目立つ多人数で移動するよりも、単独の方が彼もやりやすいかもしれない。
バーゲストはそう考えた。
《わかった。しかし、必ず無事到着するように。特に武装集団に警戒せよ》
《了解。通信終了》
ここまで来たら、ギークの才覚を信じるしかない。バーゲストは判断を下すと、改めて殺害した敵兵の装備を見た。
黄色いスカーフに、腕のみならず顔面にまで及ぶタトゥー。
まるでメキシカンマフィアのシカリオだ。
それに加えて、警告の類なしの奇襲攻撃。
現地の文化を貶めるつもりは毛頭ないが、こちらの価値観から見れば彼らがろくでなしなのは目に見えている。
「これは、厄介な仕事になりそうだ」
誰かに言うわけでもなく、バーゲストは呟いた。