僻地の薬師2
祖母の言いつけを破り、家を飛び出して村に向かうこと丸一日。その日はいつも通りの天候だった。
時折空に浮かぶ雲に、涼しげな風。しかし、ローサと動物たちの鼻は自然に似つかわしくない異臭を捉えていた。
「この臭い、なんだろう? どこかで嗅いだことがあるような……」
確か、祖母が時折調合するときに嗅いだような記憶があるが……ローサは詳細を思い出せずにいた。
しかし間もなく、ドン!
峡谷に聞き慣れない音が轟いた。
鳥が慌てて飛び出し、小動物たちが硬直した。
「えっ、なに、なに!?」
誰に問うわけでもなく叫ぶと、混乱したローサは思わず木陰に隠れた。
本能的な恐怖を覚える、まるで頭を押さえつけられるかのような音だ。
もしかして、これはおとぎ話に出てきた勇者マーセルが世界に伝えた銃という武器が発しているのではないか。
その思考も続いて始まった爆音と破裂音に抑圧された。まるで、よそで起きている喧嘩を聞いているかのようだった。
「谷の上の方で、何かが起きてるのかな……?」
ローサは谷の最下層に位置する森にいるおかげで、上の様子を全く伺えなかった。
―――どうしよう、どうしよう。
強い決意を持っていたところで、所詮ローサは普通の少女。すっかり怯えて、その場から動けなくなってしまった。
―――早く終わって、お願いだから。
爆音の喧嘩は続いたが、しばらくすると恐ろしい音は止んだ。
終わったのかな? 希望を胸に立ち上がると、不意に爆音が轟いた。
「きゃっ!」
悲鳴を上げ、再び屈む。しかし今度はそれきり。待っても待っても、恐ろしい音は聞こえなかった。
「今度こそ、本当に終わったのかな……?」
フリでもなんでもなく、争いの気配は消え去っていた。ほっと安堵の息を吐くと、ローサは休憩もそこそこに歩き出した。
「なんだったんだろう。もしかして、おばあちゃんが外に出るなって言ってたのは、こういう事なのかも……でも、行商人の人たちからはそんな感じしないし……」
思考の整理をつけるため、ローサは暇になるとこうやって独り言を話すことがある。
外が危険ではないと判断したのは独り言の通りで、暢気な行商人たちの様子を見た末のものだ。なら、行商人が平然と外を出歩いていたのは運が良かっただけなのだろうか。
そうやって頭を捻りながら考えていたためか、木陰から出てきた人影への反応が遅れた。
黄色いスカーフで顔を覆い隠した男三人。背後からも二人、包囲するように似たような服装の男が姿を見せた。
普通の人間ならば、似たような格好の集団に前後を囲まれれば危機感を覚えるだろう。
しかし、世間知らずのローサは感動に近いものを覚えた。
黄色いスカーフの集団。ローサが愛読している小説、マーセル統一記に登場するダギーズという組織の衣装とそっくりなのだ。
「あの……」
声を掛けようと口を開いた直後、黄色の集団は腰の剣や背負った銃を向けた。そして、ローサの前に立つ男が言う。
「ここに来るべきじゃなかったな」
「どっ、どういう事ですか……?」
どこか抜けているローサでも、これが異常事態であることに気付いた。一歩後ずさるが、背中が後方を封じていた男の胸に当たり、乱暴に抱え上げられた。
「放してください。下ろして!」
抵抗するローサの言葉は、半分も語られぬうちに閉ざされた。彼女のフワリとした髪は乱暴に掴まれ、細い首の喉に剣の切っ先が押し付けられたからだ。
「暴れたら刺さるぞ? 刺さるぞぉ?」
明確に感じる暴力の感覚に、ローサの抵抗する意思が萎えてしまった。
―――この人たちはどうしてこんなことをするんだろう。私が何か、悪い事をしてしまったんだろうか。
恐怖で全身が硬直し、思考が混乱する。こんな事をしている場合じゃないのに。
男たち手慣れた様子でローサを木陰に連れ込むと、彼女の柔らかい箇所を乱暴に弄り回した。
知識が全くない彼女にとって、この行為はひたすらに痛いばかりだった。
「やめて……やめてください」
暴力を突きつけられたローサに出来る精一杯の抵抗だった。しかし、これがかえってよくなかった。
「やめて? お前が意見できる立場かよ」
「どうして、どうしてこんなことするんですか?」
ローサの問いに、男たちは笑った。
「お前は獲物だ。それ以上に理由はない」
絶望した。ローサの心境にそれ以上の言葉はない。
ただ目をつけただけで襲われるとは。なんて非論理的な話なのか。
絶句するローサをあざ笑うかの如く彼女の体を刃が這い、衣服を切り裂いた。
―――誰か、誰か助けて。
絶望に蹴落とされた少女は願った。たとえそれがかなわぬ願いだとしても。