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訓練三〇分 4

 冬の海は荒れ狂っていた。ヘリの窓に広がる世界は叩き付けるような雨によって視界を奪われ、かろうじて伺える外の夜暗は、まるで世界のすべてを包み込んでいるかのようだった。

《降下まで一分》

 窓の外に僅かな光を見た。機首の先には波にされるがまま揺られる大型の船舶、マック達の世界でいう貨物船であることはチェイスも学習済みだ。

《三〇秒》

 ヘリは貨物船の船尾から接近すると、一気に船橋の上空でホバリングした。現実にあった事件を再現しているのならば、実際にこれをやってのけたパイロットは凄まじい技術だ。人間が地面で歩く事すらままならなくなるこの荒天の中、まっすぐ飛ばすだけでなく滞空までこなすとは。VRで初歩的な訓練とはいえ、仮にもヘリの操縦を体験したチェイスは素直に感心した。

 NPCがヘリのキャビンドアを開け放つと、機体に接続されたロープを甲板に向けて垂らす。

《降下、降下、降下!》

 ファストロープ降下は人間がヘリから最も素早くかつ安全に降りることが出来る手段で、奇襲にはもってこいだ。しかし、ヘリから降り立つまでの三〇秒感、距離にして二五メートルの間に頼れる命綱は一切存在しない。命を守っているのは自分自身の手のみ。その手を放せば地面まで真っ逆さま、戦う前から戦うどころではなくなってしまう。子供でも思いつくようなシンプルな手段だが、その分危険が伴う。

 チェイスは迷う事なくロープにしがみつくと、グローブ越しに過ぎ去っていく太いロープの感触を感じた。

 ちょうど三〇秒。確かな鉄の感触をソール越しに確かめると、チェイスはKbk-30を目前の窓に向けた。

 交戦規定は至ってシンプル。乗組員に容赦は不要。チェイスは目前に広がる操舵室の人間に対して発砲した。

 プスプスプス。嵐の騒音で容易くかき消される銃声と共に吐き出された銃弾は、金属の棺桶に押し込まれた船員たちを例外なく床に倒していった。

 見える範囲に動く物体が消えると部隊は射撃を止め、内部へ通じる水密扉を開く。チェイスが先導だ。

 真っ先に船橋に入ったチェイスが倒れた船員を跨いだ際、視線の隅にクリンコフ(AKS-74U)が立て掛けられているのを見た。少なくとも、ここにいるものは武装していたらしい。射撃の際に覚えた僅かな罪悪感は薄れた。

 船員全員の死亡を確認し、二人を監視として配置。船の制圧を続けるため、部隊は船橋の階段を下る。

 甲板を制圧するチームを横目に、チェイスは甲板の下に広がる船倉へ。

 色彩の乏しいコンテナが乱雑に立ち並ぶ船倉はまるで迷路のようだった。

 そして相変わらずな船の軋む音に混じる軽快な足音。騒ぐ事もせず整然とした動きを感じる気配に、ここの相手が船橋の人員とはまるで違う、それなりの訓練を受けた精鋭だとチェイスは本能的に察した。しかし、“本物”ではない。本物ならば今攻め込んでいる自分らに気配さえ掴ませないはず。

 船倉入口で仕掛けてこなかったところを見るに、敵がチェイスたちをキルゾーンに誘い込もうとしているのは明らか。即ち、ここはもはや蜘蛛の巣も同然だ。

「敵と接触」

 早速チェイスの後方三メートルを歩く隊員が敵を発見すると、コンテナの上めがけて短機関銃を短く連射した。これが開戦の合図となった。

 バリバリとAKらしき銃声が船倉に響き渡る。銃弾の軌道が一切見えないことから、相手は曳光弾を弾倉に詰めていないようだ。味方の弾幕に突っ込まない自信があるのか、あるいは曳光弾を混ぜる余裕がないのか。

 状況は相手が圧倒的に有利。ならば、長々と遮蔽物に隠れて撃ち合うのは状況をジリ貧にするだけ。

「閃光手榴弾をそこに」

 チェイスが真後ろの部下にそう命じると、彼は流れるようにピンを抜いてコンテナの向こう側に投擲した。

 閃光と爆音。耳鳴りばかりで聴力は回復していなかったが、目前では硝煙が吹雪のように荒れ狂っていた。これは敵が滅茶苦茶に乱射していると察して一歩立ち止まる。現代的な銃火器のフルオートは引き金を引きっぱなしにしていれば、ものの数秒で弾倉が空になる。

 AKの弾倉ならば通常は三〇発。感覚でその程度の弾が発射された後に銃撃が止んだことを確認すると、チェイスはレーザーサイトを可視光線に変更して飛び込んだ。

 至近距離の戦闘では、丁寧に照準器を覗いて狙いをつけている暇はない。そこで約一〇メートル程度で正確に命中するようにレーザーサイトを調整する。そうすれば、広い視野を保ったまま比較的正確に射撃が可能となるためだ。

 赤いレーザー光線が仰向けに倒れる敵の胸部に当たると、チェイスは引き金を引いた。五・五六ミリ弾が正確に胸郭を貫き、心臓を破壊する。さらに確実に無力化するため、頭部にも一発。これで死ななければ人間ではない。

 船倉から銃撃が消えた。ここでの戦闘は終結したのだろう。

「各員、被害報告」

「一名負傷、戦闘は可能」

 まだ作戦は終わっていない。生存者がいないか船内をくまなく調べなければならないのだ。チェイスは部下に二人一組で散開するように指示すると、自身も部下一人を率いてコンテナ群を進んだ。

 部隊が散開して少しすると、時折サプレッサーで抑えられた銃声が耳に届いた。敵を掃討しているのだろう。

 すると、不意にコンテナ内部から人の気配を感じた。扉を見てみれば施錠はされていない。コンテナの錠は作りからして外側からしか操作できない。なら、この中に逃げ込んだ敵がいる。

 そう考えたチェイスはハンドサインで突入準備を部下に命じると、ライトを点灯して扉に手を掛ける部下と視線を交わした。

 行けるか? 行ける。口を使わない会話を終えると、合図した。

「GO」

 一気に開け放たれた扉の先に広がる闇をライトの強烈な光で照らす。

 船内の人間は全員殺す。そういう任務のはずなのに、チェイスの指がは止まってしまった。

 そこには確かに人がいた。まるで地面に転がった棒きれのように痩せ細った四肢に、衣服とは到底思えないような布きれを必要最低限に巻いていた。そんな男とも女とも、子供か老人かさえ推測できない状態の人々がそこそこ大きなコンテナに二〇人ほどが詰め込まれていた。

 戦闘能力どころか、日常生活さえ困難であろう様子の彼らは、一体ここで何をしているのか?

 わずか一秒にも満たない逡巡を断ち切るかの如く部下がチェイスの横に立った。このままでは、彼は冷酷にもこのかわいそうな人々を撃ち殺すだろう。咄嗟にチェイスは部下の銃が上げられる前に抑えた。

「待って!」

「何をするんです」

 部下が怪訝な声で問い掛けるが、チェイスとしてはこっちの台詞だ。

「民間人だろ」

「船内の人間は全員射殺するのが任務です」

 その通りだ。バイザーには船内にいる人間の殲滅と表示されている。だが、マックはこんな状況があるとは一言も言っていなかった。いや、あえてこうしたのか。自分が任務に忠実でいられるかどうか、試しているのだ。

 兵士である以上、撃たなければならない。殺さなければならない。それが試練の一つなのだ。

 だが、チェイスが持つ善性は虐殺を拒んだ。

「ダメだ」

 部下の短機関銃を抑えたままチェイスは告げる。すると、彼は電光石火の早業で腰のホルスターから拳銃を抜き、チェイスの眉間に銃口を向けた。

「その発言は国家への反逆です。撤回してください」

 恐らく、安全装置を解除し忘れるようなヘマはしていない。彼の求める答え以外を口にすれば四五口径弾が飛び出し、チェイスの脳味噌をミンチにするだろう。

「嫌だ」

 正確な表情は覆面の下に覆われているが、確かにゴーグルの向こうの目が細くなるのをチェイスは見た。

「及第点だ」

 これはマックの声だ。二ヶ月共に生活しているように感じている男の声を聞き違えるはずがない。

 そう思った直後、世界が分解された。

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