坂の上の村4
アイアンドッグが到着するまでの間、現地の情報を収集するためにチームは村に散らばった。
調査に際して、現地の食事はもちろん、“過剰なスキンシップ”も禁止されていた。地球人とSW-1の人間同士の性的接触で、何が起きるかわからないからだ。
来賓の健康診断の結果、現地の人間と地球人の構造には差異は全く存在しないとは判明していた。しかし、実際にやってみなければわからないことだってある。
そもそもデキてしまった場合、どうやって責任を取るのかという話である。
とはいえ、情報収集なぞ時間潰しの言い換えに過ぎない。チームはあてもなく村を歩き始めた。
ツーマンセルの原則に則って、ギークはモホークと共に村を歩いていた。
活気のない村の住民に、ろくなものが並んでいない露店。正直なところ、モホークはつまらない街並みに辟易としていた。地球には存在しない光景を期待していたのだから、当然といえよう。
だが、ギークは違った。村の建物や人々の服装、店で売っているもの。とにかく、目につくものの所見をメモ帳に記し、場合によってはスケッチを描いていた。
勉強熱心なところもだが、今時アナログなメモ帳を使う物珍しさに興味を惹かれて、モホークは尋ねた。
「今時古臭いな。なんだって紙に書いてるんだ? タブレットがあるだろうに」
「タブレットはペンだけで、数万文字の記録を書きとめられますか?」
もちろん、自分の考えを文字という形で記録することは、タブレットのメモアプリでも可能だ。しかし、電子的に保存された記録は単体では意味をなさない。何をするにしても、タブレットやPCなどの映像媒体を介さなければならないためだ。
だが、紙ならば手元に置いておけば、あとは見るだけでいい。書きたいのなら、ペンを出せばいい。それさえないのならば最悪、血で書くことだってできるのだから。
全てにおいて、新しければそれで無条件に良いとは限らないのである。
「その通りだな。……しかし、三〇年くらい前の懐古主義者みたいなこと言うんだな」
「さすがにそこまでじゃありませんよ。あとでデータとしても記録しますよ、デジタルが便利なのは事実ですから」
「まあよかったじゃないか。ここと交易が始まれば、紙の値段はぐっと安くなるだろうぜ。こんな、腐るほど木があるんだからよ」
「どちらかというと、木が育つ土壌の方が重要じゃないでしょうか?」
「似たようなもんだろ。細かいこと気にしやがって、このヲタク野郎め」
軽くギークの肩を突くと、モホークは笑った。
「はぁ!? それちょっとボり過ぎでしょ!?」
不意に響いた叫びに視線を向けると、ギークの見知った背中が目に入った。
ローサと、見事なプラチナブロンドの女性だ。ギークの視線に気づいたモホークが言う。
「もしかして、あの子が例の?」
「ええ。あの、くすんだ髪色の背が小さい方です」
どうやら、相手は荷馬や荷牛の行商人のようだ。
「タチの悪い奴に引っかかったみたいだな」
「ですね」
自然と二人の意識は彼女らの方に向かっていた。
「適正価格だよ。最近、馬や牛が殺されたり、盗まれたりするからね」
「それでも、こんな貧相な牛一頭で五〇〇〇とか絶対ないわ」
「いいよぉ、別に。うち以外で買えるなら、どうぞご自由に。それが“偉大なる自由”ってもんだ」
話を聞いていると、どうも裏があるように思えた。
危険な気配を感じた二人は、行商人たちの背後へと回り込むべく移動を始めた。
「そういや気付いたか? この村の正門前の厩、一頭も馬がいなかった」
思い返せば、確かに。厩には人や馬の気配が一切感じられなかった。行商人の言う通り、馬の殺害や窃盗が相次いだ結果、商売が成立しない状態に陥っていたのだろう。
「気付きました。もしかして……」
「可能性はあるかもな。見てみろ、あいつら巧妙に隠しちゃいるが、見事なタトゥーを彫ってるな」
モホークの指摘通り、行商人たちは袖の長い服で腕を隠しているが、手首の辺りから紺色の刺青がはみ出ていた。
この世界で、柄の悪い人間が彫るタトゥー。心当たりは一つだけ。
「ダギーズ?」
「断言するには早い」
モホークはそう言うが、ダギーズに関係する人間である可能性が極めて高いのは紛れもない事実である。
「……こんな奴らの相手するだけでも馬鹿馬鹿しいわ。行きましょう。荷馬なら、アンシャンでも買えるわ」
「ちょっと待てや。そこの子、うちの馬に触ったよな? あーあーあ、これじゃ傷ものだぜぇ。……まさか、ただで帰ろうってんじゃねえだろうな?」
「は? 素晴らしい言いがかりですね」
「あ、あわわ……」
行商人の背後で仲間が四人集まり始めた。目的は明白、思い通りの展開になるように威圧しているのだ。
―――行かないとまずい。
ギークが助けに入ろうとすると、モホークがそれを制した。
「まあ待て。この村の警察がどの程度働くか、見せてもらおうじゃないか」
彼の視線の先には、正門を守っていた衛兵の姿があった。騒ぎを聞きつけて駆け付けたようだ。
モホークの言う事にも一理ある。とりあえずは、見守る事にした。
「何の騒ぎだ」
衛兵の顔を見てみれば、ギークが訪れた時に正門を守っていた男だった。
「見てわからない? タチの悪いチンピラに絡まれてたのよ」
「チンピラとは随分な物言いだな。衛兵気取りさんよ、俺らの商売に口出ししようってのかい?」
行商人は明らかに高圧的な態度を見せた。どうやら双方は困ったときに助け合う、蜜月の関係を築いているわけではなさそうだ。
「お前らのやっていることが、本当に商売ならな。見たところ、とても商売には見えないな」
「まさか。俺たちはただ、馬や牛を売ってるだけ。それとも、荒っぽい事をしてほしいのか?」
背後に控える行商人の一人が馬の鞍に手を伸ばした。恐らくは、武器の類。
モホークがギークの肩を叩いた。
「それ、宣戦布告と受け取ってもいいのかい?」
衛兵がローサたちと行商人の間に入った。
「さてな。少なくとも、俺たちには仲間がいる。お前ら自警団のチンピラと違ってな」
「ほう、仲間ね。どのぐらいいるんだい?」
行商人の仲間の警戒が緩んだと見たギークとモホークが、死角から突入。次々と音もなく無力化していった。その凄まじい手際は、一部始終を目にしていたはずのローサが反応する暇さえなかったほどだ。
「そうだな。少なくとも、ここにいる奴らは……」
行商人が振り返ると、そこにいた仲間は全員地に伏せていた。
「すげえな、お前さん。たった一人で俺ら全員相手にするつもりとはな。尊敬するぜ?」
衛兵の嫌味に、行商人は歯ぎしりした。
「お前さんの言う通り、俺らは州の認可を受けていない自警団でね。だから州の法を遵守する必要もない……というわけで、一緒に来てもらおうか?」
丸腰で武装した自警団に勝てるはずがない。行商人はおとなしく拘束されると、
「覚えていろよ。俺たちに刃向った事を後悔するぞ」
などと捨て台詞を吐いて、自警団に連行されていった。
TF101の任務の性質上、あまり目立つわけにはいかない。
人々の注目を受ける前に立ち去った二人は、人目を避けるために宿の酒場に戻っていた。
「人助けをするとき気分いいな。おい、マスター。軽いのをちょいと頼むよ」
「現地での飲食は……」
「お前はもう、ここの飯食って水も飲んだ。腹でも下したか?」
そんなことはない。味が酷かったこと以外は。しかし、何が起こるかわからないのが異世界というものであり……
「ほいよ」
忠告を無視してモホークが支払いを済ませると、店主は朱色の甕から中身をコップに注いだ。
「飯も食うかい?」
「このぐらいで適当に」
銅貨を二〇枚カウンターに置くと、店主は厨房に消えていった。
「お前も飲めよ。貴重な資源は温存しなきゃな」
そう言うと、モホークはコップの中身を一口あおった。
「うーん、そんなに強くないな。発酵が甘いと見た。あとこれ、あれだ。コメ系列の酒だな」
「詳しいですね」
「酒に酔うためにナノマシンについて勉強したようなもんだからな。ナノマシンが健康管理してくれるのはわかるが、人間酔っ払う事も大事さ」
クイッと二口めを飲むと、
「お前も飲めよ。俺のおごりだ」
ギークもまた、自身の体内に流れるナノマシンに細工した人間だ。モホークと違ってアルコールに酔うためではないため、いくら飲んでもナノマシンがアルコールを分解してしまうだろうが……
―――まあ、たまにはいいか。この世界の酒も気になるし。
などと、毒見も済んでいるからか、軽い気持ちで口に含んだ。
《アルコールを検知、分解を開始》
ナノマシンが体内通信を介して警告する。このように、万が一毒を盛られたとしても通知が来るのだ。アルコールまで分解するのは過剰に思えるが、実際人体に対して毒であることは疑いようのない事実だ。人類の歴史に深く根付いていたから、毒性は比較的低いから、文化から除外されなかっただけの事なのだ。
で、肝心の味だが、苦いような、甘いような。白く濁った液体は独特な風味を持っていた。そしてモホークが呟いたように、度数はあまり強くない。
「どこかで飲んだなぁ。なんだったか……」
「“サケ”とは違うよな?」
「いや、日本酒系じゃないなぁ……大陸系の、紹興酒かな? それに近い気がします」
「お兄さん方、これ入れて飲んでみなよ」
黄ばんだ粥のようなものを持ってきた店主が差し出したのは、二輪の花。
さすがに植物は二人とも警戒した。
「こいつは?」
「こっちの地方じゃ、酒に入れるのさ。甘くなるぜ」
大抵の毒素はナノマシンが除去あるいは中和してくれる。しかし、万が一という事もある。念のため、モホークは自分のコップに花の茎を入れると、店主に突き付けた。
「一口飲めよ」
「なんだ、疑ってるのかい? まあ、いいよ」
店主は何の躊躇いもなく、酒を一口飲んでみせた。
「その花はサービス。金はとらねえよ」
「閑古鳥鳴く店を経営してるくせに、気前がいいじゃないか」
「そりゃ、うちは村長さんが援助してくれてるからね」
「へえ。なんだってそんな事に?」
「うちが最後の宿だからだよ。もしダギーズがいなくなって物流が再開しても、宿がないんじゃ村の収入が減るって村長が言うんだ」
「村長ってのは、中々聡明だな」
気付けば、事情に詳しそうな住民から村長について聞き出していた。まさか、モホークはこれを狙って酒と食事を頼んだのだろうか。
自分の事は棚に上げて、なんというだらしのない男だなどと先ほどまで思っていたが、ギークは考えを改めた。
現地に溶け込むことに関して、モホークは一流だ。
「ああ。なんでも、元々は首長になるはずだったらしい」
「首長? って事は、州のトップか? 何があってこんなところで燻ってやがるんだ?」
「前の首長の息子で、そのまま首長の座に収まる予定だったんだ。アンシャンから来た衛兵は、若すぎるから首長の座を叔父のノブタに譲ったと言っていたが……」
店主は人の居ない店内をきょろきょろ見渡して安全を確認すると、
「ここだけの話、ノブタの派閥が武力で乗っ取ったって話だ」
「クーデターか。どうやら今の首長のノブタってのは、危ない奴らしいな。……ま、なんだ。あんたも飲めよ。俺の支払いでいいからさ」
「そういうなら……じゃ、失礼して」
一杯分の銭を置くと、店主は嬉々として酒を注いだ。自分のものとはいえ、タダ酒は嬉しいのだろう。
そんな店主の心境に反して、会話の内容は危険な領域へと踏み込んでいく。しかし、TF101にとってこの噂話は非常に使える内容だった。
店主は景気づけに酒をあおると、会話を再開した。
「とんだクソさ。アホほど税を取り立てる癖して、税を取りに来るとき以外、衛兵一人さえ寄越さん。おかげで、うちで自警団を作る羽目になった」
という事は、先ほどの衛兵も州都から派遣された正規の衛兵ではなく、自警団の団員という事になる。
こんな有様では首長のノブタも底が知れるというものだが、それは置いておくとして。
「州都の奴らは何もしてくれないのか?」
「そうさ。で、ホントは外敵から守ってくれてるんだと。本当かねェ、怪しいもんだ。どっちにしろ、村長がいなかったら俺らは今より酷い生活だったろうな」
村長は相当住民から慕われているようだ。それに、ペテンでなければその血筋も重要だ。
かつてのリーダーの息子。政治闘争に敗れ、流された先で慕われ、対照的に現在のトップは嫌われている。
シャンプーシャン村は、“革命”を起こすにはピッタリの舞台だ。
「大変だな。村長ってのはどんな人なんだ?」
「若いぜ。多分、お前さんらとそう変わらない歳だ。村の一番高いところにある館に住んでるよ」
丘の頂点には、確かに一際大きい建築物が確認されていた。なるほど、そこが住居なのか。
「他になんか面白い噂とかないか?」
「うーん、ないねぇ。最近この辺を通るキャラバンが減ったからなあ。強いて言うなら、ダギーズの連中が最近この辺りをうろついてるって事ぐらいかな」
「なるほど。ありがとう」
礼を述べると、モホークは食事に出た餅状のものが入った汁を口に含んだ。
「……まずっ」
店主が背を向けた瞬間、彼はそう呟くのだった。