坂の上の村2
旅は一期一会。しかし、絶対にもう会えないという事はない。
ローサはまるでおとぎ話の王子様のように助けてくれた男に別れを告げると、思わず駆けだした。
別に惚れたわけではないが、乙女心に抱いていたシチュエーションを叶えてくれた存在と一緒にいるのが、妙に気恥ずかしくなったのだ。
―――あんな人が一緒にいてくれたら、安心なんだけどなあ。でも、ギークさんのお仕事を邪魔しちゃいけないし……
そんな事を思いつつ、足は村のギルドに向かっていた。旅のお供を探す場といえば、ギルド以外に他はない。
ギルドはマーセルが設立した冒険者取扱い法に基づく組織で、様々な依頼を受けてくれる冒険者が集まっている。
様々な物語の始まりのように、まずは苦楽を共にしてくれる仲間を見つけ出すのだ。
ギルドの屋上には、松明を掲げた手が描かれた旗が翻っていた。これは、冒険者の自由を象徴するものだ。しかし旗には無数の風穴が穿たれ、掲げるための竿は先端が折れていた。
誰も直したりはしないのだろうか。ローサは少しだけ怖くなったが、意を決してギルドの扉を開いた。
扉を開いた瞬間、聞こえてきたのは静寂から来る耳鳴りばかり。ローサの知る限りでは、ギルドは様々な経歴を持つ冒険者がごった返す人種の坩堝のはず。
しかし現実のギルドにはひと気がなく、閑散としていた。
―――どうしよう、休みの日だったのかな。
想定外の様相に、ローサは少し後ずさってギルドの看板を確認するが、
営業時間 年中無休
・受付開始 日出から一時間後
・受付終了 日没から三時間後
少なくとも、今の時間はまだ受付をしているはずだ。それなのにギルドの中には人っ子一人おらず、カウンターには書類一つない。
これが、あの物語に出てきたギルドだというのか。そう思えるほど、人の気配がここにはなかった。
―――ここってもう、やってないんじゃ……
「ううん、ちょっと間が悪かっただけだよね。誰かいるかな……」
脳裏によぎった言葉を否定するかのように、自分に言い聞かせる。もはや、頼れるのはギルドだけなのだ。
高まる鼓動を抑えるために息を整えると、
「あのー! すみませーん!」
カウンターの向こうで半開きの戸口に向けて叫ぶが、返答はない。
なにか、書置きの類でもないだろうか。ギルドが機能していなかったら、自分はどうやってシャンナン山でヤーの草を採取するというのだろう。
外の世界には、ギークのように困ったところを助けてくれるいい人がいた。だが同時に、問答無用で襲い掛かるダギーズの恰好をした怖い人もいた。
ちょっとだけ薬が作れる程度のローサがこの世界で一人旅なぞ、土台無理な話なのだ。
―――誰か、出てきてくれないかな。
半ば願うようにカウンターの辺りをうろうろしていると、奥の方で何かが倒れた音がした。
ギルドの職員だろうか。ローサはもう一度、
「すみませーん! 誰かいらっしゃいませんかー!」
居留守を決め込むつもりだったのだろうが、気配を発したところを呼びかけられ、さすがに観念したらしい。
ギィ、と扉が軋む。そこから、薄い髪を伸ばした中年の男が姿をみせた。目を細めつつ頭を掻き、フケをそこらじゅうに撒き散らしていた。
「なに、なんか用?」
ギルドの職員にもっと清潔な印象を持っていたローサは面食らったが、すぐに気を持ち直して要件を告げる。
「あっ、あのっ。ここってギルドであってますか?」
「そうだよ」
職員の男は不機嫌そうに答える。
「護衛の冒険者さんを雇いたいんですけど」
「はあ、護衛ね……」
気だるそうな呟きとため息。吐息に多分に含まれるアルコールの刺激臭が鼻についた。
嫌悪感を知ってか知らでか、職員は品定めするようにローサの爪先から毛先まで視線を這わせた。
濁った眼が可憐な顔に向くと、まさに目の色が変わり、見る方が不愉快になるほどの下品な笑みを浮かべた。
「予算はいかほど?」
「えっと、これぐらいです」
ポーチから硬貨の詰まった革袋をカウンターに置く。これは祖母に黙って余分に薬を売って溜めたもので、大体一〇〇〇セニ入っている。
世間知らずのローサだが、事前に家を訪れる行商人からある程度の相場を聞き出していた。
しかし、職員は大げさに表情を歪めてみせた。
「ダメだなぁ、これじゃ全然足りないな」
「ええっ!? だって、キャラバンの人たちは一〇〇〇セニくらいで護衛を雇うって……」
「そりゃそうだよ、キャラバンは特別価格だからな。安定して数こなすから、自然と安くなるんだよ」
もちろんこれは職員の嘘だ。ローサが聞いた額は、キャラバンが冒険者を雇うための相場であり、綺麗な首を一人護衛するのならば、半分以下の価格で済む。
しかし、ローサがそんなことを知る由もない。
「どうしよう。これ以上は旅費が……」
旅には先立つものが必要だ。護衛の雇用費だけでない。食料をはじめとする消耗品や宿代、場合によっては馬などの足も必要になる。
一〇〇〇セニ以上が必要となると、ただでさえ先行きの見えない旅路が、さらに不安なものとなってしまう。
このローサが抱く不安は、職員にとって想定の範囲内だった。
「だけど、ちょっと仕事をするだけで十分な額を稼ぐことはできるよ?」
「本当ですか!?」
「もちろん。何でもする覚悟ある?」
「はいっ」
急がなければならないが、多少の仕事もしなければならないだろう。旅とはそういうものだ。ローサは姿勢を正した。
「じゃ、こっちに来いよ」
「えっ」
職員がカウンターを越えると、ローサの手首を掴んでぐいと引き寄せた。
ローサが本能的に恐怖心を抱いたその時だった。
ダンと音をたてて、正面のボロ扉が開かれた。
扉の方を見ると、プラチナブロンドの髪を持つ女性がこつこつと足音を鳴らして踏み入って来た。
傷だらけの彼女は背にライフル、腰のベルトには短銃とナイフを差し、手にはパンパンに膨れ上がった革袋を携えていた。
「カミラ……」
職員がばつの悪そうな声で、確かにそう言った。
「お久しぶりね、フーさん? お仕事も順調なようで何よりですわ」
上品な口ぶりとは裏腹に、言葉には強い怒気が含まれていた。
「い、いや無事でよかった! あの後、ダギーズの連中が集結してるって噂を聞いて心配してたんだ」
慌てて職員はカウンターの向こうのカミラに駆け寄ったが、彼女は躊躇なく革袋で彼の顔面を殴打した。
思わぬ重みをもっていた袋の中身に姿勢が崩れ、職員は無様に尻餅をつく。そんな彼を、カミラは見下して言う。
「あんなにおいしい仕事が転がってると思った私が馬鹿だったわ」
「おいっ、まさかその中身は……」
「喜びなさい。あなたが大金を賭けたものですよ」
カミラは革袋の封を解き放ち、中身を職員の股に向けて転がした。
それは白目を剥き、口をだらしなく開いていた。
紛れもない、本物の人間の頭部だった。
職員とローサはそれを人の一部だと認識した瞬間、すっと血の気が引いた。
「そっ、それって、ひっ、人の……」
現実を認識しきれていないローサの呟きに、カミラはちらりと視線を向けた。
すぐに興味を失うと、職員に視線を巡らせる。
「それじゃあ、報酬の時間ですよ。お前にしか頼めない~。だなんて依頼しておいて、報酬を用意してないなんて言いませんよね?」
「もっ、もちろん払う! 払うが……」
伏し目がちな職員の様子を見れば、皆まで言わずともわかる。この男、無理な依頼だと高をくくって報酬を用意さえしていなかった。
依頼とは、カミラを殺すための計画に過ぎなかったのだ。
そんな事は百も承知でここに訪れた彼女は、大仰な口ぶりで職員を責めたてた。
「あーあ。あなた、大変な事をしてしまいましたね? 冒険者と依頼者を仲介するギルドが、まさか嘘の依頼なんて……さあ、どうしてくれようかしら」
言いたいことを言い終えたカミラの瞳に、強烈な殺意の炎が宿った。
直後、ナイフの切っ先が職員に突き付けられた。その早さは、彼に身じろぎひとつする暇さえ与えなかった。
「ひっひっひっひっ」
職員は恐怖のあまり過呼吸の発作を起こし、ほどなくして失禁した。
「やーだ、汚らわしい。死にたいんですか?」
首をぶんぶんと振り回しつつ、後ずさる。
―――もうやめてくれ。許してくれ。全部俺が悪かった。
彼の口はそう告げていたが、まったく言葉になっていなかった。
「今さら許しを乞うても無駄よ。もう決めたから」
鋭いブーツの爪先が喉仏を正確に捉える。過呼吸を起こした人間にはつらい一撃で、職員は激痛と窒息に悶絶した。
「下種なあなたと違って、私は優しいの。だから、一撃で終わらせてあげます」
カミラが冷笑を浮かべると、刃が煌めく。職員を殺そうとしているのは明白だ。
突然すぎる状況に、部外者のローサは混乱していた。しかし、理由はどうあれ目前で殺人が行われるのは間違っている気がした。
勇気を振り絞り、ローサは歩み寄るカミラと這いつくばる職員の間に割って入った。
「ま、待ってください!」
全てを燃やし尽くしそうな怒りが、視線と共に送られる。
恐ろしい、視線に宿る炎に焼き殺されてしまいそうだった。
だが、ローサは退かなかった。
「なによあなた。そこを退きなさい」
「……わからないんです。どうして、こんな事をしようと?」
「何も知らない、部外者の癖に邪魔をしないでもらえるかしら。死にたいの?」
ぐうの音も出ない正論だ。ローサは殺されそうな職員はもちろん、カミラの事情さえ知らない。
彼女はもしかしたら、職員から殺されても仕方のない仕打ちを受けたのかもしれない。
しかし、かの英雄マーセルは言った。
全ての罪は論理的に処罰されなければならない。推測、ましてや偏見による理由で人を罰してはならない。
正当な理由があろうと、無闇な殺人が許されていいはずがないのだ。
「マーセル? 馬鹿ね、世界を股にかけたペテン師を信じるの?」
吐き捨てると、カミラはローサを軽々と弾き飛ばした。
職員を守る壁はもうない。
「私は慈悲深いの。だから、遺言を聞いてあげます。言いなさい、これがあなたの最期の言葉となるのよ」
首筋にナイフの刃が押し当てられる。あとは、これを引くだけ。
それだけで皮膚と肉は切り開かれ、寸断された動脈からは鮮血が噴き出す事だろう。
死ぬのだ。
「ゆ、ゆるじて……」
「さようなら」
カミラはナイフを振り上げると、柄頭で職員の後頭部を殴打した。
死んだかもしれないが、首筋を切り裂かれるより遥かに死ぬ確率は低い。
ポケットから出した布で丁寧にナイフを拭うと、カミラは職員の懐を探った。
「あ、あのっ。これって泥棒ですよっ」
「なによあんた。まだいたの?」溜息を吐くようにカミラは言う。「見ての通り、そこの男はロクに仕事もしない不良職員よ。仕事なら諦めなさい」
「でも……私には護衛が必要なんです!」
「へぇ、いくら持ってるのよ」
時間潰し半分にカミラは尋ねる。
どうせ、田舎の貧乏人がどうにかして人を雇おうとしたのだろう。それで、金が足りないからどうにかしようとしているに違いない。
で、この子はかわいいから、フーはその場で手籠めにするか売春宿に売り飛ばそうとでも考えていたに違いない。
これがカミラの邪推のすべてである。
「一〇〇〇セニです」
思わず荷物を探る手を止めて、ローサを見た。
「あなた、なにやらかしたの?」
「え? いえ。強いて言うなら、おばあちゃんとの約束を破って……」
「あー、そういうのいいから」
一〇〇〇セニ。フーが提示した金額のおよそ二倍。一年は無理だが、半年なら遊んで暮らすことができる額だ。
しかし、たった一人の護衛にこの大金とは。この少女、何を考えているのだろうか。
「あなた、そんな大金持ってギルドに来るとか死にたいの?」
「え? 大金って、どういう意味ですか?」
ローサは本気で意味がわからなかった。カミラも彼女の様子から嘘ではないと悟り、本気で呆れかえった。
「無用心でモノの相場も知らないって、一体ここ以上のどんな田舎から来たのよ」
「はい! えっと、ここから北東の方角に自宅があるんですけど……」
北東の方角に家。カミラの記憶が正しければ、その方角で最も近い民家は薬師が住む家だ。
シャンプーシャン村に滞在してそう長くないが、仕事の性質上、薬には世話になっていた。
医師の薬がなければ、カミラはこうしてこの場にいることはなかっただろう。
「へぇ。じゃあ、あなたが噂の薬師ってわけね。あなたたちの薬にはそれなりに世話になってるから、そこは感謝してあげる」
「ありがとうございます!」
「……そうじゃない」
「?」
―――どうも、この娘といると調子が狂う。
元々フーを殺す気でここに来たが、この少女が止めたせいで殺意が失せてしまった。
今だって、カネの話をしようとして少し逸れてしまっている。
―――気を取り直して。
「あなた、ギルドには護衛を探しに?」
「はいっ。シャンナン山に行きたいんです!」
「また辺鄙な場所ね。理由を聞いていいかしら」
高額な依頼ほど危険が伴う。場合によっては、依頼そのものに嘘が含まれている可能性だってある。
それは彼女が身を以って証明している。
だからこそ、蜂蜜のような依頼には情報を集め、裏を取らなければならないのだ。
「シャンナン山に自生している、ヤーの草を手に入れなければならないんです」
「薬師のあなたの事だから、薬絡みかしら?」
「おばあちゃんが重い病気で、治す薬を作るのに必要なんです」
カミラもシャンナン山の事は知っていた。そこでは、珍しい草花が見つかる場所だと聞いている。
ローサの話は筋が通っているように聞こえた。
「で、報酬は一〇〇〇セニ。片道か、それとも往復?」
「あっ……行くことばっかりで、帰りの事考えてなかった」
「ふぅん。じゃあ、片道一〇〇〇セニね」
往復で二〇〇〇セニ。どうせ帰りは薬師の家だろうから、帰りの分はそこで請求すればいい。
こんなにもあっさり大金を出せるのだから、寝ぐらにはそのぐらい溜めているだろう。
カミラは決意した。こんないい金づるを、他の汚らしい冒険者に渡せるものか。
「ねぇ、あなた。私を雇ってみない? 自分で言うのもなんだけど、腕は確かよ」
「本当に自分で言うのもあれですね……」
「んな事どうでもいいのよ。雇うの、雇わないの? ギルドは見ての通り機能不全状態。受けてくれる奴がいても、あなたの身ぐるみ剥がして消えるようなクズばかりよ」
その言葉で、ローサの脳裏にダギーズの恰好をした怖い人たちの姿が浮かんだ。
「ま、私がそのクズでない保証はないけど。嫌なら、隣の酒場で信頼の置ける仲間を探すといいでしょう」
カミラは美しい容姿に似つかわしくない、卑しげな笑みを浮かべた。