入学式前日
リハビリ作品です。宜しくお願いします。
突風が駆け抜けた瞬間に思わず固く目を閉じた伊達 司が、目を開けると桜吹雪が起きていた。
ピンク色だ…。何気なく手を伸ばしたと同時に後ろから声をかけられ振り替えると、見知らぬ少女‐制服のリボンを見て下級生とだけは判ったのだけれど‐が立っていた。
「僕に何か用?」
下級生は顔を真っ赤にして頷いたから、司は思った。
(あ、これは告白かも…)
司の困惑をよそに、下級生は深呼吸をひとつすると、
司に視線を合わせる。
「2年A組の笹木睦といいます、春休みに駅前で絡まれているところを助けていただきました」
ここまで一息。
そんなことあったかな?春休みなんてついこの前、そもそも今日が始業式だ。
駅前、駅前といえば…そんなことがあったような、なかったような?
あったとしても、特に顔なんて覚えていない。
「そうなんだ、でも、特に何かをした訳じゃないし、気にしなく…」
「いえ、でも本当に助かったので…」
と、被せ気味に続けられた。
(お、おう…)
下級生の勢いに若干引きながら、距離をとった。
「そ、そう?わざわざお礼を言いに?ありがとう。それじゃあ」
さようなら、とはやはりいかないようで。
「いえ、先輩、以前から素敵だとは思っていたんです、でもあの時一目惚れしました、付き合って下さい」
誤魔化しは効かない真剣な告白、聞かなかったことにはできないと、司は小さくため息をついた。
「ごめんね、そう思ってくれるのは光栄だけど、君とは付き合えない」
「伊達先輩、彼女さんとかいないですよね?お試しとかでも良いんです、私のこと知ってください」
そういう流れだよねー、面倒だなぁ、とはおくびに出さず司は眉を寄せて首を横に振った。
「ごめんね、ササキサン。司は僕と付き合ってるから、君じゃ無理だよ」
いつの間にか現れた少年、南條 樹は司の首に腕を回して抱きつきながら言った。
「え?南條先輩!?」
「は?樹?」
少女と司は突然の登場とその台詞に目を丸めた。
現れたのは我が校始まって以来の成績優秀、容姿端麗な生徒会長様だった。
「なーんてね。でも僕達受験生だし、生徒会も引き継ぎまで色々忙しいから、多分デートの時間は譲ってあげられないよ」
クスクス笑う少年は妖艶だった。
「い、いつっ!?」
司の首にまわした腕を少しだけほどき、肩を組む状態になって目の笑っていない笑顔で下級生に告げる。
「司に目をつけたのは良い趣味だとは思うけどね、お礼は聞いたしもう行っていいよね、ササキサン?」
それを聞くと、下級生は真っ青になって首を縦に何度も頷き踵を返すとその場から離れた。
司があっけに取られてそれを見送っていると樹は機嫌を伺うように顔を覗き込む。
「断っちゃったけど、迷惑だった?」
さっきまでの冷たい笑顔が嘘のように幼く見える。
司は肩をすくめて笑った。
「いや、困っていたから助かったよ。でも樹、いつから居たの?あの子が自己紹介したの一番最初だったと思うんだけど」
最初からいたなら、もっと早く助けてくれたら良かったのに、と司は口を尖らせた。
「いや、君とはつき合えない〜辺りからかな。名前は祥と尚のクラスメートだったから何となく覚えていただけだよ」
祥弥と尚弥は双子の兄弟で樹の従兄弟だ。
樹と零士も一卵性の双子だし、そんな家系なんだろう。
それにしても、司は思った。きっと樹だったら全校生徒の顔と名前が一致していても不思議ではないと。
だがそこはスルーするのが賢い選択。
「そ、そうなんだ。で、生徒会長自らお出ましの用件って?」
樹の腕から抜け出て司は尋ねた。
「あれ?忘れちゃった?入学式の打ち合わせだよ?」
この学校では基本的な行事運営は生徒会に実権があり、企画、運営を執り行う。
おかげで生徒会長に選出された樹から副会長に指名され、うっかり生徒会に入ってしまった司も行事に追われて忙しい毎日を余儀なくされていた。
「あ、そっか。卒業式が終わったらもう入学式かー」
「今年は優希椰とのえるが入学だから最後とはいえ、楽しい一年になりそうだね」
その言葉と表情に司はおや、と思った。
本当に樹が嬉しそうに笑ったからだ。
その時、樹のスマートフォンが鳴った。
「あ、零士だ。司ちょっと待ってね。もしもしー、どうしたの?」
離れていてもスピーカーから響いている零士の声に司は顔をしかめたが、樹は微笑んですらいる。
(樹の弟馬鹿)
『いつー、どこにいるんだよー打ち合わせー』
「ああ、ごめんね。ちょっと野暮用でさ。今から司と一緒に行くよ」
ああ、自分と一緒だなんて余計なことを言わなくてもいいのに、と司がこっそり思った。
樹はブラコンだが零士は樹以上にブラコンだ。
自分以外の人間が兄に近付くのをものすごく嫌がる。
「ちょっ!いつってば司と一緒にいるの?なんで?おい司、いつから離れろ、このむっつりスケベ」
意味が解らない。
さすがに樹もスマホから耳を離している。
「なんで樹と2人で居る事がむっつりスケベなんだよ」
司が小さくつぶやくと樹が静かに笑った。
「零士、すぐに行くから変な事言わない。じゃあ切るよ」
スマホの向こうで零士はまだ叫んでいたけど問答無用で樹は通話を終了した。
そして司と目を合わせると何かを企むような笑顔。
「零士はね、司が僕に変なことをするんじゃないかって思っているんだよ」
「変な事?」
「そう、こんなこと」
そう言うと樹は司の後頭部に手を回して顔を引き寄せる。
あっという間もなく、樹は司の唇の横にキスをした。
「いいいいいいいいいいつ!????」
手の甲で口を押さえながら司が後ずさる。
「司。『い』が多いよ。ごめんね、冗談だけど、嫌だった?」
司の後退り様に樹は悲しそうに目をふせる。
「いや、驚いたからであって、別に嫌という訳では…あ、俺一回教室に鞄をとりに行ってから生徒会室に向かうよ」
そんなに嫌じゃなかった事実に戸惑い、取り敢えず落ち着くべく、司は樹から離れる事を選んだ。
「つき合うよ?」
「大丈夫、早く行かないと零士がまた騒ぐし」
「そう?じゃあまたあとで」
樹と別れると司は桜並木を校舎に向かって戻る。
始業式早々告白なんて面倒だった。
中学に頃は断るのも面倒だし可哀想だと思ってつき合ってみた子もいる。
でも全然楽しくなかった。
あの子以上に好きだと、愛しいと、心が暖かくなることはなかった。
ずっと探しているあの子。
今となったら、夢だったのかも知れない。
名前なんて知らない。顔だって覚えていない。
けれど、悲しい顔をして優しく笑っていた気がする。
特別な何かがあった訳じゃない。
むしろ何もなかった。
名乗り合う時間すらなくて、覚えているのは小さくて暖かかった手と、赤い浴衣。
…幼かったあの時は自分には、己の身に何があったのか理解できなかった。
でも今なら理解できる。
出会った瞬間に襲われた、眠っていた何かを叩き起こした感覚。
きっと他の誰でも駄目だと、あの子以外にあの満たされた高揚感で包まれることはないのだと。
桜吹雪の向こうに面影を求めて目を凝らしても、勿論見えることはないのだけれど。
ため息をついて司は教室に戻り、カバンを持って部室棟の一角にある生徒会室を目指した。