一緒に花火を見よう
若菜には、赤ちゃんだった時からずっと一緒にいる、湊という幼馴染みがいる。彼とは家も隣同士で、若菜の部屋にある2つの窓のうち、机の横にある小さい窓を開けると、すぐ目の前に湊の部屋の窓があり、そこから毎日のように話していた。
「おい、若菜ぁ!」
この日も、若菜が自室で夏休みの宿題に取り組んでいると、外から湊の声がした。すぐ横の窓を見ると、向かいの窓から湊が身を乗り出して大きく手を振っていた。
若菜は窓を開ける。
「窓から落ちるよー」
「落ちねぇよ!」
「で、なんの用?」
そうそう、と彼は言う。
「今週の日曜日にある夏祭り、一緒に行かない?」
「やだ」
即答だった。
「…双子もいる」
「じゃあ行く!」
湊が言っている双子とは、若菜と湊の友人の福原 春真と環那の双子の兄妹のことである。
「何だよ、それ」
「それって?」
「だから、さっきのお前のっ…」
そこまで言ったが、湊は下唇を噛み、そしてため息をついて言った。
「いや、なんでもない」
(こいつ、どうせ即答で断ったの無意識だよな…)
次の日の昼頃、若菜は環那に電話した。
「ねっ、環那! 日曜日にあるお祭り、行くんだよね!」
『うん、春真と湊くんも一緒に』
「私、環那と春真と一緒に屋台まわるの楽しみ!」
ほんの少しの沈黙。
『湊くんは?』
「んー、湊とお祭り行くのも、楽しみだとは思ってるよ。でも、何ていうか、毎日と言っていいほど会ってるからさ、その…」
『…飽きたってこと?』
「そういうこと!」
『そんな明るい声で肯定されても! 湊くんかわいそう!』
若菜は目を細め、口を尖らせた。
「だってー…」
呆れたような、笑いを含んだため息が聞こえてきた。
『そういえば、お祭りの日は他に何があるか知ってるよね?』
「え? 他って?」
『ほら、その日は何日よ』
「えーっと…あっ」
このとき、若菜が芸人顔負けのアホ面をしたのは、言うまでもない。
「仕方ないから、お祭りの時に何か奢ってあげる」
「なんで、そんなに偉そうなんだよ」
電話を切ったあとすぐ、若菜は机の横の窓を開けて湊の名前を叫んだ。5回ほど叫んだところで、鬼のような顔をした湊が「うるせぇ!」と怒鳴りながら出てきた。
そして、今に至る。
「え、奢ってほしくないの?」
「俺ガ悪カッタデス。スミマセンデシタ。オゴッテクダサイ」
棒読みだったが、若菜は満足そうに頷いた。
「ていうか、何で急に奢るとか言い出したんだよ」
「私がとっても優しい女の子だから」
一瞬、湊の動きが止まった。
「今のは聞かなかったことにする」
「だから、私がっ…」
「とっても優しい女の子だから、とか言ったらぶん殴るぞ」
若菜は口をへの字に曲げ、目をキュッと細くした。湊の冗談は冗談に聞こえない。
「…機嫌がいいから」
「そう、か…」
(あ、信じてくれてない!?)
まぁ、確かに機嫌がいいからっていうのはウソだけれども。
実は、夏祭りの日は湊の誕生日でもあった。若菜は、彼の誕生日を忘れたわけではない(と、本人は言っている)が、プレゼントを用意する時間等が足りなかったので、夏祭りに何か奢ってあげようと考えたのだ。
「ドタキャンとかやめてよ?」
「しねーよ。お前こそやめろよな!」
「しないってー」
「…とか言ってたのに」
夏祭り当日、湊は自宅のソファに腰掛けて頭を抱えていた。
「今日になって熱出すとか、アイツふざけてるのかよ!」
今朝、若菜から電話がかかってきた。熱が出たから行けない、と辛そうな鼻声で言われた。
『でも、若菜らしいじゃんか』
左手に持っている受話器から、春真の困ったような声が聞こえてきた。
「ドタキャンするのがアイツらしいって何だよ。最悪じゃねーか」
『なんだよ。お前、そんなに若菜と夏祭り行きたかったのか?』
顔が見えなくても、春真がニヤニヤしていると分かることができた。
『あっ、分かった。湊、若菜のこと好きなっ…』
「変なこと妄想してんじゃねーよ。ただ、いつもどんなときも一緒だったのに、夏祭り一緒に行けないのかって思うと何か、その…スッキリしないっていうか…」
『…お前ら、一心同体か』
「そんな感じ、なのかな。アイツはどう思ってるのか知らないけど。ていうかアイツ、自分抜きで楽しんでとか言ってたけど、そんなの無理に決まってるだろ」
『確かに。4人で楽しみたいもんな』
2人は、うーんと唸った。
「あっ。なあ、春真。お願いがあるんだけど」
『え?』
20時頃。
ほぼ1日眠っていた若菜は、この時間にもなるとほぼ熱は下がっていた。
「お祭り行きたかったなぁ…」
自室のベッドに寝転がったまま、天井を見つめながら自分でもびっくりするくらい暗い声でつぶやいた。
せめて、花火ぐらいはみんなで見たかったなぁ。
若菜以外誰もいない部屋に、彼女のため息が大きく響いた。
そのとき、外から花火のパーンッという乾いたいい音が聞こえてきた。
(花火はちゃんと見ようかな)
きっと今頃、湊たちは夏祭りの会場のどこかで、3人仲良く花火を見てるんだろうなぁ。
机の横の窓を開け、外に顔を出す。若菜の母曰く、家の中では、ここから見る花火が一番綺麗なのだそうだ。
見上げると、大きな緑色の花火が咲いていた。
「やっと顔出したか」
「…って、えー!? 湊!?」
今頃夏祭りに行っているはずの湊が、窓辺に肘をついてこちらを見ていた。
「びっくりしすぎだろ」
「びっくりするよ! お祭りはどうしたの?」
湊は、こめかみを掻いて苦笑した。
「予定変更っていうか…。花火、一緒に見てやろうと思ったんだ」
大きな花火が打ち上がり、湊の顔に赤い光が反射した。
「あっ、もしかして私に惚れ
…」
「頭おかしいんじゃねえの」
若菜は、大げさな泣き真似をした。
そんな彼女を見て、湊は呆れたようなため息をつく。
「春真たちは、今お前のためにお土産買ってる」
「お土産!」
若菜の顔が、パッと明るくなった。
「環那がめちゃくちゃ張り切ってたぞ」
「おお! さすが環那! あっ、たこ焼き買ってくれるかなぁ?」
今度も、赤い花火が打ち上がった。
「熱が出たとは思えないぐらい元気だな、お前」
すると、急に彼女の顔が暗くなった。
「…若菜?」
湊が、失言したのかと焦ったような顔をする。
花火の爆発音と同時に、若菜は口を開いた。とても小さい声だった。普通なら聞き取れないが、湊にはハッキリと聞こえていたらしい。
「どうして謝るんだよ」
――ごめん。
そう彼女は言っていた。
「だって、奢るって言ったじゃん」
湊は、そういうことか、と笑って言った。
「でもお前、どうせ100円以内とか言うんだろ?」
若菜は、開きかけた口を閉じた。
「図星か」
「うっ…」
3,4発連続でパンッという音がし、いくつもの黄色い花火が打ち上がった。
「本当の目的は何だよ」
「え?」
「若菜が奢るとか言い出した、本当の目的」
今になって急に恥ずかしくなり、若菜は口をキュッと閉めて唸った。それでも、湊は何も言わずにじっと彼女を見つめて答えを待っていたので、しぶしぶ口を開いた。
「今日、湊の誕生日でしょ?何か買ってあげたいなって思っただけ」
「誕生日プレゼントか。それなのに、100円以内かよ」
「だって金欠なんだもんー」
湊は苦笑して、首を左右に振った。
「でも俺、これでいいや」
「これって?」
彼の微笑みに、花火の青い光が反射する。
「若菜と花火が見られるなら、それでいいよ」
(何言ってるのこの人)
悪い意味ではなく、いい意味で湊がいつもとは違うように見えた。――いつもよりも、かっこよく。
「何そのセリフ。湊イッケメーン!」
湊の目つきが鋭くなる。
「だけど、湊に合ってないなぁ。一瞬引いちゃった」
「おい、殺すぞ」
「イヤですごめんなさい」
速攻で謝った瞬間、今までよりも一際大きな爆発音が辺りに鳴り響いた。見上げると、内側が黄色く、外側が青い大きな花火が打ち上がっていた。
「うわぁ! すごい! あっ、写真撮らないと…って、ケータイの電源切ってたんだ!」
若菜は1人で騒いでいると、外からカシャッというカメラのシャッター音がした。顔を上げると、湊が花火に自分のケータイを向けていた。
「あとで送ってやるよ」
「ありがとう!」
満面の笑みで言った。花火に負けないくらい、とても明るい笑顔だった。それにつられて、湊も微笑む。
花火のパーンッという音が、連続して聞こえた。夜空には、赤や青、緑などの無数の小さな花火が咲いていた。
少し遅れて、それらの花火よりも一回りも二回りも大きな金色の花火が、堂々と空の真ん中に咲いた。
「湊! これも撮って!」
「分かった、分かった」
「それと、湊!」
「何だよ」
空にケータイを向けながら、横目で彼女を見る。
「お誕生日おめでとう!」
「…おう」
照れ隠しのためか、湊は空に腕をピンと伸ばし、自分の腕で若菜の顔を視界から遮った。
読んでくださり、ありがとうございました。