ヤンデレエンドの顛末と、選ばれなかった男の話
魔性の女の話をしましょか。
女は類稀なる美貌を持ち、多くの男を惑わし、国を滅ぼさせる。
誰も彼もが抗えぬ声音。誰も彼もが屈服する魅力。誰も彼もが組み伏したくなる肉体。
その全てを持ちながらも、心根は善良で素朴な娘でしかないのだから救われぬ。
狂気を振り撒く美貌。狂気に染まる男達。狂気に晒される自分。
これで女が狂わぬ筈があるまい。
女は生き続ける限りに、望まぬ未来を歩まねばならない。
――――豪奢な財宝、世界の覇道、この世の楽土。
――――穏やかな生活、ささやかな幸福、愛に満ちた家庭。
望まぬ全てが手に入る美貌だが、望む全てを失う美貌であり。
最早これが呪いでなくて、何と言えようか。
*
誰よりも憎んだ男の身体の横で、この世の存在とも思えぬ程の美貌の女は無言で惨状を見下ろすばかり。
豪奢なドレスに染み渡る鈍い赤色ですら、女の魅力を際立たせる化粧の如き有様で。
むせ返るような鉄の匂いすら、女の魅力を更に際立たせる香水の如き有様で。
悪虐の魔女、魔性の神子、傾国の女。
賞賛と侮蔑に満ちた呼び名は数知れず。
けれども、この女の身分を示す耳飾りは、鈍い銀色を持って静かに主張した――――この女こそが、王妃だと。
そして、その王妃の側には男が一人。
王妃が宝石の散りばめられた懐剣を手に王の胸に飛び込んだ瞬間から、その一部始終を見ているばかり。
無言でひたすらに王に剣を突き立てる様子を、唯無言で見ていた男は漸く口開く。
「……気が済んだのなら剣を抜け、馬鹿が。それでは失血しない」
「もう何箇所も刺していますもの。この剣を抜かずとも、他の傷から失血しましょう」
玉座から崩れ落ちた王の身体に突き刺さった剣は一本だが、その身体には既に幾つもの傷があり。
誰がどう見ようとも致命傷。
どれだけの数の医師を集めたところで、この王は既に助かるまい。
それでも男の言葉に従い剣を引き抜くものだから、血が溢れて床の染みを無暗に広げるばかり。
豪奢な織物が汚い血色に染まってく。
どくどく、じわじわ、染まってく。
「念入りな事だ」
「今までの恨み、と申しましょうか。仕方がないではありませんか」
私にここまでさせる程の無体を働いたのだから、ところころと鈴の鳴るような声で王妃が続け。
王にどことなく似た顔立ちの男は苦々しげに顔を歪め。
共犯者は密やかに声を交わし続け。
誰も聞いてはならぬ秘密を暴露。
「これで終わりましたわ。ご協力ありがとうございます、王太子殿下」
「王の護衛を下げさせただけで、こうなるとは思っていなかったのだがな」
聞いて驚く事無かれ。なんと、元々、女の許嫁だったのはこの王太子。
けれども二人の間に恋は生まれず、愛は育めずかつての少女は王妃となった。
思い返せば八歳歳上の王子との婚約には、ただただ打算に満ちるばかり。
落ち着いた兄といった風情の王太子はまだ遊び盛りの少女とは話も合わず、片手で数える程しか会うことも無くて印象も然程残らずに。
けれども、王族との結婚などそんなもの。
幼き日の王妃とて期待はしない。
王太子に嫁げば彼等は線を引きつつ義務として子を成し、穏やかに王族としての役目を果たすのみ。
少女はずぅっとそんな未来を信じてた。
社交界に出て、王に見初められてしまうまでは―――。
「さて、王殺しの王妃よ。これでお前は罪人となった。言い逃れは出来まい」
「分かっておりますとも。私は私であるという事が罪なのです。巷では噂になっていたのでしょう?――王を惑わし、悪虐の限りを尽くす魔性の女、と」
「それも仕方あるまい。お前の美貌は傾国のそれだ。民の評価は正しい。実際、」
パリンと、ガシャリと、汚い音が割れる。
外から硝子が割れる音が響き、王太子の言葉が切れる。
暴徒の怒りの声がする。
民の希望を謳う声がする。
もう既に、革命を謳う者達がすぐ近くまで迫っている証拠。
けれど時間は無くとも、王妃の心は湖の様に凪いでいる。
鈴のように可憐な声が震えもせずに言紡ぐ。
魔性の瞳を潤ませもせずに淡々と。
「実際、王は私を手に入れてから狂われたのですものね」
――王妃に近づく異性には死刑を!
――王妃に触れる同性には処罰を!
最初は王妃に花を献上した庭師、次に実家からの使者、果てはドレスを採寸しただけのお針子まで。
後宮から次々と人間を追い出し、日がな一日王妃と二人、愛に溺れるその様は狂っているとしか思えずに。
王妃の笑顔を見る為に、王は多くの財宝を徴収し、国庫を荒廃させて。
王妃が興味を示すものがあれば、国中からそれを取り立てて。
王妃が気にする者があれば、嫉妬のあまりその者を公開処刑にし。
それまでの治世を覆すがごとく、悪逆の限りを尽くす。
ついに王妃は美貌で王の関心を引き後宮に繋ぎとめ、国内を荒廃させる魔性の女、と呼ばれるまで至る。
絢爛豪華な後宮は古今東西の財が集められ、王妃の為に創り上げられた楽園。
けれどもその実態は。
誰にも助けを請えぬ王妃が、怯えながら狂った王に愛を囁く牢獄で。
誰かに話しかければ折檻され、誰かに触れられれば幾日も陽の目を見れぬ生活で。
民に恨まれた王妃を救おうなどという存在は、終ぞ現れる事もなく五年の月日が流れていた。
そんな日々に、遂に耐えきれず王妃がその凶刃を振るうまで。
重い溜息を吐いた男は扉にもたれていた身体を動かし、倒れ伏した王の顔に手をやり、目を閉じさせる。
親の死を嘆く様子は無いけれど。
王の死を喜ぶ様子は無いけれど。
男の死を憐れむ様子は無いけれど。
眼差しに宿る心は如何とも表現できず。
ただただ自分に似た男の死体を見つめながら、朗とした声で言葉を紡ぐ。
「放っておけばこの男は近い内に死んでいた」
「知っています」
「自然死ならば、お前には未亡人として爵位を授けて片田舎に送るつもりだった」
「そうなるだろうとは思っておりました」
王妃の鈴の声に、男の声が乗る。
何故、と問う低い声が鈴の声に絡み奏で。
うっそりと笑う王妃の儚い美貌を彩るばかり。
「籠の中の身なれど、王がどれ程ご無理をお通しなさっていたのかは存じ上げております。そして、代替わりを望む声が高まっていた事も」
王妃は全てを知っていた。
「殿下が王に毒を盛ってらっしゃった事も、実家の者がそれを手助けしていた事も」
自分が多くに憎まれながらも、多くに愛されている事を。
――自分も彼等を愛している事を。
「民を蜂起させ、革命を起こそうとしている人が居る事も」
王が民に見限られ、新しい王を立てようという動きがある事を。
――それが誰によるものかという事も。
「あと二月もせず、この鳥籠の中から貴方様に助け出されるであろう事も」
自分を愛する者達の駆け引きを。
――そうして行きつく最果てを。
だから、全てが終わるその前に。
全ての結果が出るその前に。
全てが報われるその前に。
王妃自ら手を下す。
ぐさり、と全てを打ち壊す。
「ならば、何故王を自らの手で殺そうなどと考えた。五年も耐えたのだ。あと二月が待てぬという事もあるまい」
その問いに、王妃は小さく小さく微笑んで。
恋する少女のように微笑んで。
濡れた赤い手を胸元に。
極上の声で囁いて。
「どうしようもなく憎い相手ではありましたが、それ故に、最期は私だけを見ていて欲しかったのです」
「―――こいつは色狂いの馬鹿者だったが、お前はそれに輪をかけた阿呆だな」
心底呆れたと言わんばかりに肩を竦めて見せる男に、全くです、と返す言葉は軽やかに。
本当に人の心はままならない。
まだ世の汚れた面を知らない少女であった王妃は、無理やりに寝所に連れ込まれ、世間から隔離され、牢獄のような後宮に閉じ込められた。
恨みを抱く以上に、狂気の中で怯え続ける五年間。
けれども彼女は魔性の女。
「怯え、震え、何も出来ぬままに助けを信じて泣き暮らしてれば良かったものを――――結局あの男を愛したのだ。質が悪い。やはりお前は稀代の悪女だ」
王妃は愛されるべくして生まれた美貌。
王妃は狂うべくして生まれた魔性。
絶える事なく愛を注ぎ続けた王に、鳥籠の中で自分と触れ合えるただ一人の存在に、愛を抱かずにはいられない。
絶対的な権力者。逆らえぬ存在。
歪な関係性で、まともな状況下で抱く感情ではあるまい。
けれども王妃は小さな鳥籠の中で唯一の存在に依存する。
うっかり、しっかり、恋に堕ちる。
その目に他の誰かが映る事を嫌う程の泥沼に。
罵る言葉が心地よい。
嘲る言葉が心地よい。
この王太子は心の底から言葉を吐くが、その言葉は全て王妃の愛を証明するもの。
子を成せず、人を殺め、国を滅ぼす愛だったけれど。
確かにそこにあったと証明する。
「お前は毒花だ」
「相変わらず口の悪い……そう言えば、貴方様は中々狂いませんでした。耐性でもあったのかしら」
「……幼い頃のお前には既に魔性の色があった。だから距離を取った」
あのまま婚約者として度々接触していたら、男も王と同じように狂っていた可能性は否めない。
この静かで、民を考え、民の為ならば王すら見殺しにするような、賢い男ですら狂っていたかもしれぬのだ。
警戒心を持って自分に近づくならばある程度は美貌に陥落せずにすむだろうが、結局は時間の問題。
最善は王妃に近づかぬ事。
けれど、王妃と男は何度も会っていた。
幼いままの、好意をあげていた。
「最後の最後ですから、聞いて差し上げます。本当はもう私に陥落なさっているのではなくて?」
「それはないな。俺はお前のような悲劇気取りの女は嫌悪の対象だ。愚か過ぎて反吐が出る」
だがまあ、と言いにくそうに、苦虫を踏み潰したかのように顔を歪めながら続く言葉は。
「お前を後宮から助けだしたいと思う程度には、情はあった」
一拍の後に、今度は苦虫を潰したように王妃の顔が歪むばかり。
次の王に、次の覇王に、情があると言われてこんな顔をする女もそういまい。
けれども王妃は鈴の声音を強張らす。
もう少しで国を本当に滅ぼすところだったとこぼしながら。
「笑えません、それは」
「俺もお前の笑顔なんぞ見たくない」
「あら、王は私の笑顔はどんな財宝よりも魅力的だと評してくれたというのに――息子とは趣味が違ったのかしら?」
悪戯に微笑みを浮かべれば、男は鼻で笑って受け流す。
誰もが愛する微笑みも、男に掛かればただの動作。
故に王妃は男に心を許す。
故に男は王妃を見抜く。
「後宮に上がってから、お前が本当に笑った事なんぞ無い。王の前でさえ常に作った顔だ。それが好きとは、またなんとも偏屈な趣味を持っていたのだな」
「……あまり会うことはなかったとは言え五年も義母をしてあげてましたのに、騙して差し上げられなかったのね」
「阿呆。お前が幼子だった頃からの付き合いだ。それぐらいは見ていた」
強大な権力を持ち、屈強な身体を持つ男に――自分の笑顔に狂ってしまった男に組み敷かれた恐怖は、王妃の中に未だある。
王に見せたのは、たった一度の心からの笑顔。
王妃の美貌は魔性の美貌。
王妃の笑顔は傾国の微笑。
穏やかで、誰よりも民を愛し愛される、尊敬すべき王。
そんな王が少女の微笑みがきっかけで、たった一夜で豹変し、狂う程。
魔性の美貌には、傾国の微笑がよく映えた。
けれども王妃の心根は。魔性に隠れた心根は。
慟哭の涙が良く似合う、純朴さ。
「安心しろ。お前が笑える時など二度と訪れはしない。俺が訪れさせない」
王妃は男の頭の先から爪先までじっくりと見つめ、困ったように苦笑し、溜息を吐くばかり。
心に響く言葉は口に出せず。
心に渦巻く言葉を視線に乗せて。
ほんの少し心に過った悪戯を、意趣返しだとばかりに鈴の声に乗せ。
どうせ死ぬのだから、と最後くらいはこの魔性を制御出来るのではないかと考え。
「……貴方も本当に、全く、いい男ですねぇ。あのまま貴方と結婚してしまえれば、幸せになれたのかも」
「―――頃合いだ。その言葉に俺が惑わされる前に終わらせてやろう」
腰に提げた剣を引き抜くと、男は真っ直ぐに王妃の首に突き付ける。
真摯な瞳が、ひたりと魔性の貌に焦点を充て。
これは恩赦だ、と男は朗とした声で告ぐ。
新しい王となる自分からの恩赦だと。
「お前の身体を暴くのは、お前の最愛の王が最初で最後だ。この私が保証してやる。お前の女としての名誉は、我が子孫が途絶えるその時まで護ろう」
王殺し、となれば処刑は免れない。
例え行き着く先は同じであったとしても、ここで死ぬ事が最善。
魔性の美貌は王妃が望もうと望むまいと、多くの男を惑わし狂わせる事は容易く想像出来る。
投獄され人目から隔離されてしまえば、権力という鎧を失ってしまえば、愛した王との思い出を全て塗り替える程の地獄が待っている。
この美貌はそういう定めの元にある。
故に、王妃は王に剣を突き立てた時には覚悟はついていた。
これから待ち受ける、自分という意思を蔑ろにされ、女としての尊厳を貶められる日々を。地獄のような日々を。
はらり、と頬に流れ落ちる。
女神の如き清らかな滴が流れ落ちる。
愛した王の感触だけを抱いて死ねるのならば、何と幸せな事だろう。
男達の無遠慮な手に汚されずに済むならば、何と幸せな事だろう。
王妃にとって王太子とは、最期の最期まで優しい男だった。
愛はなくとも、穏やかな生を共に歩んでくれただろう男だった。
最早王妃には何も無い。
全てを剥ぎ取られた五年間。
愛は王に捧げ。
生は腹から流れ落ち。
残せる物は何もない。
私がしてあげられるせめてもの事は。
この男が示した誠意に応えてあげる為には。
「それでは稀代の悪女からの最後の贈り物よ、王子殿下」
王殺しの魔女の首、貴方の治世の幕開けに相応しいでしょう?
精一杯の作り笑顔の下で、かつてのように安らかな気持ちに微笑みながら。
訪れなかった未来への未練を、断ち切るように。
手に入れた思い出を、愛おしむように。
「ああ。さらばだ、俺の――」
*
叡智の王の話をしましょうか。
気高き心根。美しい顔立ち。冴えわたる治世の才。
先王を殺した魔女の首を掲げ、国に巣食った魔女の呪いを裂き、その輝かしい時代を切り拓いた。
魔女によって荒廃した国を建て直し、貧しき者に手を伸ばし、富める者を諌め。
全ての民を平等に愛し、全ての民を平等に導いた。
彼こそが、誰からも愛され、今なお敬愛される叡智の王。
――――けれども、彼は唯一の存在に愛される事はなかった。
おうさま が はなしかけてきた!
きんちょう で かたまる
>えがお で こたえる
そんな風に選択肢をミスった王妃様です。
王子とのハッピーエンド、あったようでありませんでした。
仮面夫婦orヤンデレ監禁・王子version。