エースとして、キャプテンとして
ブルペンでマスクを被って待っていたのは、二年の最上だ。
彼は、内藤の後釜。
言わば、今後明秋のキャッチャーを担う男だ。
「キャプテン、俺が受けます」
最上が僕の球を受けるのは、紅白戦以来だ。
あの頃に比べると、随分成長したものだ。
『明秋の将来も明るいな』
僕は堂々とした最上を見て、そう思った。
「最上、それじゃ遠慮なく行くぞ」
「はい、キャプテン」
僕自身、"キャプテン"と呼ばれることに抵抗があったが、最後の最後に来て、それもすんなり受け入れることが出来るようになっていた。
白球の感触を確かめ、振りかぶる。
――ズバァァン――
指先から白球が離れた瞬間、手応えを感じる。
腕も振れているし、肩の調子も悪くない。
逆に以前より、球が走っているようだ。
「キャ、キャプテン。凄い球威です」
「そうか?」
自分で手応えを感じながらも、照れ臭そうに最上に返す。
「よし、投げれるだけどんどん行くぞ!」
「はい!」
それから、二十球程投げ込んだ時だった。
――キィィン――
『ワァ――――っ!』
グラウンドから、悲鳴に似た歓声が響き渡る。
ランナーが一塁に出たのと同時に、マウンド上の須賀が膝を着く。
「須賀――っ!」
内藤達は、すかさずマウンドの須賀に駆け寄る。
投球に集中していた僕は、事態が飲み込めずキャッチャーの最上にボールを渡し、ベンチに向かった。
「監督! 須賀の奴、どうしたんですか?」
「お前見てなかったのか?」
「はい、投球に集中していたもので……」
「そうか……あの野郎、ピッチャーライナーをまともに受けやがった……」
「何だって?」
僕は気が動転していたのか、無意識のうちに監督にタメ口をきいていた。
マウンド上の須賀は、内藤達に抱えられながら鼻血を流していた。
「万事休す……だな。山岸、あまり時間をあげられなかったが、行けるか?」
「はい、行けます」
「やっぱりお前は明秋のエースだな。よし、残り一つアウト取って反撃だ。頼んだぞ」
「はい!」
マウンドから引き上げて来た須賀は、僕に"すまない"と手を挙げた。
僕の方こそ、謝りたいくらいだ。
本来須賀は先発向きではない。
それなのに僕の"穴"を埋める為に、八回まで投げ抜いたのだ。
感謝の言葉しか見付からない。
「きっちり抑えて、最終回に反撃だ!」
僕は気合いを入れ直し、アナウンスを待った。
「ピッチャー須賀君に代わりまして、山岸君」
何度聞いても心地好い、ウグイス嬢の声。
やっと、僕の夏がやって来た。
そんなこと思いながら、僕は須賀の介抱を終えた内藤と、マウンドに駆け出した。
「山岸、肩、大丈夫なのか?」
「心配ない」
「そうか、その顔は心配なさそうだな」
内藤はそう言うと、マウンドを降りマスクを被った。
投球練習を終え、試合再開だ。
ツーアウト、ランナーは一塁。
久しぶりに投げるには、まずまずのシチュエーションだ。
須賀にピッチャーライナーを浴びせた一塁ランナーを警戒しながら、セットポジションからの投球。
――ストライク――
まずは内角低めに、直球が決まった。
その瞬間、甲子園全体の空気が変わったのを肌で感じた。
――甲子園で投げれる喜び。遠回りしたけど、無駄ではなかった――
野球が出来ることに感謝しながら、内藤のサインを受ける。
――スライダー――
僕は直ぐ様サインに同意し、白球を握り締めた。
自分でも、信じられないくらいの自然体。
僕が放ったスライダーは、思い通りの場所、思い通りの変化で、空振りを誘った。
――ストライク――
これでツーストライク。
「勿論、決め球は……」
内藤は迷うことなく、スプリットのサインを出した。
スプリット――僕が初めて覚えた変化球。
この球を覚えたことで、僕はピッチャーとして歩き出したのだ。
僕はそのサインに頷き、白球を挟み込む。
「これで、終わりだ――っ!」
僕は今までにない、極上のスプリットを投げ放った。
――ズバァァン――
――ストライクバッターアウト――
「よっしゃ!」
大観衆の前で思わず飛び出したガッツポーズ。
最高の形で復活を遂げ、僕はマウンドを降りた。
「ナイスピィ――っ!」
誰もが僕の復活を喜んだ。
しかし、喜んでもいられない。
得点は3-2。
九回表、最低でも一点取らなければ、僕達の負けだ。
この回打順は一番の箭内から。
箭内は打席に入る前に、僕の前に立った。
「キャプテン、あれやりましょう」
反撃の狼煙を上げる為の、儀式――すなわち円陣だ。
「よし、お前ら気合い入れて行くぞ! 僕達の夏は終わらない。反撃だ――っ!」
「おおぅ――っ!」
流れは僕達に来ている。
最後の最後まで、野球はわからない。
「箭内、頼んだぞ!」
「はい!」
箭内は清々しい笑顔で、打席に向かった。