ヒーローは遅れて来る
新幹線に乗り込み、生まれ育った街を離れた。
流れる景色を見ながら、腕時計に目をやる。
もうすぐ、試合が始まる頃。
試合開始までは、到底間に合いそうもない。
僕は半分諦めモードで、携帯のワンセグに目をやった。
「さぁ、間もなく第二試合、山梨工大対明秋高校の一戦が始まろうとしています。一塁側後攻の山梨工大は優勝こそありませんが、甲子園常連高です。対する明秋は、近年力を付け始めた実力のある高校です。さて、どんな試合を見せてくれるのでしょうか。非常に楽しみです」
「一回の表、明秋高校……一番サード箭内君」
遂に試合が始まってしまった。
思わず、バッグにしまっていたグローブを取り出す。
こうすることで気持ちが落ち着くし、皆と一体になれる気がした。
――キィィン――
「箭内君、いい当たりです。痛烈な当たりはセンター前に転がります。いや~しかし、この明秋高校の箭内君、いいバッティングしますね」
「箭内、いいぞ。ナイスバッティングだ」
僕は知らぬ間に、声を出していた。
「お、第二試合始まったのかい?」
隣の座席に座っていた四十代半ばくらいのサラリーマンの男が、ワンセグを覗き込みながら僕に話し掛けて来た。
「えぇ……」
僕が煙たそうにそう返すと、その男は視線をグローブに向け尋ねて来た。
「君も野球をやるのかい?」
「はい、一応」
「そっか。頑張ってくれよ」
余計なことは言わない。
僕はその男の言葉を胸に刻み、再びワンセグに目を向けた。
◇◇◇◇◇◇
「五回の裏、山梨工大の攻撃です。試合は2-1で、明秋高校が依然としてリードを守っています。しかし、ピッチャーの須賀君頑張っていますが、表情は苦しそうです。球数も既に100球を越えようとしています。ここが踏ん張り所です」
「須賀……もう少し……もう少し、頑張ってくれ」
――新大阪……新大阪……――
遂に到着した。
僕は隣の男に軽く頭を下げると、荷物を抱えホームへと飛び出した。
「皆、待っててくれ」
新大阪から電車を乗り継ぎ、甲子園口で降りる。
球場までは約二キロ。
タクシー乗り場は例の如く、混んでいる。
バスはと言うと、ちょうどいい時間がない。
「走るか……」
僕はいてもたってもいられず、甲子園に向け走り出していた。
たかが二キロ程度だし、ウォーミングアップには持ってこいだと考えたのだ。
「はぁ……はぁ……」
思ったより体は軽い。
入院中、筋力と体力が落ちないように密かに筋トレしていたのが功を奏したようだ。
何度か看護師には見付かったが、僕は止めなかった。
「早く投げたい……皆……今行くからな」
やがて、去年と変わらない佇まいの甲子園が見えてきた。
僕は走りながら携帯を取り出し、千秋に電話を掛けた。
「もしもし……千秋か? 今着いた……」
「蓮ちゃん、蓮ちゃんなのね。今行くから」
「わかった」
呼吸を整え、球場の外に漏れる歓声を聞きながら、空見上げていると千秋が現れた。
少し会わなかっただけなのに、随分会っていなかったような感覚に陥る。
「蓮ちゃん、会いたかった」
千秋は人目を気にせず、僕に抱き付く。
「千秋、久しぶりだな。皆は?」
「今、八回裏……逆転されちゃって、3-2……早く行ってあげて。須賀君がもう、限界……」
「なんだって? 逆転されちゃったのか。よし、ロッカールームに案内してくれ」
「うん……」
一度体験はしているが、相変わらず凄い人だかりだ。
球場に入り切れなかった人達がこんなにもいる。
僕は千秋に案内されながら、ロッカールームに向かった。
バッグから取り出したユニフォーム。
洗剤の匂いが、優しく僕を包み込む。
「よし、やってやるぜ」
「蓮ちゃん、頑張ってね」
◇◇◇◇◇◇
ベンチに近付くにつれ、歓声が次第に大きくなる。
あとは、ドア一枚……。
僕は帽子をかぶり直し、ドアを開けた。
「山岸 蓮。ただいま戻りました」
監督は僕の顔を見るなり、抱き締めて来た。
「待ってたぞ」
たった一言だったが、その言葉の意味は何よりも重いものだった。
「監督……すみません」
「謝るのは試合に勝ってからにしろ。あまり練習する時間はないが行けるか?」
「はい。走ってきたんで、体は温まっています」
「お前らしいな。よし、ブルペンで投げれるだけ投げて来い」
「はい!」
守備についている須賀や内藤……市原にピースサインを送ると、僕はブルペンへ向かった。