夏までの道程
あの一件があってから明秋野球部は、かつての活気を取り戻していた。
自分のピッチング――部員達の面倒――それらを同時に見るのは大変だったが、僕はこれまでにない充実感に浸っていた。
「よーし、今日の練習はこのくらいにしておこう」
「うぃぃっす」
さすがに大所帯になると、今の部室では狭すぎる。
一年生部員は、ロッカーさえもらえない者もいる。
部員が増えて嬉しい反面、そういった問題も生じていたのだ。
「内藤、もうちょっと付き合ってくれないか」
「あぁ、いいぜ」
「悪いな。僕がいると、後輩達が気を使うからな。屋内で、ちょっと投げたい……」
「お前、気を遣いすぎだよ。もっと、肩の力抜けば」
「出来たら苦労しないよ」
「だな……よし、やろう」
内藤にはそういう口実で付き合ってもらったが、真意は別の所にあった。
内藤はマスクを被り、ミットを構える。
「山岸、いつでもいいぜ」
「あぁ。何かあったら、何でも言ってくれ」
僕はそう言うと、振りかぶり投げ放った。
変化球は投げない。
直球のみだ。
僕と内藤しかいない屋内練習場は広く、ミットに突き刺さる白球の音だけが響き渡る。
僕も無言だが、内藤も無言だ。
内藤は、時折首を傾げるが、何も言って来ない。
僕は夢中で、ひたすら投げ込んだ。
三十球程投げると、内藤はマスクを脱ぎ捨て僕に近付いてきた。
「山岸、どういうことだ?」
「何が?」
「惚けても無駄だ」
僕の投球内容に違和感を覚えた内藤は、問い詰めてきた。
さすが、内藤だ。
僕が言わなくても、見破っていた。
「内藤……さすが僕の女房役だな。実はここ最近、肩に痛みというか、違和感を感じるんだ。単純に疲労とかじゃない。なぁ、内藤……このことは皆に黙っててくれないか?」
「だけど……」
「頼む、この通りだ」
僕は肩に覚える違和感をカミングアウトした上で、内藤に頭を下げた。
もし、これが重症な何かなら、プロへの道も閉ざされてしまう。
それだけは……それだけは避けたいのだ。
内藤は眉間にシワを寄せながら、僕の顔を伺う。
「わかったよ。でもな、明日医者に行って来いよ。皆には上手く言っておくから」
「ごめんな、内藤」
「いいってことよ」
内藤に打ち明けたことで、少し気持ちが楽になった。
今まで病院に行くことを恐れていたが、これで踏ん切りがついたのだ。
◇◇◇◇◇◇
翌日、僕は練習を休み、地元にある明秋病院を訪れた。
どんな決断がくだされるかは、わからない。
しかし、今はっきりとしておかないと、プロは勿論のこと、甲子園で全国制覇なんて夢のまた夢になるかも知れないのだ。
待ち合い室で待つ時間は、永遠を感じれる程に長かった。
「山岸 蓮さん」
「はい、僕です」
「診察室へどうぞ」
緊張しながら、診察室に入る。
薬品の匂いが、更に緊張感を僕に与えた。
「どうしました?」
髭を蓄えた優しそうな先生だ。
その横にいる、美人の看護師が同じく僕に視線を向ける。
「実は野球をしてるんですが、最近肩の調子がおかしいんですよ」
「あぁ、君は去年甲子園で投げた、山岸君だね。テレビで応援させてもらったよ」
「あ、ありがとうございます」
「私は高校野球の大のファンでね。どれどれ、見せてみなさい」
僕を知ってる人がいた。
口角が上がるのを抑えながら、僕は左肩を見せた。
「ふむぅ。何とも言えんな。検査してみようか。な~に、心配することはないさ」
「はぁ……」
僕は先生に言われるがまま、検査を受けることになった。
憂いが解消出来るなら、何も問題ない――そう思いながら、CT検査室へと向かった。
見慣れない数々の機器。
思わず、生唾を飲む。
CTは初めての体験だ。
眩い光が僕の周りを回転しながら動いて行く。
検査は思いの外、呆気なく終わった。
再び診察室に戻ると、三次元に構成された僕の断面図が張り付けられていた。
最近の医療機器は、優れたものだなと感心していると、先生がしかめっ面をしながら述べる。
「ううむ。あまり良くないね。日常生活する分には問題ないが、野球となると手術が必要かもしれんな」
「そんな……嘘ですよね。先生……最後の夏なんですよ」
気が付くと僕は、大粒の涙を溢していた。
看護師がそっと、ティッシュを差し出す。
「すみません……現実を受け止められなくて……」
「山岸君、どうするかね?」
さっきと打って変わって事務的にすら感じる先生の問い。
僕は絶望を感じながら、答えを出した。
「手術は待って下さい。夏が終わるまでは……」
「そう言うと思ったよ。大会は痛み止の注射でしのごう。あとは私に任せてくれ」
「お願いします……」
病院を後にした僕は、まだ現実を受け止められなかった。
「野球が、出来なくなるかもしれない」
そう思うと、拭っても拭っても涙が溢れ出てきた。