これが明秋野球だ!
内藤は待ってましたと言わんばかりに、十一球目の球を振り抜く。
――キィィィン――
あまり良い当たりではないが、打球はレフト前にポトリと落ちた。観客は皆立ち上がり、この意外な光景に震え始めた。
全国でも、名のあるPM学園。ここまで抑えてきたそのPM学園が、押され始めているのだ。
だが、点差はまだ三点ある。まだ、追い付いた訳でもないし、勝った訳でもない。勝負は、ここからなのだ。
「市原――っ! 頼んだぞ!」
僕達は市原に願いを込め、送り出した。
「四番、ファースト、市原君」
打席に立つ市原を見ると、いつもと違うバットを持っていた。新たに購入されたバットではなく、明秋高校野球が長年練習で使ってきたバットだ。
グリップがかなり磨り減り、今では誰も好んでは使わないバットだ。誰も使わなくなってはいたが、市原は練習の時、いつもそのバットを使用していた。言うなれば、一番使い慣れたバットだ。
それに気付いた神田さんが新しいバットを差し出すが、市原はそれを拒否した。恐らく一番使い慣れたバットで、勝負を決めたいのであろう。
内山はマウンドの土を蹴り、セットポジションに入る。全ての塁に鋭い眼光を光らせ、走れるものなら走ってみろと言わんばかりの威圧を掛けてくる。
内野は前進、バックホーム態勢。一瞬の隙も与えない。
長い間を取り、ようやく投げ込む。
「ストライク――っ!」
市原は初球を狙っていたのか、豪快なフルスイングを見せた。あれでは、当たるものも当たらない。
「よく、見ていけ――っ!」
危機感を覚えたのか、東海林さんらも市原に声を掛ける。
内山は一球外に外し、三球目スライダーを投げた。
「ストライク――っ!」
またして市原は、豪快な空振りを見せた。そのスイングを見て、
――市原らしくないな。何か作戦でもあるのか――
と、僕は思った。
四球目、内山は再度スライダーを投げた。市原はハーフスイングで、それをカットした。球が見えてない訳じゃない。内山を油断させ、球種を絞っているんだと、僕は感じた。
内山は疲れた表情を見せながら、一旦汗を拭う。この辺の間の取り方は絶妙で、見習うものがある。そして内山は、五球目を投げた。五球目もスライダーだ。三球続けてのスライダー。
市原は直球に絞っていたと思っていたが、どうやらこのスライダーに絞っていたらしい。三球続けてのスライダーは、すっぽ抜ける可能性が大いにある。市原はそこまで計算し、スライダーを待っていたのだ。
力強く握られたバットは、空を切り振り抜かれた。年期の入ったバットは久しぶりに甲高い音を奏でると、白球をレフト上空へ誘った。
風はレフトからセンター方向に吹いて、明秋高校とPM学園の校旗がはためいている。
「行け――っ! 行け――っ!」
打球の行方を追いながら、思わずベンチから身を乗り出す。普段、冷静な監督までもだ。
レフトは打球を追いながら、フェンスに向かう。そして、狙いを定めタイミング良くジャンプをした。
「…………」
ゴクリと生唾を飲み込む。
「ワァァァ――ッ!」
静寂を破るように、大歓声が沸き起こる。
「入った……入った――っ!」
驚いた表情で、市原は叫んだ。そして、呆然と立ち尽くす。
「市原、早く回れよ」
「お、おう」
僕達に促され、市原はようやくダイヤモンドを回った。九回裏、逆転満塁ホームラン……劇的な勝利だ。
「この野郎――っ!」
ホームで市原を待ち構えた僕達は、嬉しさのあまり何度もその頭を叩いた。
「俺は、やる時はやる男だぜっ」
「何言ってやがる!」
勝利に酔いしれる僕達と対照的に、マウンドの内山は帽子を深く被り涙を流していた。勝負の世界……一方が勝てば、一方が負ける。当たり前のことだけど、それが高校野球なんだと実感した。
「さぁ、整列だ」
東海林さんは清々しい笑顔で、明秋ナインを集める。
「ありがとうございました」
そして球場内に鳴り響く、聴き覚えのある歌……明秋高校の校歌だ。
――緑に映える山々の 猛るが如くは 勇ましき心 流るるは清らかに 明秋川から学びけり あぁ我ら 明秋高校――
全国に流れる明秋高校の校歌……それ程思い入れはなかったが、こんなにも嬉しいとは思わなかった。
込み上げる嬉しさと共に、感極まり涙が流れる。ふと内藤を見ると、内藤も泣いていた。
「嬉し涙もいいもんだな……山岸」
「だな」
僕達は応援してくれた一塁側スタンドに向かった。
「ありがとうございました」
誰もが僕達に、拍手を送ってくれる。ほんの三時間前は、誰が強豪PM学園に勝てると、予想出来ただろうか。勝つつもりではいたが、正直想像はしにくいものだった。
◇◇◇◇◇◇
余韻に浸りながら、ロッカールームに向かう。監督と市原はインタビューを受けている。
携帯のワンセグでその様子を伺うと、僕達はもう一度校歌を聴きたいという衝動にかられた。
「夢を夢で終わらせない……かぁ……」
◇◇◇◇◇◇
その日の夕方のニュースで、僕達の試合が大きく取り上げられた。ところが、メディアはPM学園の肩を持ち、まるで勝った僕達が悪いような発言まで飛び出した。翌朝の朝刊でもだ。
言うなれば、試合後も洗礼を受けたという所だ。
「甲子園……恐ろしい場所」
改めて僕は、そう思った。