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あの夏を忘れない  作者: エイノ(復帰の目処が立たない勢)
第二章 甲子園への道程 二年生編
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これが明秋野球だ!

 内藤は待ってましたと言わんばかりに、十一球目の球を振り抜く。


――キィィィン――


 あまり良い当たりではないが、打球はレフト前にポトリと落ちた。観客は皆立ち上がり、この意外な光景に震え始めた。

 全国でも、名のあるPM学園。ここまで抑えてきたそのPM学園が、押され始めているのだ。

 だが、点差はまだ三点ある。まだ、追い付いた訳でもないし、勝った訳でもない。勝負は、ここからなのだ。


「市原――っ! 頼んだぞ!」


 僕達は市原に願いを込め、送り出した。


「四番、ファースト、市原君」


 打席に立つ市原を見ると、いつもと違うバットを持っていた。新たに購入されたバットではなく、明秋高校野球が長年練習で使ってきたバットだ。

 グリップがかなり磨り減り、今では誰も好んでは使わないバットだ。誰も使わなくなってはいたが、市原は練習の時、いつもそのバットを使用していた。言うなれば、一番使い慣れたバットだ。

 それに気付いた神田さんが新しいバットを差し出すが、市原はそれを拒否した。恐らく一番使い慣れたバットで、勝負を決めたいのであろう。

 内山はマウンドの土を蹴り、セットポジションに入る。全ての塁に鋭い眼光を光らせ、走れるものなら走ってみろと言わんばかりの威圧を掛けてくる。

 内野は前進、バックホーム態勢。一瞬の隙も与えない。


 長い間を取り、ようやく投げ込む。


「ストライク――っ!」


 市原は初球を狙っていたのか、豪快なフルスイングを見せた。あれでは、当たるものも当たらない。


「よく、見ていけ――っ!」


 危機感を覚えたのか、東海林さんらも市原に声を掛ける。

 内山は一球外に外し、三球目スライダーを投げた。


「ストライク――っ!」


 またして市原は、豪快な空振りを見せた。そのスイングを見て、


――市原らしくないな。何か作戦でもあるのか――


 と、僕は思った。

 四球目、内山は再度スライダーを投げた。市原はハーフスイングで、それをカットした。球が見えてない訳じゃない。内山を油断させ、球種を絞っているんだと、僕は感じた。

 内山は疲れた表情を見せながら、一旦汗を拭う。この辺の間の取り方は絶妙で、見習うものがある。そして内山は、五球目を投げた。五球目もスライダーだ。三球続けてのスライダー。

 市原は直球に絞っていたと思っていたが、どうやらこのスライダーに絞っていたらしい。三球続けてのスライダーは、すっぽ抜ける可能性が大いにある。市原はそこまで計算し、スライダーを待っていたのだ。

 力強く握られたバットは、空を切り振り抜かれた。年期の入ったバットは久しぶりに甲高い音を奏でると、白球をレフト上空へ誘った。

 風はレフトからセンター方向に吹いて、明秋高校とPM学園の校旗がはためいている。


「行け――っ! 行け――っ!」


 打球の行方を追いながら、思わずベンチから身を乗り出す。普段、冷静な監督までもだ。

 レフトは打球を追いながら、フェンスに向かう。そして、狙いを定めタイミング良くジャンプをした。





「…………」





 ゴクリと生唾を飲み込む。


「ワァァァ――ッ!」


 静寂を破るように、大歓声が沸き起こる。


「入った……入った――っ!」


 驚いた表情で、市原は叫んだ。そして、呆然と立ち尽くす。


「市原、早く回れよ」


「お、おう」


 僕達に促され、市原はようやくダイヤモンドを回った。九回裏、逆転満塁ホームラン……劇的な勝利だ。


「この野郎――っ!」


 ホームで市原を待ち構えた僕達は、嬉しさのあまり何度もその頭を叩いた。


「俺は、やる時はやる男だぜっ」


「何言ってやがる!」


 勝利に酔いしれる僕達と対照的に、マウンドの内山は帽子を深く被り涙を流していた。勝負の世界……一方が勝てば、一方が負ける。当たり前のことだけど、それが高校野球なんだと実感した。


「さぁ、整列だ」


 東海林さんは清々しい笑顔で、明秋ナインを集める。


「ありがとうございました」


 そして球場内に鳴り響く、聴き覚えのある歌……明秋高校の校歌だ。





――緑に映える山々の 猛るが如くは 勇ましき心  流るるは清らかに 明秋川から学びけり  あぁ我ら 明秋高校――





 全国に流れる明秋高校の校歌……それ程思い入れはなかったが、こんなにも嬉しいとは思わなかった。

 込み上げる嬉しさと共に、感極まり涙が流れる。ふと内藤を見ると、内藤も泣いていた。


「嬉し涙もいいもんだな……山岸」


「だな」


 僕達は応援してくれた一塁側スタンドに向かった。


「ありがとうございました」


 誰もが僕達に、拍手を送ってくれる。ほんの三時間前は、誰が強豪PM学園に勝てると、予想出来ただろうか。勝つつもりではいたが、正直想像はしにくいものだった。




◇◇◇◇◇◇




 余韻に浸りながら、ロッカールームに向かう。監督と市原はインタビューを受けている。

 携帯のワンセグでその様子を伺うと、僕達はもう一度校歌を聴きたいという衝動にかられた。


「夢を夢で終わらせない……かぁ……」




◇◇◇◇◇◇




 その日の夕方のニュースで、僕達の試合が大きく取り上げられた。ところが、メディアはPM学園の肩を持ち、まるで勝った僕達が悪いような発言まで飛び出した。翌朝の朝刊でもだ。

 言うなれば、試合後も洗礼を受けたという所だ。


「甲子園……恐ろしい場所」


 改めて僕は、そう思った。



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