諦めない……諦めない!
内藤は、バシッとミットを叩き構えた。権田は、敬遠されるものだと半ば諦めぎみにバットを構えていたが、状況の変化を理解すると気合いを入れ直した。
既にツーボール。カウント的には、こちらが圧倒的に不利だ。権田としても、球を絞りやすい。
僕はそのことを意識せず、次が初球のつもりで投げた。
――ズバン――
この打席、まともな球が初めていった所為か、権田は豪快な空振りを見せた。投げた球は、高速スライダー。見たところ、タイミングは合っていない。
――いける……いけるぞ――
僕がそんなことを思っていると、大歓声は再び僕に帰ってきた。
観客としても、意外なのであろう。一度は敬遠をしようとしたのに、途中で勝負に切り替えたのだから。
四球目、僕は再度高速スライダーを投げた。直球で追い込みたい所だが、今の状況では何処へ投げても打たれる可能性がある。この作戦が吉と出るか、凶とでるか。
――キィィン――
どうやら、軍配は僕に挙がったようだ。完全に当たり損ねた打球は、しっかりとセカンドの鈴木さんのグローブに収まった。
「市原――っ!」
鈴木さんは、華麗にスローイングする。今日ほど鈴木さんが、味方で良かったと思った日はない。
「アウト――っ!」
権田は一塁を駆け抜ける前にヘルメットを脱ぎ捨て、諦めたランニングを見せる。もしも、明秋ナインがこのような行為をしたら、監督が黙っていないだろう。
――五点差だが、勝負はまだわからない――
そう感じた瞬間であった。
高校野球は気迫もさることながら、最後まで諦めないということも大事なのだ。
◇◇◇◇◇◇
長い長い、九回の表の守備が終わり、いよいよ最後の攻撃。泣いても笑っても、これで最後だ。
僕達は最後の攻撃に願いを込め、東海林さんを中心に円陣を組む。ここで夏が終わるか、終わらないかは自分達次第。
「八番、センター、金沢君」
僕達はなるべく意識させないように、金沢を送り出す。プレッシャーを感じていたのか、金沢はガチガチだ。心なしか、バットを持つ手も震えている。
勝っているならともかく、五点差で先頭打者。塁に出なくては、というプレッシャーは計り知れない。
そんな金沢に、容赦なく速球を投げ込む内山。ここまで投げているのにも拘わらず、スタミナは30を残し、球威も衰えていない。むしろ、この回のピッチングは前の回より、球が走っていた。
――ブォォン――
金沢は、三回目の空振りを喫した。三振かと思われ、溜め息を吐き掛けると、キャッチャーはその球を後ろに反らした。
「走れ、金沢――っ!」
東海林さんがそう言うと、金沢は一目散に一塁へと走りヘッドスライディングを見せた。
「セーフ」
まさかの振り逃げだ。形はどうあれ、先頭打者が塁に出る。これはとても大きなことだ。
「九番、サード、木下君」
――キィィィン――
木下さんは、打席に入るや否や、初球を叩き付けた。少なからず、内山も動揺があったのだろう。初球の甘い球を木下さんは、振り抜いたのだ。
センターの奥深い場所……そこへ打球は落下した。金沢は、一気に三塁を回る。珍しくPM学園は、守備がもたついた。
「ホームイン!」
キャッチャーに白球が戻ってくるより先に、金沢がホームを踏む。それより意外だったのが、木下さんだ。その間に、三塁まで到達していたのだ。
歓声に答えるように、拳を掲げる木下さん。本当はピッチャーとして活躍したかったのかも知れない。しかし、エースはこの僕。その悔しさを、バットに向けたのだろう。
ノーアウト、三塁、5-1。その差四点、まだまだ試合はわからない。
「一番、セカンド、鈴木君」
鈴木さんにも当然のように、期待が掛かる。所が、何やら監督は鈴木さんにサインを送る。
「送りバント?」
ここは打った方が得策ではと思った瞬間、鈴木さんは既に白球を三塁側転がしていた。全く送りバントを警戒していなかったサードは、お手玉をしてしまった。
強豪とは思えないミスの連発。まるで格下と試合をしているような、錯覚をしてしまう程だ。
ノーアウト、一、二塁。更に僕達はチャンスを広げた。
さすがに、この状況にはPM学園内野陣も集まり始める。流れを止めない為にも、早く試合再開を望んだが、敢えて間を取っているようにも思えた。
「くそ……早く再開しろよ」
四番の市原は、苛立ちを見せた。この後、広野、内藤と打順が回ってくる。下手をすれば、市原に回って来ないかも知れない。しかし、市原は既にヘルメットを被り、バットを握り締めていた。それは自分が試合を決めてやるんだと言っているかのようだった。
「二番、ショート、広野君」
PM内野陣は、ようやく守備位置についた。広野がどう出るかによって、この試合は決まる。
僕は神を信じない主義だが、この時ばかりは天に祈りを捧げた。
内山は肩の力を抜き、軽くセットポジションから投げた。キャッチャーは立ち上がり、それを受け止める。
敬遠して、満塁策を取ろうとしているのだ。確かに満塁の方が守りやすい。とは言え、ノーアウトでの満塁はリスクが大き過ぎる。
「それだけ自信があるんだろ……」
僕を代弁するように、東海林さんがポツリと言う。明秋も舐められたものである。
「んなろぅ……」
どの場面でもそうだが、敬遠の後の打者は気分が良いものではない。このことが市原だけでなく、内藤にも火を着けた。
「三番、キャッチャー、内藤君」
内藤は、ギラギラとした目付きで打席に入る。しかし、その気迫とは裏腹にあっという間に、ツーストライクに追い込まれた。
その辺はさすが内山である。普通のピッチャーなら、多少コントロールの乱れを気にするが、全く臆する気配がない。こうなれば、気迫と気迫のぶつかり合いだ。
――キィン――
内藤は、何度も何度もファールで粘る。PM学園の佐々木に負けないくらいの、粘りっぷりだ。それより凄いのは内山だ。七球連続で、ストライクを投げて来ていたのだ。
七球を投げてカウントは、ツーストライク、ノーボール。これだけでも十分偉業だ。
――キィン――
十球目のファール。
「しつこい……」
内山の口がそう言ったのが、僕には見えた。
「かっばせー内藤!」
スタンドからは変わることなく、内藤への声援が送られ続けた。
内山はさすがに疲れた表情を見せ、十一球目を投げ放った。