大観衆は敵か味方か
「無茶なのは、わかってる。でも投げさせて下さい……」
――バシッ――
鈴木さんがグローブで、僕の頭を殴り付ける。
「それでこそ、明秋のエースだ。よし、全ては山岸……お前に託した。お前ら締まっていくぞ。山岸、守りは任せろよな」
「はい!」
鈴木さん……何て心強い先輩なんだ。あれほど、やる気がなく、練習嫌いだった鈴木さんが頼もしく見える。キャプテンは東海林さんだが、本当は鈴木さんがキャプテンやるべきだったのでは? いや、影の立役者であったからこそ、鈴木さん自身も成長出来たのかも知れない。
「やるか……」
この夏の集大成を、見せる時が来た。足の痛みがなんだ。五点差がなんだ。PM学園がなんだ。
僕は僕らしく、明秋高校らしい野球を見せるだけだ。痛みをはね除け、投げてやる。
最終回、PM学園は先頭からの好打順。相手も有利だが、手の内がわかるだけに、僕だって有利だ。
石村は、左打席にバットを構える。絶対に塁に出してはいけない。点差を広げてはいけない。
僕は全身全霊を賭け、一球目を投げた。
「ストライク――っ!」
足の痛みはあるが、何とかなりそうだ。鋭く内角ギリギリに、直球は決まった。
内藤はサインを出さず、ただストライクゾーンにミットを構える。
「全てを委ねるってわけか……。悔いのないようにってね……」
二球目は、スライダー。打てるなら、打ってみろと言わんばかりに、気合いの入ったピッチング。
「ボール」
石村は寸での所でバットを止めた。外角に逃げた球は、僅かに外れボール。見事な選球眼である。
これに手を出していれば、間違いなく打ち取っていたであろう。そこに手を出さないあたり、本物である。
「なら、これならどうだ?」
僕は、スローカーブを投げた。今ではスプリットや、スライダーに負けないくらい自信のある変化球だ。
――カツン――
中途半端に振られたバットは、勢いのない打球を一塁側に生んだ。市原はそれを捕球し、自らベースに入った。
「よし……ワンアウト……」
正直、ここ(マウンド)に立っているもやっとなくらいだ。
あと何球投げれるのだろう?
あと何球投げたら楽になれるのだろう?
明日の今頃、僕は笑っていられるのだろうか?
わからない……。
右手に拳を作り、心臓を軽く叩く。
「まだ、やれる……やれるはずだ」
打席には、あの粘り強い佐々木。毎回のことながら、極端に短く持つバット。
――意地でも塁に出ようというだな? 残念ながら、簡単に塁に出させる程、僕はお人好しではない。足の痛みがなんだ。正々堂々、受けてやる――
今回は粘らせない。僕は球種を直球に絞り、振りかぶった。
――カコン――
ヒットにする気のない、中途半端な当たり。打球はコロコロと、一塁側のファールグラウンドに転がっていった。
「例によって、粘る気だな? そうはさせないんだ……よ」
渾身の力を込め、再度直球を投げ放つ。
――ズバン――
その球は、ど真ん中に吸い込まれた。加えて、掲示板には150kmが計測された。自身初の、150km台だ。
大歓声が僕に向けられる。しかし、喜んではいられない。ツーストライクでは、アウトにならないのだ。
次に投げる球は、当然スプリット。遊び球はいらない。
「これで決める……」
帽子を被り直し、白球を握り締める。スプリットを投げると悟られぬように、僕は振りかぶった。
佐々木は身構え、狙いを定めている。
――行け――
祈るように、僕はそれを見守った。
――カツン――
バットは僅かに白球を捉えたが、そのまま内藤のミットに収まった。
「ストライク、バッターアウト――っ!」
「よし!」
僕は、この試合初めてのガッツポーズを決めた。あと一人……あと一人きっちりと抑え、反撃に出るのだ。
「三番、ライト、鴫原君」
打席には、唯一この試合ヒットを許していない鴫原が入る。僕は鴫原の苦手なコースを攻めたが、制球が定まらず四球を出してしまった。
ツーアウト、一塁。
「四番、ファースト、権田君」
やはり、こいつとの勝負は避けられないようだ。二回に豪快な一撃を放った権田だ。
もはや高校生離れした体格は、後ろにミットを構える内藤が中学生に見える程だ。
マウンドの土をならしていると、この回初めて内藤がサインを出す。
――敬遠だ――
敬遠……過去にもあったが、気分の良いものではない。しかし、勝つ為にはと僕は首を縦に振った。
「ボール」
「ボール」
途端に、さっきまで僕に送られていた声援が、罵倒に変わる。
「…………やっぱり、嫌だ」
僕は、セットポジションを外し、内藤に座るように促した。内藤はマスクを脱ぎ捨て、笑顔で答えた。
「それでこそ、お前だ」
ここは、敬遠するのが正攻法。勝負するリスクは計り知れない。
でも、僕は決めた。
『どんな結果が待ち受けていようと、逃げない』と。