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あの夏を忘れない  作者: エイノ(復帰の目処が立たない勢)
第一章 陸上と野球 一年生編
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熱い思いを燃やせ

 この緊張の場面で、打席には広野が入る。

 監督は三塁ランナーの金沢と、バッターの広野の足の速さを考慮して、スクイズのサインを出す。

 ニルバーナ内野陣も、スクイズを警戒し、前進守備を取る。

失敗は許されない。何が何でも、確実に一点は欲しい場面だ。

 一球目、ゴーバンはスクイズを警戒し、外に外してきた。金沢も予想していたのか、直ぐ様帰塁する。

 ニルバーナバッテリーが、どう出るかが問題だ。

 ゴーバンは、ランナーを気にせず、セットポジションから勢いよく投げた。その間に、金沢は猛ダッシュしてホームを狙う。

 ゴーバンの投げた球は、低めで難しい球だ。広野は、低くバットを寝かせ、一塁側に転がした。

 ファーストはその球に食らい付き、慌てホームへ返球する。





――砂埃が舞い上がる。




 ヘッドスライディングした金沢の指先は、僅かながらホームをタッチしていた。






「セーフ!」





 遂に、均衡を破ったのだ。投手戦の今、貴重な一点が明秋に入った。

 続く打席には、内藤が入る。





――キィィィン――




 一点入った喜びの余韻に浸る間もなく、内藤はバットの芯に捉えた。打球は右中間を遥かに越え、スタンドに吸い込まれていった。

 僕達はその光景に唖然としながら、内藤を見つめた。右手を高々と掲げ、ゆっくりとダイヤモンドを一周する内藤は、誇らしげにベンチに戻ってきた。


「スゲーよ、内藤」


 誰もが皆、内藤を誉め称える。

 マウンド上のゴーバンは、項垂れながら意気消沈といったところだ。程なくして、ゴーバンはマウンドを降りていった。

 その姿を見て、内藤は言う。


「ゴーバンは、凄いピッチャーだった。だけど、一つ思ったことがあったんだ。アイツは、本当は野球を好きじゃないんじゃないかってね。その分、俺の気持ちが勝ったって訳だ」


 内藤の分析力には、頭が下がる。





◇◇◇◇◇◇




 その後、七回から須賀に全てを託し、僕はマウンドを降りた。

 須賀は一点を許したものの、気迫のピッチングで乗り切り、僕達はニルバーナ学院に5-1で快勝した。

 明日、準決勝の相手として、東光(とうこう)第一に決まったのだが、その前に僕にはやるべきことがあった。


 それは千秋と佳奈との問題を、解決することだ。マウンドを降りた後、そのことばかりが頭の中をグルグルと縦横無尽に駆け巡っていた。どうやら、この問題を解決しないと野球に専念出来そうもないようだ。

 僕は不器用な男。二つのことを、いっぺんには出来ないのだ。

とは言え、土壇場になると心が折れる。

 実際、既に心が折れている。試合後、こうして佳奈の家の前に来ているのだが、かれこれ三十分ほどインターホンを押せずにいる。

第三者から見たら、不審者かストーカーにも間違われかねない。


「はぁ……」


 試合後の疲れと共にやってくる、深い溜め息。


――やっぱり、帰ろうか――


 男らしくない考えが過った瞬間、佳奈の家の玄関の扉が開いた。


「れ、蓮君……どうしたの?」


 ほんの一瞬、帰るのを躊躇したのが悪いのか、偶然にも佳奈が姿を現した。

 もう、後には引けない。僕は喉の奥に引っ掛かった言葉を手繰り寄せ、佳奈に言った。


「ひ、暇?」


――違う、僕が言いたいことは、そんなことじゃない――


 しかし、現実には僕はそう言い放っていた。


「暇……だけど……上がっていく?」


「う、うん」


――たがら、違うんだって――


 先日のことや、今日のことがなかったかのように、サバサバした佳奈に、本音を言い出せず家に上がり込むことになってしまった。


 相変わらず、佳奈の部屋はきちんと整理されている。僕は一通り確認すると、ソファーに腰を据えた。

 佳奈は、飲み物をテーブルに置くと、僕の隣に座りながら切り出した。


「千秋ちゃんのことでしょ?」


 どうやら、佳奈はお見通しのようだ。決断をしようとしたのだが、心を見透かされると躊躇してしまう。


――ここは男らしく、決めよう――


「か、佳奈……」


「駄目……言わないで……言わないでよ……」


 佳奈は瞳に大粒の涙を溜めながら言った。しかし僕は、残酷な言葉を突き付けた。


「聞いてくれ、佳奈。僕は、千秋のことが好きなんだ。勝手だとわかっている。……ごめん」


「わかってる……わかってるけど……私、蓮君のことが好きなの……もう駄目なのかなぁ」


「ごめん……」


 僕はそれ以上、何も言えなかった。


 撤回すれば、やり直せそうな雰囲気。だが、撤回すればまた佳奈を傷付けてしまう。

 僕はソファーから立ち上がり、佳奈に背を向けた。


「蓮君……ねぇ、もう一度キスして……」


 佳奈のか細い声は、部屋の空気に溶け込み、かき消されていった。


――佳奈……今までありがとう――


 僕は帰り道、涙が止まらなかった。自分から佳奈を振っておいてなんだが、失ったものの大きさに初めて気付いた。


――もう振り返らない――


「さぁ、明日は準決勝、東光第一戦だ」


 僕は涙を振り切るように、風になった。


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