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あの夏を忘れない  作者: エイノ(復帰の目処が立たない勢)
第一章 陸上と野球 一年生編
39/88

僕が僕である為に

 聖新学院の打順は、六番からの下位打線からだ。打席には、今大会からレギュラー入りした選手が入る。ここまで抑えてきたが、最後の踏ん張りを警戒しなくてはならない。

 内藤は、内角低めにミットを構える。僕は、その指示通りの場所に投げ込む。



「ストライク――っ!」





 悪くない。ここに来ても球威は衰えず、むしろ球が走っている。

調子の良い時は、何を投げても決まるものだ。

 二球目、遊び球として外に外した。





――フォォン――




 見逃せばボールになる球に、打者は釣られた。完全にこっちのペースだ。

 続いて内藤は、スプリットを要求する。見事に空振りを誘い、三球三振に切って取った。




――あと二人。





 勝利は目前だが、油断はしない。最後まで、全力で投げ抜くと誓った。

 次の打者がバッターボックスに入る。


「ふぅぅ……」


 一旦深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。

 この深呼吸がリズムを崩したのだろうか。内藤は、外角低めにミットを構えるが、僕の投げた球は、内角高めに浮いてしまった。

 内藤は首を傾げ、両手を下に降ろす仕草を見せる。低めに投げろという意味だ。

 気を取り直して、再度要求した場所に投げ込む。またしても、ミットとかけ離れた場所に、白球は吸い込まれていく。

 これには内藤も激怒し、マウンドに駆け寄った。


「山岸、どうしたんだ一体? 二球続けて要求した場所と全然違うじゃねぇか!」


 内藤が怒るのも無理はない。


「ごめん……」


 僕は自分でも何が起きているかわからず、ただ謝った。


「ごめんじゃねぇよ。しっかりしてくれよな」


 内藤は納得のいかない表情を見せたが、とりあえずはマウンドを降りて行った。


 自分でもわからない……。要求した場所に投げているつもりだ。

しかし、現実を見てもわかる通り、白球は明後日の方向に投げ込まれている。

 結局、この打者に四球を与えてしまった。続く打者には、慎重に投げすぎた初球をレフト前に弾き返され、ワンアウト、一、二塁のピンチを迎えてしまった。

 長打を許せば同点。勝利を目前に、意識しないかと言えば嘘になる。自分では、平常心を保っているつもりだ。だが、コントロールの乱れは修正がきかないまでになっていた。

 内藤はあれ以来、何も言ってこない。僕は、極度の不安に陥った。完全に思考は停止し、ネガティブな考えが脳裏に浮かぶ。




「タイム!」





 そんな僕に見切りをつけたのか、監督が珍しくタイムを取る。しかし、監督はベンチから一歩も出ず、代わりに大杉がマウンドにやって来た。


「山岸君、監督からの伝言。……勝利を目前にして、何やってんだボケが! 二点差しかないじゃなくて、二点も差があると思って投げろ! だって……。それじゃ、確かに伝えたよ。頑張ってね」


 大杉はそう言うと、ベンチに戻っていった。迫力のない大杉の声だったが、内容はまさしく監督のもの。僕はその監督の言葉を聞いて、目が覚めた。

 深呼吸をしてリズムが狂ったと思っていたが、実は僕自身が『二点差しかない』という焦りで、平常心を失っていたのだ。監督はそれをピタリと、言い当てた。


「よし……二点差もあるんだ。やってやるさ」


 独り言のようにそう呟くと、力がみなぎってくるように思えた。

 続く打者は、宿敵本庄だ。本庄は、左打席で静かにバットを構える。打力はないが、シャープなバッティングをするので、注意が必要だ。ましてこの場面では、死に物狂いで食らい付いてくるに違いない。

 ランナーを警戒しながら、全力で投げる。




――ズバン――





「ストライク――っ!」




 不思議なものだ……。あれだけ迷いの森で迷子になったような僕が、監督の言葉でまた投げれるようになったのだ。


「ナイスピッチング!」


 セカンドの鈴木さんが声を上げる。


――そうだ、住田さんが前に言っていた。バックを信じろって――


 僕に掛かっていた黒い闇は、完全に取り払われた。


「本庄……」


 グローブの中の球の握りを確認して、二球目を投げる。本庄が、決め球に使用しているスライダーだ。




――カツン――




 本庄は、何とかスライダーにファールで食い付いてきた。さすが、スライダーを得意として投げるだけある。

 内藤は決め球に、スプリットを要求してきた。しかし、僕はそれを拒否し、スライダーを投げたいと、返した。

 内藤の言う通り、スプリットを投げれば三振を取るのは容易であろう。だが、それでは意味がないのだ。


――本庄……本庄だけは、スライダーで打ち取らせてくれ……――


 内藤は『またお前の病気が始まったか』と言わんばかりに、両手を広げる。


 ここから、僕と本庄の戦いは始まった。本庄相手に、投げる球はスライダーのみ。何度も……何度も……本庄は辛うじてバットに当て、粘った。

 そして、迎えた十球目……





――キィン――





 詰まった当たりはショートの広野へ。




――ザシュ――





 広野は華麗にワンステップでボールをさばき、セカンドベース上の鈴木さんへ。





――ガサッ――





「市原――っ!」





 鈴木さんは声を張り上げ、ファーストの市原にボールを投げた。





――ドクン……ドクン――






「アウト――っ!」




「よっしゃ――っ!」


 マウンドで雄叫びを上げる僕に、内藤が駆け寄る。


「よくやったな。一時はどうなるかと思ったぜ」


「内藤、すまない」


 僕と内藤は抱き合い、全身で喜びを感じた。


「さぁ、整列だ」


 東海林さんが笑顔で僕達の前を通り過ぎる。





「ありがとうございました」





 遂に僕達は、常勝聖新学院を破ったのだ。世間一般では秋季大会は、夏の前哨戦的な扱いを受けているが、僕は夏に繋がる一歩だと思っている。

 僕達は確実に、一歩ずつ前へ進んでいた。


二階堂語録

『二点差しかないじゃなくて、二点も差があると思って投げろ!』


秋季大会の、人物紹介を追記しました。

『人物紹介2』です。

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