僕が僕である為に
聖新学院の打順は、六番からの下位打線からだ。打席には、今大会からレギュラー入りした選手が入る。ここまで抑えてきたが、最後の踏ん張りを警戒しなくてはならない。
内藤は、内角低めにミットを構える。僕は、その指示通りの場所に投げ込む。
「ストライク――っ!」
悪くない。ここに来ても球威は衰えず、むしろ球が走っている。
調子の良い時は、何を投げても決まるものだ。
二球目、遊び球として外に外した。
――フォォン――
見逃せばボールになる球に、打者は釣られた。完全にこっちのペースだ。
続いて内藤は、スプリットを要求する。見事に空振りを誘い、三球三振に切って取った。
――あと二人。
勝利は目前だが、油断はしない。最後まで、全力で投げ抜くと誓った。
次の打者がバッターボックスに入る。
「ふぅぅ……」
一旦深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。
この深呼吸がリズムを崩したのだろうか。内藤は、外角低めにミットを構えるが、僕の投げた球は、内角高めに浮いてしまった。
内藤は首を傾げ、両手を下に降ろす仕草を見せる。低めに投げろという意味だ。
気を取り直して、再度要求した場所に投げ込む。またしても、ミットとかけ離れた場所に、白球は吸い込まれていく。
これには内藤も激怒し、マウンドに駆け寄った。
「山岸、どうしたんだ一体? 二球続けて要求した場所と全然違うじゃねぇか!」
内藤が怒るのも無理はない。
「ごめん……」
僕は自分でも何が起きているかわからず、ただ謝った。
「ごめんじゃねぇよ。しっかりしてくれよな」
内藤は納得のいかない表情を見せたが、とりあえずはマウンドを降りて行った。
自分でもわからない……。要求した場所に投げているつもりだ。
しかし、現実を見てもわかる通り、白球は明後日の方向に投げ込まれている。
結局、この打者に四球を与えてしまった。続く打者には、慎重に投げすぎた初球をレフト前に弾き返され、ワンアウト、一、二塁のピンチを迎えてしまった。
長打を許せば同点。勝利を目前に、意識しないかと言えば嘘になる。自分では、平常心を保っているつもりだ。だが、コントロールの乱れは修正がきかないまでになっていた。
内藤はあれ以来、何も言ってこない。僕は、極度の不安に陥った。完全に思考は停止し、ネガティブな考えが脳裏に浮かぶ。
「タイム!」
そんな僕に見切りをつけたのか、監督が珍しくタイムを取る。しかし、監督はベンチから一歩も出ず、代わりに大杉がマウンドにやって来た。
「山岸君、監督からの伝言。……勝利を目前にして、何やってんだボケが! 二点差しかないじゃなくて、二点も差があると思って投げろ! だって……。それじゃ、確かに伝えたよ。頑張ってね」
大杉はそう言うと、ベンチに戻っていった。迫力のない大杉の声だったが、内容はまさしく監督のもの。僕はその監督の言葉を聞いて、目が覚めた。
深呼吸をしてリズムが狂ったと思っていたが、実は僕自身が『二点差しかない』という焦りで、平常心を失っていたのだ。監督はそれをピタリと、言い当てた。
「よし……二点差もあるんだ。やってやるさ」
独り言のようにそう呟くと、力がみなぎってくるように思えた。
続く打者は、宿敵本庄だ。本庄は、左打席で静かにバットを構える。打力はないが、シャープなバッティングをするので、注意が必要だ。ましてこの場面では、死に物狂いで食らい付いてくるに違いない。
ランナーを警戒しながら、全力で投げる。
――ズバン――
「ストライク――っ!」
不思議なものだ……。あれだけ迷いの森で迷子になったような僕が、監督の言葉でまた投げれるようになったのだ。
「ナイスピッチング!」
セカンドの鈴木さんが声を上げる。
――そうだ、住田さんが前に言っていた。バックを信じろって――
僕に掛かっていた黒い闇は、完全に取り払われた。
「本庄……」
グローブの中の球の握りを確認して、二球目を投げる。本庄が、決め球に使用しているスライダーだ。
――カツン――
本庄は、何とかスライダーにファールで食い付いてきた。さすが、スライダーを得意として投げるだけある。
内藤は決め球に、スプリットを要求してきた。しかし、僕はそれを拒否し、スライダーを投げたいと、返した。
内藤の言う通り、スプリットを投げれば三振を取るのは容易であろう。だが、それでは意味がないのだ。
――本庄……本庄だけは、スライダーで打ち取らせてくれ……――
内藤は『またお前の病気が始まったか』と言わんばかりに、両手を広げる。
ここから、僕と本庄の戦いは始まった。本庄相手に、投げる球はスライダーのみ。何度も……何度も……本庄は辛うじてバットに当て、粘った。
そして、迎えた十球目……
――キィン――
詰まった当たりはショートの広野へ。
――ザシュ――
広野は華麗にワンステップでボールをさばき、セカンドベース上の鈴木さんへ。
――ガサッ――
「市原――っ!」
鈴木さんは声を張り上げ、ファーストの市原にボールを投げた。
――ドクン……ドクン――
「アウト――っ!」
「よっしゃ――っ!」
マウンドで雄叫びを上げる僕に、内藤が駆け寄る。
「よくやったな。一時はどうなるかと思ったぜ」
「内藤、すまない」
僕と内藤は抱き合い、全身で喜びを感じた。
「さぁ、整列だ」
東海林さんが笑顔で僕達の前を通り過ぎる。
「ありがとうございました」
遂に僕達は、常勝聖新学院を破ったのだ。世間一般では秋季大会は、夏の前哨戦的な扱いを受けているが、僕は夏に繋がる一歩だと思っている。
僕達は確実に、一歩ずつ前へ進んでいた。
二階堂語録
『二点差しかないじゃなくて、二点も差があると思って投げろ!』
秋季大会の、人物紹介を追記しました。
『人物紹介2』です。