夢を夢で終わらせない
夏の雪辱を晴らすべく、僕達は市民球場へと乗り込んだ。対戦相手は、常勝聖新学院。僕は本庄との対決を前に、高鳴る胸を抑えきれずにいた。
そんな僕を見て佳奈が言う。
「本庄君も凄いけど、蓮君の方が凄いよ」
お世辞でも嬉しい一言だ。『同じ相手に、二度は負けたくない』
これは陸上をしていた時からの、僕のポリシーだ。
陸上をしていた時も、本庄のようにライバル視する奴はいた。
そいつの名前は『藤谷智輝』。
藤谷は短距離も長距離も秀でていて、短距離を専門にしていた僕を足蹴にして、全日本中学陸上競技大会の切符をもぎ取っていったのである。その雪辱を晴らす為に明秋に進学したのだが、今の僕は野球をしている。藤谷と決着はついていなが、後悔はしていない。
何故なら、こうして信頼の出来る仲間と勝ち上がってこれたから。
噂では山吹高校に進学したらしいが、今となっては土俵が違う。
そんな昔のことを振り返りながらトイレに向かうと、またしても本庄と出くわした。
「やぁ、山岸君。また会ったね。今日も負けないよ」
早急に立ち去ろうとした僕に、本庄はそう言い放った。相変わらずのクールな態度に、僕は感情を露にした。
「僕は、二度は負けない……」
「…………」
僕の迫力に臆したのか、本庄は無言のまま立ち去った。既に、戦いは始まっているのだ。隙を見せたら、それは敗北を意味する。僕はそう思っていた。
◇◇◇◇◇◇
夏の大会に比べると劣るが、それでもスタンドは大観衆に包まれていた。
地元紙でも『聖新学院対明秋高校』の一戦は大きく取り上げられ、メディアや名門『寺が丘高校』の部員も偵察に来ていた。
もちろん、評価的には聖新学院が上だが、そんなことは気にするなと監督も言っていた。
最近、監督も丸くなってきたと思う。以前は『このゴミが!』とか『役立たず!』などの汚い言葉を発していたが、今はあまり言ってこない。
自主的に練習をするようになった僕達に、何も言うことがなくなったのだろう。その証拠に、苛つくと飲んでいた焼酎もパタリと辞めている。医者に止められているとの噂も聞くが、真相はわからない。
「かっ飛ばせ~! 明秋!」
試合前だと言うのに、三塁側スタンドから大段幕を掲げ、声を張り上げる男がいた。誰もが『誰だ、あの親父』と口にする中目を凝らしてみると、それは紛れもない『僕の父親』だった。
夏の大会で応援に来れなかった父親は、今回初めて球場に足を運んだ。僕は嬉しさと恥ずかしさで、耳を赤くした。
そんな中、いよいよ試合が始まろうとしていた。
先行の僕達はベンチに腰を据え、先頭打者である鈴木さんのバッティングに目を向けた。
――ズバァァン――
初球から、いい球を投げてくる。鈴木さんはそれを見届けた後、袖を上げながら気合いを入れ直す。
その気迫は、鳥肌が立つほどにひしひしと伝わってくる。
本庄は一球外し、三球目に得意の高速スライダーを投げた。鈴木さんは、敢えてスライダーに食らい付く。
打球は三塁線に転がり、素晴らしい返球が一塁に送られた。誰もがアウトとわかっていたが、鈴木さんは果敢にヘッドスライディングで突っ込んだ。
砂煙が舞う中、審判はアウトを告げたが、スタンドからは『ドンマイ』と、声援が飛び交った。
甲子園への道程は、簡単じゃない。それを皆に教える為に、鈴木さんは無謀とも言えるヘッドスライディングを見せたのだ。
一つひとつのプレイを全力ですることが、甲子園への道に繋がる。夏の大会で負けた悔しさが、鈴木さんを初めとするメンバーを大きく変えた。
どんなに辛く険しい坂道でも、夢を夢で終わらせない為に明秋野球部は諦めることをやめたのだ。
夏の大会の後、鈴木さんが言っていたことを思い出す。
「山岸……ごめんな」
「急に何ですか……鈴木さんらしくもない」
「俺らしくない? 確かにそうかもな」
鈴木さんは遠くを見つめ、目を細めながら言った。
「正直、俺……甲子園を舐めてた。次こそは……次こそは甲子園に行きたい」
鈴木さんは涙を浮かべながら、そう言った。後輩である僕に、泣きたいくらいの夢を語るのは、相当な決心が必要だ。
練習嫌いな鈴木さんが、そこまで考えてくれて僕は嬉しかった。
だから、その『本気』が、あのヘッドスライディングに繋がったのだと確信していた。
結局、初回は広野も内藤も凡打に倒れたが、二人とも全力で一塁へと駆け抜けた。
監督はその様子を見て『それでいい』とだけ言った。
――僕も負けてはいられない――
全員で、勝利を勝ち取る為に、僕は風が吹くマウンドに全力で向かった。
――本庄に……聖新学院に必ず勝つ――
そう、心に決めながら。