九回の死闘!
指先の血が、白球を紅に染める。どうしようもないくらいの痛み。けれど、今は投げれることに……野球を出来ることに喜びを感じていた。
僕達に敗れていった成南高校……東城高専の為にも、無様な試合は出来ない。
続く打者を何とかツーストライク、ワンボールまで追い込み、スプリットを投げる決心を固めた。せめてワンアウトを取らないと、後がない。
意を決して投げたスプリットは、綺麗に落下し打者のバットを寄せ付けなかった。
「ストライク! バッターアウト!」
ようやく、ワンアウトだ。まだ、逆転された訳じゃない。あと何球スプリットを投げれるかわからないが、投げるしかないのだ。たとえ、この指が引き裂かれようと。
「ふぅ……」
重圧がのし掛かるのを、呼吸を整えはね除ける。打席には、本庄がバットを構える。
ここまで本庄との対決は僕が制して来たが、打撃力がないとはいえ、やりづらい相手だ。とにかく、ねちねちと執拗に粘る。ピッチャーとしては、一番骨が折れるタイプだ。
ランナーは中間的なリードを保つ。
指の痛みに耐えつつ、内角を攻める。
――キィン――
本庄は、初球から積極的にバットを振ってきた。以前よりタイミングもだいぶ合ってきている。
二球目外に外し、三球目をスライダーを投げた。外に逃げるように変化し、本庄が手を出すことを祈ったが、これは見送られた。
変化が足りなく、結果的にストライクになったが、もしバットを振られていたら危ない位置だ。
カウント、ツーストライク、ワンボール。カウント的には、こちらが断然有利だ。しかし、ここから粘るのが本庄だ。
早急に対決を終える為に、内藤はスプリットが投げれるかとサインを出してきた。焦る訳ではないが、無理を承知でそれに合意した。
雲が太陽を隠し、球場内が一瞬日陰に包まれる。
指先を確認し、腕を振り上げる。
――しまった! ――
指先が滑り、ボールを挟む位置が僅かにずれた。球威はあるものの、落ちることはまずないだろう。
――キィィン――
案の定、本庄はそれを見逃さず、シャープなバッティングを見せる。打った打球は、三遊間を抜けレフト前に転がっていった。
三塁ランナーは楽々ホームを踏み、一塁ランナーは三塁を目指す。東海林さんが好返球するも、アウトにはならなかった。
打った本庄も二塁に進み、ガッツポーズを見せる。
ワンアウト二、三塁。5-4。
僕の投球に異変を感じたのか、住田さんを中心とした内野陣がマウンドに集まる。
「山岸、どうしたんだ? 足の痛みがまだあるのか?」
「いえ、足は問題ありません」
「なら、どうしてだ? さっきよりキレがない……それにスプリットだって……」
もう住田さん達に黙ってはいられない……そう思った瞬間内藤が切り出した。
「山岸、もう皆に話そう……」
内藤が切り出してくれたお陰で、僕は皆に話すことが出来た。そして、鈴木さんは言う。
「山岸、水くせぇぞ。俺達は仲間だ。ここまで戦ってこれたのも、お前のお陰だ。いつも住田さんが言ってるだろ? 俺達バックを信じろって……ですよね? 住田さん」
「うむ。鈴木の言う通りだ。俺達には裏がある。気楽に行け! 俺達はお前に頼るしかないだ。投げれるな?」
ありがたい……負傷して、満足のいく投球を出来ない僕をこんなにも気遣ってくれる仲間。僕は住田さんに『はい』と一言答えた。
なんとしてでも抑えたい……気力のピッチングで、次の打者を三振に切って取った。
あとひとつ。
あとひとつのアウトが、僕にのし掛かる。続く打者に四球を与え、ツーアウト、満塁。
住田さんは、笑顔で言う。『逆に守り易くなった』と。
しかし、期待に答えることは出来なかった。
続く打者にセンター前に弾き返され、二点を失い遂に逆転を許してしまった。その後、内野ゴロに打ち取り追加点はやらなかったものの、僕は肩を落としベンチに引き返した。
「ドンマイ!」
「一点なんて逆転出来る!」
「山岸、お疲れ!」
逆転を許した僕を誰も責めず、労いの言葉を掛けてくれた。
かつて、エラーをした木下さんに食って掛かった時のことを思い出す。僕は自らの行動を今更ながら恥じた。
「さぁ、悔いのないように、頑張るぞ!」
住田さんを中心に、最後の円陣を組む。僕は気持ちを切り替えた。
「さぁ、反撃だ!」
住田さんはそう言うと打席に向かった。住田さんから打順は始まり、内藤、市原と続く。逆転の可能性は、まだ残されている。
僕は指の応急処置をした後、祈るように応援した。
――キィィン――
皆の願いが届いたのか、住田さんの打った当たりはセンター前に転がっていく。住田さんは、僕に向けガッツポーズを見せた。僕も包帯で巻かれた痛々しい左手で、拳を作りそれに答える。
続く内藤も詰まりながらもレフト前に弾き返し、ノーアウト一、二塁。
さすがに、本庄も疲れを隠せないようだ。恐らく本庄をここまで苦しめたチームはなかったのだろう。
これに続けと言わんばかりに、市原が気合いを入れる。しかし、気合いが空回りし市原はキャッチャーフライに倒れた。
ワンアウト一、二塁まだチャンスはある。
続く神田さんは粘りに粘り、四球を選んだ。その後、石塚さんが三振に倒れ、打席には東海林さんが向かう。
――あと一人、あと一人――
三塁側スタンドからは、『あと一人コール』が響き渡る。
東海林さんは目を閉じ、空を見上げる。
誰よりも練習をこなし、誰よりも野球を愛している東海林さんだ。そして、誰よりも土壇場に強い……最後のバッターになるかも知れないというプレッシャーは相当なものだ。
本庄はランナー全員に目を配った後、セットポジションから投げた。
――ドクン、ドクン、ドクン……――
緊張の一瞬……鼓動が速くなる。
――カキィィン――
改心の当たりだ。僕達は思わず身を乗り出した。
打球はグングンのび、センターバックスクリーン目掛け飛んで行く。センターはその打球を追い掛け、全力で駆け出した。
「頼む……入ってくれ!」
皆の祈りが打球に込められた。