壮絶! 左腕対決
そして僕は今ここ(マウンド)に立っている。
清々しい気分だ。大観衆を前に投げることが、こんなに心地好いものだとは知らなかった。
皆で勝ち取った五点……その差は二点。この二点を守りきるのが、僕の使命。そしてそれは、明日への希望に繋がる。
――ズバァァン――
肩の調子もいい。後半、こういう展開を予想して監督は僕を抑えに回したのか知れない。僕は投球練習をしながら、そう思った。
「締まって行こう――っ!」
内藤はいつも以上に声を張り上げた。前の回、大量得点を挙げただけあり、周りの皆も気合いの入り方が違う。だが、試合はまだ終わっていない。ここからが、正念場だ。
聖新学院の打者が、打席に入る。内藤の指示通り、まずは低めに直球を投げた。
「ストライク――っ!」
スタンドから、僕に声援が送られる。内藤は、次も同じコースに直球を要求した。
――ブォン――
――ズバァァン――
「ストライクツー!」
信じられないくらい球が走り、空振りを誘った。内藤は決め球を要求する。つまり、スプリットだ。
僕は首を縦に振った後、渾身の力を込めて投げた。手首、肘、下半身……修正しただけあり、癖はもう見抜けないだろう。
――ズバァァン――
「ストライク、バッターアウト!」
スタンドの声援はより大きな物になり、僕は背中からそれを吸収した。
「ワンナウト――っ!」
内藤は、人差し指を空高く掲げた。
続くバッターは、本庄だ。ピッチングに評定はあるが、バッティングは人並み。そんな本庄だが、油断は禁物。本庄とて、負けられない試合。負ければ夏は終わる。条件は同じだ。
散々迷った挙げ句、内藤はスライダーを要求した。本庄の高速スライダーに勝てるかはわからないが、僕だってスライダーを投げれるようになったのだ。
「ふぅん」
直球と同じフォームで、振りかぶる。
――カツン――
本庄は、見事にスライダーに引っ掛かりサードゴロに倒れた。
聖新学院ベンチはざわめき始める。恐らく僕が、スライダーを投げれるというデータがないのだろう。
次のバッターも内野ゴロに打ち取り、この回三者凡退で切り抜けた。まずまずの立ち上がりだ。
ベンチに戻ると、千秋と佳奈さんが温かく迎えてくれた。
「蓮ちゃん、凄いよ」
「やっぱり、山岸君頼りになるわ」
「ありがとう……」
二人の言葉に感謝していると、内藤が僕を睨み付ける。その目はマジだ。言わなくてもわかる。『俺の彼女だぞ』と言っている目だ。
「おい、お前ら応援しろよ!」
そんな姿を見て、監督が激怒する。確かにそうだ。僅かにリードしているとはいえ、試合は終わっていない。
打席には、住田さんが入る。
――ズバァァン――
息を吹き返したように、本庄の球威が戻っていた。さすがは、本庄だ。あれくらいで、へこたれる器じゃないのはわかっていたが、立ち直りが早い。
結局、僕達も三者凡退に打ち取られこの回を終えた。
◇◇◇◇◇◇
その後、試合は平行線をたどり、5-3のまま九回表を迎えていた。ここをしのげば、準決勝進出。
勝利を意識していないと言えば嘘になる。しかし、早く解放されたい……という気持ちも強くなっていた。
聖新学院は、一番からの好打順。一回と同じく、最終回も先頭打者を出すか出さないかで、その後の展開の鍵を握る。
――わかっていた。
――わかってはいたが、コントロールが定まらない。
――痛い。
ふと左手に目をやる。人差し指の爪が割れ、微量ながら出血があった。
――こんな時に。
やはり、スライダーの練習で投げ込み過ぎたのだろうか? イヤなタイミングで、僕の指先は悲鳴を上げ始めていた。
僕は誰にも言わずに投げ続けた。もちろん、内藤にもだ。
「ボール、フォアボール」
結局、やってはいけない先頭打者を塁に出してしまった。内藤は異変を感じ、マウンドに駆け寄る。恋には鈍感だが、こういうことに関しては鋭い。
何食わぬ顔で内藤を迎えると、こう言った。
「山岸、どうしたんだ? さっきまでとキレが違うぞ。何かしたんじゃないのか?」
「ごめん……」
僕は悟られたくない一心で、そう返した。
「ごめんじゃわからねぇよ。言わないなら、この場でぶっ飛ばすぞ!」
その目は本気だった。内藤なら、本当にやりかねない。しぶしぶ僕は、理由を告げた。内藤は一瞬驚いたが、長い沈黙の後、言い添えた。
「わかった。俺が駄目だと判断したら、監督に言う。いいな?」
「内藤……すまない」
内藤は何事もなかったかのように、マスクを被る。
――僕の我が儘を……すまない内藤――
僕は左手をギュッと握り締め、最後まで投げ抜くことを誓った。
続く打者に内藤は、直球を要求する。だが、僕は首を横に振った。少しでも負担を軽減させようとしているのはわかるが、それで打たれたら意味がない。『スプリットは無理でも、スライダーならいける』内藤にサインを送ると、ようやくそれに合意した。
セットポジションからの投球。
――大丈夫だ――
暗示を掛けるように、僕は呟いた後投げた。
――カァァン――
詰まった当たりは、セカンドの鈴木さんに転がった。このコースなら、ゲッツーも狙える。そう思った瞬間、バウンドが急激に変わり、打球は鈴木さんの肩をすり抜けライトに転がっていった。
その間にランナーは二塁を回り三塁へ。ノーアウト、一、三塁のピンチを迎えてしまった。それと同時に、指先の痛みも激しさを増す。
仮に内藤が監督に言ったとしても、僕の代わりはいない。あれは、内藤なりの優しさだと知っていた。
強力聖新打線をねじ伏せるには、スライダーだけでなくスプリットも投げるしかない。
――住田さん達との夏をまだ終わらせたくない――
共に汗を流し、共に厳しい練習に耐え、ここまで来た苦労は聖新学院にさえ負けはしない。
僕は開き直り、投球を続けた。