表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あの夏を忘れない  作者: エイノ(復帰の目処が立たない勢)
第一章 陸上と野球 一年生編
30/88

機動力を見せろ

 試合前の予告通り監督は、打席に入る住田さんにバントのサインを送った。この機会を無駄にせず、まずは一点を取りに行く作戦だ。

 本庄は鈴木さんを警戒し、執拗に何度も牽制する。

 三回牽制した後、ようやく投げた球は、大きく外された。すかさずキャッチャーは一塁に投げる。


「まずい、戻れ!」


 住田さんが言うも、既に鈴木さんは飛び出しており挟まれた。

歓喜が溜め息に変わる。


「鈴木――っ! 俺に任せろ」


 住田さんは、ベンチに戻る鈴木さんに言い添えた。住田さんはもちろん、ベンチの誰一人として鈴木さんを責めなかった。そんな様子を見て僕は、なんていいチームになったのだろうと思った。


「いくぞ!」


 ユニフォームの裾を持ち上げながら、住田さんが雄叫びを上げる。

さっきまでと違う雰囲気……オーラさえ見える気がした。

 気迫だけなら負けない。住田さんは、あえて高速スライダーに標準を合わせる。そうとも知らず、本庄は初球から高速スライダーを放り投げた。

 素直に返した打球は、センターの頭上を遥かに越え、フェンスに激突した。あわや、ホームランという当たりだ。

 住田さんは一塁を蹴り、二塁に到達した。ベンチに向かって、今日初めてのガッツポーズ。

 再び一塁側は沸いた。


 ネクストバッターサークルでは、内藤が自らの頬を叩き気合いを入れる。


「よし……やるか……」


 誰にも聞こえないくらい小さな声で、内藤は囁いた。僕は内藤がそう言ったのを、何となく感じ取った。

 マウンド上の本庄は毅然(きぜん)とした態度を取る。

内藤はバットのグリップを握り直し、一瞬レフト線を見つめた。

 本庄は、その内藤の見つめた視線を見逃さない。だが、これこそが内藤の戦略。勝負の駆け引きは、既に始まっているのだ。

 初球本庄は、外に外す。内藤は尚も、レフト線を見つめる。この時点で、勝負は決まっていたのかも知れない。

 二球目本庄は、鋭い直球で内角を攻めた。途端に内藤はバントの構えを見せる。




――コツン――




 上手く打球を殺した球は、一塁線ギリギリを転がった。バントを全く警戒していなかった一塁手は動揺し、お手玉をした。

 一塁ベース上で内藤が拳を握る。監督は、ニヤリと白い歯を溢した。監督は、密かにバントのサインを送っていたのである。足を使った機動力野球……地味ながら、ジワジワと本庄にダメージを与えていった。


 ワンナウト一、三塁。最低でも一点は返したい場面で、市原の登場である。

 初のピンチに陥った聖新内野陣は、本庄の周りに集まった。本庄は、尋常じゃないほどの多量の汗をかいていた。これが、プレートの示したメンタル面の弱さなのかと実感した傍ら、対強打者のスキルを思い出した。スキルが勝つか、メンタル面の弱さが出るか予測は出来ない。

 内野は前進守備を取る。市原は表情一つ変えず、初球低めに決まった球を見逃した。二球目も、同じコースに本庄は投げた。

 早くも追い込まれ、危機的状況かと思われるが、これは市原の作戦だった。本庄の性格からして、遊び球はない。三球目は、必ずスライダーを投げてくる。僕はそう予想した。恐らく市原も、同じだろう。

 鈴木さんが塁に出た時と違い、本庄はランナーに無関心だ。どうやらピンチに追い込まれると、ピッチング一点に集中する癖があるらしい。

 早いモーションで、本庄は投げた。予想通りスライダーだ。

 その間に、内藤は素晴らしいダッシュを決める。

長打なら、ホームも狙えるスタートダッシュだ。

 市原は待ってましたと言わんばかりに、体をライト方向に向ける。変化が疎かになった本庄のスライダーを、市原はバットの芯で捉えた。




――キィィィン――



 ライト方向に流し打ちされたライナー性の当たりは、鋭くライトを守る選手の空間を引き裂いた。


 歓喜とどよめきの中、まずは住田さんがホームを回る。ライトがボールに追い付く頃、内藤は三塁を蹴る。


――間に合うか――




――ザザァ――





 返球された球は僅かに反れ、二点目も奪取した。その間に市原は、二塁へと辿り着いた。2-3。


 未だ劣勢に変わりはないが、確実に流れは僕達に向いていた。これに続けと言わんばかりに、神田さんが打席に入る。

 本庄は酷く疲れた様子を見せ、肩で息をする。聞いた話では、この準々決勝まで無失点で勝ち上がってきたらしい。つまり、本庄に取って初めての失点。それも、遥か格下相手からの失点。

 エリートのプライドは、ズタズタに引き裂かれたようだ。


――本庄が開き直る前に叩く必要がある――


 誰もがそう思った。しかし、動揺しているとは言え、聖新のエース。神田さんは中々突破口を開けず、攻めあぐねいていた。

 カウントは、ツーストライク、スリーボール。ここでまたもや監督は、バントのサインを出す。

 チームで一番バントの上手い、神田さんを信用してのスリーバントだ。

 本庄は汗を拭った後、ボールを投げた。




――コツン――




 内藤のバントも上手かったが、神田さんのバントは更に上手い。

確実に打球を殺し、市原を、三塁に送った。

 ツーアウト三塁。一打同点のチャンスだ。

 バッターボックスには、石塚さんが入る。石塚さんはファールで粘りながら、四球を選んだ。

 続く東海林さんも四球を選び、ツーアウトながら満塁だ。

またとないチャンスが、明秋に巡って来た。

 完全に本庄は、自分を見失っていた。その心を表すなら、『屈辱』が相応しいであろう。

 バッターボックスに向かう五十嵐さんに、監督が耳打ちをする。


「監督、五十嵐さんに何て言ったんですか?」


 僕は話の内容が気になり、監督に聞いた。


「な~に、お前のやれることはたかが知れてる。気にせず、おもいっきりやってこいと言っただけだ」


 そこには、何の作戦もなかった。選手の性格を的確に操り、能力を引き出すやり方。恐らく、五十嵐さんのことだ。監督に認めてもらいたいと願い、三年間をぶつけてくるだろう。

 住田さんを影で支えて来た立役者を、主役にしてあげたいと願う、監督の思い。僕は言葉の意味を、そう感じ取った。


 今まで聖新学院を応援していたスタンドの観客も、五十嵐さんにエールを送る。誰かが言った。



――五十嵐、五十嵐――



 一人が二人、十人が百人に変わり、球場は『五十嵐コール』に包まれた。

 それに答えるように、五十嵐さんはコンパクトなスイングを見せる。




――カコン――




 詰まった当たりだが、ボールはレフト前に落ちた。三塁ランナーの市原が返り、遂に3-3の同点。

 試合を振り出しに戻したのである。


「タイム!」


 ここで両チームタイムをかける。


「山岸、いけるな?」


 監督は僕の肩を叩いた。


「はい!」


 僕はヘルメットを被りながら、元気に返事をした。尚も、ツーアウト満塁。

 次の回から自分を助ける為にも、自らのバットで点を取りたい。

僕はそう思った。


「蓮ちゃん、頑張ってね」


「任せておけ!」


 千秋の応援は、心強かった。ようやく、大舞台に立てる喜びを犇々(ひしひし)と感じていた。プレッシャーより、嬉しさが勝るほどに。


「お願いします」


 マウンド上の本庄は、一瞬不思議な表情を浮かべる。恐らくトイレで出会った僕が打席に立ったことに驚いているのだろう。


――君には負けない――


 本庄は、そう呟いた。


――僕が勝つ――


 僕は本庄にそう返した。本庄は僕と出会って我に返ったのか、かつてのキレを取り戻す。

 カウントは、ツーストライク、ワンボール。本来ならスライダーを投げてくる筈だが、直球が来ると僕は予想した。




――キィィィン――



 予想は的中、僕はライト前に弾き返した。僕はこの勝負に勝ったのである。

 二点を加え、5-3。その後、鈴木さんは内野ゴロに倒れ、明秋の長い攻撃がようやく終わった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ