恋い焦がれて
東城高専との接戦をものにし、勝利の余韻に浸りたい所だったが、そうもいかないらしい。
三回戦、つまり準々決勝の相手は、県内でも強豪中の強豪『聖新学院』だ。聖新学院は、寺が丘高校と並び甲子園の常連校で、ここ数年はこの二高に絞られていた。甲子園に出場する以前に、越えなくてはいけない試練と言っても過言ではない。
今回対戦相手となる聖新学院だが、各地から優れた逸材を獲得し、野球部だけで百人を越すほどの力の入れようだ。ドラフトに掛かった選手も多数存在し、毎年プロも注目するエリート集団だ。
中でも僕と同じ左腕の二年生エース「本庄学は高速スライダーが武器で、これまで打者を一網打尽にしてきたらしいのだ。と、言っても他のチームに興味のない僕は、全て佳奈さんに聞いた情報なのだが……。
僕としては早く怪我を治し、自分らしいピッチングが出来ればいいと思っている。しかしながら、高速スライダーには興味がある。
スライダーとは、大きくわけて二種類あり、利き手と逆に変化する横のスライダーと、落ちながら曲がる縦のスライダーがある。
何れにしても初歩的な変化球で、先にスプリットを習得した僕は内藤に散々からかわれていた。
そこで僕は次の試合までの、残された二日間でスライダーを習得しようとしたのだが、一筋縄ではいかなかった。
◇◇◇◇◇◇
遡ること一日前……東城高専戦の試合後、僕は内藤に呼び出されていた。内藤は神妙な面持ちで、本題を切り出す。
「実は今日の夜、千秋ちゃんに告ろうと思う」
やがて来るとは思ってはいたが、さすが内藤……先の読めない男である。
「マ、マジか? 頑張れよ」
動揺しながらも、僕は思ってもいないことを口にした。内藤はいい奴だ。でも、千秋を取られるのは何処か切ない。
「山岸、応援してくれるのか? そいつはありがたい。言いたいことは、それだけだ。聖新学院戦も頑張ろうな。じゃ、俺帰るわ」
「お、おう。じゃあな」
一方的に話し終えると、内藤は浮かれながら帰っていった。取り残された僕は、複雑な気持ちだった。
◇◇◇◇◇◇
そしてその夜、内藤の言ったことが頭から離れずにいると、千秋から電話が掛かってきた。
「もしもし、蓮ちゃん? 私……」
それは明らかに、いつもよりトーンが低い千秋の声だった。
「おう、千秋。どうした?」
「実はさっき、内藤君から告られちゃった……」
受け止めなくてはいけない現実。結果が気になり、僕は直ぐ様聞いた。
「それで?」
必要以上に余計な言葉が脳裏を駆け巡り、あまりに素っ気ない言葉が出てしまった。
「うん……。もう少し待ってって言ったんだけど……どうしたらいい?」
「それは……千秋が決めることだろ?」
「そっか……そうだよね……うん、わかった。何かゴメンネ……試合で疲れてるのに……じゃ、また明日ね」
「おう、また明日」
その言葉の裏に隠された本心を聞き出せず、僕は電話を切った。
◇◇◇◇◇◇
そして翌日……つまり今現在だが、僕は内藤の口から千秋に告白したと、報告を受けた。もちろん、昨日千秋から相談を受けたことは内緒だ。
内藤は嬉しそうに語っていたが、僕は素直に喜べなかった。
放課後、練習が始まると、内藤はいつもより張り切っていた。右足の怪我の具合も心配だったが、千秋の出す答えの方が心配だった。
「よし、今日はこの辺にしておこう。明日は部活を休みにする。相手は常勝聖新学院だ。何処まで戦えるかわからないが、全力をつくすぞ!」
住田さんがそう言うと、いつもより一時間以上も早く練習は終わった。しかし、僕は直ぐには帰らず、部室に残っていた。
そこに内藤がやって来た。
「まだ帰らないのか?」
「まあね。右足の腫れもだいぶ引いたから、『投げたいな』なんて思っていたとこだ」
「ふ~ん。どれ、見せて見ろ」
内藤は怪我の具合を見せろと言ってきたが、僕は頑なに拒んだ。
「大丈夫だって」
内藤に見せなかった理由はただ一つ。実際、腫れはまだ引いていなかったし、僅かだが痛みもあったからだ。
「まぁ、いいや。とにかく痛みがないなら、俺が受けてやるよ」
「本当か? 内藤! 実はスライダーを覚えたくて……」
「やっとスライダーを覚える気になったか。お前の場合、順番が逆なんだよ。スライダーは基本だからな。聖新学院のピッチャーもスライダーが武器だしな」
内藤は笑いながら言った。
時間がないのは、わかっている。しかし、何もしないで戦うなんて僕には出来なかった。だから例え短い時間でも、スライダーを習得しようと思ったのだ。
「腕の振りが甘い!」
内藤は真剣に向き合ってくれた。僕が習得しようとしているスライダーは、横のスライダー。
打者から見れば、ストライクからボールへ、ボールからストライクへ変化する球だ。ものに出来れば、バットの芯を避けることが出来、スプリット以外の武器になるのは間違いない。
五十球ほど投げると、ちょっとずつコツを掴み始めた。しかし、軸足である右足が思うように動かず、スライダーの習得は難航を極めた。
「今日は、このぐらいにしたらどうだ?」
昨日の疲れもあり、球が乗らないのであろう。内藤は、切り上げることを提案した。
「もう少し……もう少しだけ……」
「仕方ないな……」
そんなやり取りをしていると、千秋が現れた。
「二人共、お疲れ様~。あの……内藤君? 話があるんだけど……」
労いの言葉を掛けた後、千秋は内藤の元へ駆け寄った。
「どうしたんだ? 千秋ちゃん……」
「実は昨日の返事をしたくて…………内藤君、私と付き合って下さい」
それは僕の目の前で、行われた。マウンド上で、立ち尽くす僕に柔らかな夕日が包み込む。
――予想だにしない結果……。
僕はボールをギュッと握り締めた。