予期せぬ出来事
翌日、市原は約束通り髪を切って来た。髪を切るどころか、丸坊主にして来たのである。
「市原……坊主、似合わねぇな」
からかうように内藤が言うと、市原は『うるせぇよ』と照れくさそうに言った。
しかし、市原の坊主より衝撃的な事実が待ち受けていたのである。それはその日の放課後……つまり、練習前に起きた。
「ごめ~ん、遅くなっちゃった……昨日は部活来れなくてごめんね。論文が苦手で……今日も居残り食らったぁ」
着替えを終えた僕達の前に、佳奈さんは現れた。今日も一段と可愛い……。
僕がそんなこと思っていると佳奈さんは、市原に声を掛けた。
「章太……本当に髪切ったんだね。うん……うん……」
佳奈さんは、市原の坊主頭をまるで子供のように撫で回した。そんな様子を見て呆気に取られていると、市原が言い返す。
「止めろよ!」
マネージャーとは言え、年上にタメ口を聞くことに納得がいかない僕は、市原に食って掛かった。
「佳奈さんに向かって、『止めろよ!』は、ないだろ?」
僕がそう言うと、佳奈さんはクスクスと笑い始めた。
「いいのよ、山岸君……」
「えっ? どういうことですか?」
僕は思わず聞き返した。
「だって、章太は私の弟だもん……」
衝撃的だった――。
心臓が飛び出そうということは、こう言うことなのだろう。こんな可愛い佳奈さんと、似ても似つかないゴツい男が姉弟だなんて、理解し難い。
念のため市原にも聞いてみる。
「ほ、本当か?」
絞り出したような声は、か細く空気を伝った。
「あぁ……俺の姉ちゃんだ。俺は親戚の家に身を寄せてて、一緒に生活はしてないけどな」
――ガーン――
漫画の一コマのように、そんな音が響いたように思えた。鈍器で頭を殴られたような感覚と共にだ。
後からやって来た住田さん達も、これには驚いた。
「まさか、佳奈の弟とはな……しかし特別扱いはしないぞ。髪も切ってきたようだし、早速練習を始めるぞ!」
「はい!」
住田さんの言葉に同調すると、僕達はグランドに駆け出した。
以前までは奇数だった為、住田さんのキャッチボールの相手がいなかったが、市原が加入後それも解消された。
僕達はこの勢いを止めることなく、グランドで汗を流した。
◇◇◇◇◇◇
そして、東城高専試合当日の朝を迎えた。
僕は、陸上部時代から日課にしている早朝のランニングを済ませると、近所の公園に立ち寄った。ランニングの後のクールダウンは、いつもここで行っている。
「今日も、張り切って頑張るぞ!」
自己暗示に掛けるように、独り言を言っているとポケットの中の携帯電話が騒ぎ出す。
――誰だろう? こんな時間に――
そう思いながら液晶画面に目をやると、佳奈さんからの着信だった。直感的に僕は胸騒ぎがした。
「もしもし、山岸ですけど……」
「山岸君? キャプテンが……キャプテンが……」
焦りながら話す佳奈さんを、冷静になるように諭しながら言った。
「佳奈さん、落ち着いて下さい。キャプテンがどうしたんですか?」
「キャプテンが捻挫してしまったの……明秋病院にいるから、来てくれない?」
「わかりました。すぐ、行きます」
僕は電話を切ると、そのままの勢いで明秋病院まで猛ダッシュした。明秋病院までは、約一キロ。休むことなく一気に病院に駆け付けた。
「ハァ……ハァ……」
肩で息をしていると、佳奈さんが近付いて来た。
「山岸君、来てくれたんだね……こっちよ」
佳奈さんに案内され病室に行くと、右足首にテーピングを施され、顔にかすり傷を負った住田さんがベッドで横になっていた。そしてその横には、市原の姿もあった。
「山岸……すまない、こんなことになってしまって……」
住田さんは、目に涙を浮かべながらそう述べた。
「一体、どうしたんですか?」
「皆には内緒にしてたんだが、俺は毎朝新聞配達をしている。この三年間ずっとだ。今日もいつものように配達をしていたんだが、車に引かれそうになった子犬を助けてこのザマだ……。そして、偶然通り掛かった市原に助けられたんだ……」
「そうだったんですか……」
「山岸、本当にすまない……今日の試合……出られそうもない。頭を打った所為で、検査が必要らしいんだ……それにこの捻挫では……そこで俺の代わりに市原に出てもらう」
「市原に?」
僕が驚くのと同時に、市原も驚いた。
それはそうだろう。いくら経験があるとは言え、ブランクがある。
すると住田さんは、こう言い添えた。
「お前の持ってるプレートで、市原を見てみろ。俺の目に狂いがなければ、市原は十分戦力になる筈だ」
「わかりました……」
僕は半信半疑で、市原に標準を合わせた。
強肩B
打撃力AA
守備力C
走力C
ガッツA
スキル『負けん気』
『素晴らしいバッターです。長打を狙うだけでなく、左右に打ちわけることもでき、そのセンスは芸術性があるでしょう』
プレートの液晶画面には、そう映し出されていた。
「住田さん……これは?」
「な? 俺の言った通りだろ?」
市原は何のことかわからず呆然としていた。僕は市原にプレートの効果を伝えると、佳奈さん共々喜んだ。
病室の窓からは、心地好い風が流れ込み、少しだけ夏の匂いがした。そんな中、住田さんが言う。
「山岸……お前に頼みがある」
険しい表情を見せた後、目を細め窓際を見つめながら言葉を重ねた。
「俺がいない間、チームを引っ張ってもらいたい…………」
それはつまり、キャプテンの代わりをしろと言う意味だった。
病室に飾られた花びらが、一枚ヒラヒラと舞いながら床に落ちる。静寂の後、一旦言葉を飲み込み僕は答えた。
「僕は…………」