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雑談日和 『凡人の才』

第二章  雑談日和『凡人の才』


 日曜日、休日。いつもながら特別用事も無かったので、俺がのそのそとベッドを抜け出したのは十一時を回った頃だった。

 実は九時半頃には既に目覚めてはいた。枕元にある漫画を読み返したり、ケータイをいじったり、読みかけの小説をパラ読みしている間に一時間半経ってしまっただけである。

 本当はそのまま二度寝しようとしたのだが、タオルケットを被り目を閉じると、眠気よりも空腹が浮かんでくる。そんなわけで、俺は渋々一階へと、食い物を求めて降りてきたのだ。

 我が家の間取りに、わざわざ説明しなければならないような点は無い。ごく普通のリビングと台所。俺は炊飯器、コンロ、冷蔵庫と順々に食料を確認する。

「……白米二人分」

 以上。

 納豆の一つも無えってどういうことだ。

 ふと気付くと、冷蔵庫に書き置きが張り付けられている。そこには母親のやたら達筆な字で「いつまでも あると思うな 親と飯」と俳句調の文言が。

 ……今日は帰らない、ということらしい。

 今日はフラダンスだったか、それともウクレレだったか、あるいは登山だったか。とかく多趣味な母親なのである。

 しかしこれは困った。改めて冷蔵庫を覗くと、野菜や肉など無加工の食品はあるものの、俺にそれを料理に仕立てあげるスキルは無い。そして母親の意向で、この家にはインスタント食品の類は置いてない。

 数秒の逡巡ののち、俺はポケットからスマホを取り出す。

 アドレス帳を探すより、発信履歴を探る方が早い。俺は慣れた手付きで、幼馴染みの番号に電話を掛けた。

 コールが三つ。祭はいつもの明るい声で応答する。

『もしもし? どうしました、宗一君』

「あー、お前今どこ?」

『いつもの通りあなたの隣に』

「怖ぇよ」

 間違っていないんだろうけど。家にいるなら都合が良い。

 しかし俺が用件を口にする前に、祭はずばり言い当ててみせる。

『もしかして、ご飯ですか?』

「なぜ分かる」

『日曜日、この時間に電話を掛ける用事なんて、ご飯ぐらいしかないじゃないですか。食品はありますか?』

「ん、白米二人分と、肉とか野菜とか少々」

『十分です。今行きますね』

 ぷつり、と通話が切れる。そして隣の家から、階段を駆け降りる音がくぐもって聞こえた。

 数分もしないうちにチャイムが響き、Tシャツにホットパンツというラフな姿の祭が現れる。

 ……いや、顔すら洗っていない寝間着の俺が言うことではないが。

「来ました」

「ん、らっしゃい」

 しかしこの程度、お互い気にする仲じゃない。祭は勝手知ったる人の家、という様子でずんずんと台所へと進んでいった。

 祭は炊飯器と冷蔵庫を覗くと、「チャーハンですね」と呟く。

「そっか。お前も食べてくだろ?」

「ですね。良い時間ですし、頂いていきます」

 そう言いつつ、祭は台所の柱に掛かっているエプロンを身につける。これは基本的には母親のものだが、料理をする人はこれを装備する、というのが我が中原家のハウスルールだった。

 鼻歌交じりに食材を取り出す祭の背に、俺はなんとなく声を掛ける。

「いつも悪いな、料理は任せちまって」

「いえいえ、こういうのは持ちつ持たれつ、餅は餅屋です」

 他でお世話になっていますし、と祭は笑う。普段振り回している自覚はあるらしい。

 日頃の苦労を思えば、これぐらい報酬として受け取っていい気もするが……うーん、性分故か、どうにも引け目を感じてしまう。休日にいきなり呼び出して飯だけ作らせるとか、俺は一体何様なのだという話だ。

 せめてなにか手伝えないか、と俺は言ってみる。

「ご飯炊こうか?」

「二人分はありますよ」

「野菜洗うか?」

「大した量じゃないので」

「肉炒めるとか」

「宗一君」

「なんだ」

ごーほーむ(おうちにかえれ)、です」

 振り向いた祭は、笑顔で俺に撤退命令を放つ。

 ……俺の家はここなんだが。

 しかし台所にいても邪魔になるだけなので、俺はおとなしくリビングに引っ込む。これもいつものやりとりだった。

 ――大体の人間には自分の得意分野があり、そして人は往々にして、その聖域への手出し口出しを嫌う。祭の場合得意分野は料理であり、台所は奴にとってある種の聖域なのだろう。

 俺はリビングのソファーに寝ころび、祭の下手くそな鼻歌を聴くともなく聴く。邦楽だったり、洋楽だったり、アーティストはてんでバラバラだが、祭は穏やかなバラードか聴きやすいポップスを好んだ。

 俺が一時期ロックにはまった頃、こいつにCDを貸し付けたら「うるさすぎるのは嫌です」とすぐに突っ返されたっけ。そのあと結局俺もロックには飽きて、今じゃヒットソングぐらいしか聴かないけど。

 こいつはガキの頃からブレないよなあ……

 いつだって祭は祭だ。俺を含め、周りの誰かに流されたりしない。そのマイペースっぷりには散々手を焼いたのも事実だが、しかし同時にそれをどこか尊敬もしているのだ。

「俺には、なにも無いからなあ……」

 不意に自嘲が口をついて出る。流されてばかり、というほどに気弱なつもりは無いが、祭のような確たる自己も、また言うほどの特技も持っていないのだ。

 一言で言えば、普通。

 器用貧乏な勇者タイプ、だ。

 ――そんなことを考えているうちに、下手な鼻歌が止まり、代わりに食器が擦れ合う音がしてくる。チャーハンが完成したらしい。

 起き上がって配膳を手伝う。俺はチャーハンの皿を運び、祭は麦茶とコップをテーブルに並べる。

「では、いただきます」

「いただきます」

 祭の後に続いて手を合わせる。そして一口。慣れた味が口の中にじんわりと広がり、空腹を満たしていく。

 ほんと、料理は上手いんだよな、こいつ……

 正直に言って、少なくともうちの母親より数段上だ。セミプロレベル、と言っても過言ではないだろう。

「旨いよ」

「ですか。よかったです」

 俺の言葉に、祭はにっこりと微笑む。

「お世辞抜きで、だ。お前、将来料理人にでもなったらどうだ」

「やですよ。料理は好きですけど、私は学校の先生になるんです」

「ああ、そうだったっけか……」

 昔から言ってたっけ。こいつは生徒になめられそうだなあ、と聞くたびに思ったものだ。

 ――こうして胸を張って言える夢も、俺には無い。

 きっとそれは、珍しいことじゃないとは思う。クラスの連中を見ても、明確な将来のビジョンを持っている奴の方がずっと少ないだろう。

 だけど、そうは言っても、思うことはある。

「……お前、実は結構すごいよな」

「えへへ、なんですー? おだててもなにも出ませんよー?」

 そう言いつつでれでれと頬を緩ませる祭。

「そういうのじゃねえから。ただ、なんて言うんだ? ブレないし、意外としっかりしてるし、料理できるしさ」

「……どうしたんです? 今日は褒めすぎですよ」

 俺の様子がいつもと違うことに気付いたのか、祭は緩んだ表情を引き締める。お互い十年来の幼馴染みだ、ちょっとした変化でも隠せるものではない。

 んー、言うほどのことでも、ないんだが……

 こちらが誤魔化せば祭は追求はしてこないだろうが、しかし俺は打ち明けることにした。むしろ、どこかで聞いてほしいと思っていたのかもしれない。

「一昨日、与太話をしただろう」

「ドラゴン討伐演習ですか。楽しかったですね」

「何回言うんだっての……まあ、それでさ、キャラをリアルの自分基準で作っただろ?」

「ええ、ロールプレイングですから」

「そのとき、改めて考えたらさ、俺って突出したものがなにも無いなー、って思ったんだよ。一応戦士をやったけど、あれは俺たち三人の中じゃ体力があるから、ってだけだしさ」

 俺以外の二人なんか、一人は女子でもう一人は女子以下だ。全国男子高校生の平均から見れば、俺はそこまで際立って優れているわけじゃない。

 そして、身体面以外で見たら、それこそ俺にはなにも無い。

 祭だけじゃない。敦だって、強すぎるぐらいの我を持っているし、頭脳に於いて奴の右に出る者はそうそういないだろう。特技というなら、奴の弁舌はそれだけで一つの武器と言えるレベルだ。

 だから、その。

「お前らを見てると、こう……劣等感が、どうしてもな」

 俺は伏し目がちに、小さく白状する。

 普段はそんなに感じないんだが、機会があって改めて考えると、自分が如何に平凡か痛感してしまうのだ。

 祭は俺の告白を聞くと、「そうですか」と静かに頷く。

 そして、しばしの沈黙。

 コップに残った麦茶を飲み干し、一息ついて、祭は口を開く。

「――私や敦君は、かなり偏ってますよね」

「偏ってる?」

 唐突な表現に、俺は面を食らう。際立っているとか、優れているとかじゃなくて、偏っている(、、、、、)。あまり使わない言葉だ。

「たとえば、それこそRPG風に、私たちの能力値を数値化したとしましょう。体力、力、素早さ、かしこさ、運、みたいな具合に。そしたら私や敦君って、自分の得意分野だけ飛び抜けて高い、すごくバランスの悪いステータスになると思うんですよ」

「まあ、それは、だろうな」

 二人とも、万能型というタイプではない。能力一点特化型、かなりピーキーなキャラクターだろう。

「私たちは、自分の土俵ならば人より頭一つ抜けていても、一歩外に出ると極端に脆い――そういう類の人間です。総合的に見れば、別段優れているわけじゃありません」

「……そうなのかも、知れないけど」

 普通の人が均等に振るステータスを、どこかに極振りしているだけ――仮にそうだったとしても、その言葉じゃ、納得はできない。

 否、本当は分かっているのだ。

 極振りしてるってのはつまり、努力してるということ。祭が幼い頃から包丁を握っていたことも、敦がなんだかんだで勤勉なことも、俺は知っている。そんな努力をできる奴らが、俺のような怠惰な凡人には、どうしようもなく羨ましいのだ。

 ――俺には、努力をする才能すらない。

 口をつぐむ俺に、祭は呆れ気味に苦笑する。

「ふふ、意外と考え込んじゃう人ですよね、宗一君って。私から見れば、飛び抜けたものはなくても、何事も人並みにできるって、結構凄いことだと思うんですけどね……

 それに、宗一君だって、他の人には無いものを持ってるんですよ?」

「? なんだよ、それ」

「中庸、ですよ」

 祭はそう言って、優しく微笑む。

 中庸って……

「お前、それ、平凡を言い換えただけじゃねえの……?」

「全然違いますよ。今言ってる中庸は、ステータスのことじゃなくて、立ち位置のことです」

「立ち位置?」

 ますます分からない。

 祭は少し言葉を選ぶように間をおいて、ゆっくりと話し始める。

「――宗一君って、昔からよく喧嘩の仲裁役をやっていましたよね。それから、なにか会議とかをするときは、司会を任されることも多かったでしょう」

「まあ、そうだが」

 小・中・高と、たしかにその手の役割をすることは多かったと思う。自分で名乗り出ることはあまり多くなかったと思うのだが、なぜかそういう厄介事は俺にお鉢が回ってくるのだ。

「それって、宗一君は基本的に、何かに偏らない(、、、、)からだと思うんです。人にも、物にも、考え方にも、宗一君はいつだって公平でした」

「そんなご大層なもんじゃないだろう」

「そうですか? だったら、ちょっと嫌な言い方ですが、こう言い換えてもいいかも知れません。

 宗一君は(、、、、)何に対しても(、、、、、、)熱くなること(、、、、、、)がない(、、、)――と」

「それは……」

 反論、できない。

 ――そうなのだ。

 俺は、何かに熱くなったり、執着したり、そういうことが全くできない。みんなが前のめりになって頑張っているようなことでも、俺はただ一人だけ一歩引いた立ち位置にいる、というのが常だった。

 そして、俺は祭の言いたいことをようやく理解する。

 あらゆるものから一歩引いているから、俺の立ち位置はたしかに中庸だろう。そしてそれは、何かに熱中できない、という俺の性分の副作用みたいなものだ。

 偏らないのではなくて、偏れない。

 どっちつかず、中途半端が故の中庸。

「――理由がどうであれ、宗一君の中庸は、それだけで得難いものだと思います。私の料理や、敦君の頭脳と同じ、一つの能力ですよ」

「……それこそ、そんなご大層な――」

 言いかけた俺の言葉を、祭は強引に遮る。

「いいえ、それは立派なものですよ。覚えていますか? 一年生の時、私と敦君が生徒会で初めて一緒になった日、それはもう凄い大喧嘩をしたことを」

「あぁ、あったな、んなことも……」

 止めるのが大変だった、と俺は呟く。

 特に、初対面の頃の敦は、今より遙かにとんがってたからなぁ……今の毒舌ですら、当時と比べれば可愛い鳴き声みたいなもんだ。

 でしょうねえ、と祭は苦笑して言う。

「あれを止めてくれたのも、宗一君でしたね。あそこに宗一君がいなかったら、きっと私たちは今頃犬猿の仲でしたよ」

「そうだとしても、あの喧嘩を止めることなら俺以外にもできたはずだろう」

「ええ、止めることだけなら。でも、私たちを落ち着かせて、お互いの言い分を言わせて、仲直りまでさせられたのは――きっと、あなただけだった。あなたがどちらにも偏らず、上手にバランスをとってくれたから、今の私たちがあるんですよ」

 祭はそう言って、穏やかに目を細める。

 その大人びた笑みに、不意に、言葉に詰まる。

 ったく、あぁもう……普段はガキっぽいくせに、こういうときだけ……

 照れくさくて直視できずに、俺は思わず祭から目をそらす。

「……、ありがと」

「いいえ。んふふ、まあ、与太話に付き合ってくれたお礼、ってことにしておきましょうか」

 祭はそう言いながら、空になった二人分の食器を持ち上げる。

「あ、洗い物ぐらい俺がやるって」

「私も頂きましたから。じゃあ、二人でしましょうか」

「ん、分かった」

 そうして、俺たちは台所に二人並んで立つ。そんな光景もまた、いつもどおりの日曜日だった。

 



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