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旅立ち

 宝くじがあたった。

 8億円。

 全く現実感がないがとりあえず6億を株や金などにかえて利益は薄くてもリスクを少なく運用し2億で店を出した。

 昔から趣味にしていたビール専門の居酒屋。

 ドイツに旅行した時に現地で飲んだ酒場をモデルに自分の好きないくつかの銘柄を中心に国産大手5銘柄国産地ビール5銘柄海外8銘柄ほどは生ビールまた、ゲストビールとしてその時その時で様々な国の様々な銘柄の生を3銘柄。その他は瓶で提供する。

 料理はドイツ風を基盤に、特にドイツにこだわるわけではなく、ビールに合う料理という一点に拘った。

 店の名前は”ワタリガラス亭”なんとなくヨーロッパ風にと考えた結果だ。

 結果、そこそこ固定客もついて経営も軌道に乗った。店はスタッフに任せても回るようになり私はイレギュラーがあった時のみ対応すれば中堅クラスのサラリーマンの収入くらいは入るようになった。

 最初に2億用意したが、予想より順調に推移したため、結局店が黒字になるまで突っ込んだ分は5000万ほどだった。

 最近では店長として雇った水谷君がかなり仕事が出来るようになり、イレギュラーもほとんど彼がこなせるようになった。

 水谷君はまだ27歳だが、接客のプロ意識、店のマネージメントなどはかなりの高水準の能力を持っている。

 店員やアルバイトの管理も素晴らしいの一言だ。

 そしてビールに対する情熱も私を上回るのではないかというくらいだ。

 一つ残念なのはかなり昔に流行ったオンラインRPGに未だに夢中で、十年以上前の仕様を再現して個人が開設しているモグリのオンラインRPGにプライベートの時間をほとんど費やしていることくらいか。

 優秀な男だがきっと恋人を作ったり結婚したりは難しいだろう。まぁ、彼はそれで満足しているようなのでこちらとしても特にいうことはないのだが。

 ただ、数名の店員やバイトをそっちの世界に引きずり込んでいるようなところはちょっと心配だ。

 うちの店に就職したせいで人生を狂わせることになったらと思うと注意したほうがいいのかとも思うが本人たちが納得しているものに口を出すわけにもいかないし、なにより仕事に支障を来すどころか共通の話題ができて店の団結が深まり効率も上がっているようなので放置している。

 しかしいい年をした男女が数人でドラゴンだのナイトメアだのPKだの言っている姿を見ると残念な気持ちにはなる。

 まぁ、客の前では一切見せないので問題ないといえば問題ないのだが。


 店を出して2年が経ち、もう完全に僕なしでも店は回るようになった。

 僕は気が向いた時にカウンターに立ったり、店で常連さんと飲んだりする事と、会計関係の監査以外はほとんど店にタッチしなくなっていた。

 ある日、僕は常連の宮本さんがオーナーも一緒に飲みなよと言ってくれたので彼のテーブルにおじゃましていた。

 宮本さんはフリーのカメラマン兼ルポライターだ。

 日本全国は言うまでもなく世界中を飛び回っている。

 専門は自然と歴史だそうだ。そこそこ売れているようで僕も何度か雑誌で彼の書いた記事を見たことがある。

 印象に残ったのは野鳥を紹介している記事で沖縄に住むなんとかいう綺麗な鳥の写真とそれに関する記事だった。専門的な事はよくわからないがその記事の写真はとても鮮やかで鳥の姿もとても生き生きとしていた。

「やー、やっぱり帰ってきたらこの店だよね。もうね、日本に戻って最初にここでビール飲まなきゃ落ち着かない」

 そう言いながら宮本さんはキリン一番搾りのスタウトを一気に流し込む。

 スタウトというのは一般的には黒くなるまでローストした大麦を原料に上面発酵させたものだが、日本では上面発酵でなくてはいけないという決まりはなく、一番搾りスタウトは日本の一般的なビールスタイルであるピルスナーと同じ下面発酵となっている。

 一番搾りスタウトは姉妹品である一番搾りの特徴の一つである飲みやすさを受け継いでいるようで、香りに特徴があるもののとても飲みやすい黒ビールだ。あっさりしているので脂っこい肉料理によく合う。

「いやいや、宮本さんは世界中飛び回ってるから。現地で飲むビールにはどうしてもかなわないですよ」

 僕もいただいた黒ビールをぐっと飲み干しながら答える。

 ビールは鮮度が大事だ。

 どんなに美味しいビールでも鮮度が落ちると味がガタっと落ちる。

 ビールは工場の煙突の影が落ちる範囲で飲めと言われるくらいだ。

 ビール工場で出来立てを試飲すると普段飲んでいる同じ銘柄のビールとの違いに愕然とする。

 特に外国のビールは輸送に時間と距離がかかっているのでどうしても日本では品質が落ちてしまう。

「まぁビールの味だけ言ったらそうかもしれないけどね。でも、前々から言ってるように俺は酒は雰囲気やイメージ込みで飲むものだと思ってるからね。この店の環境、料理があってそしてできる限り鮮度を落とさないように頑張ってるビールが出てくる。これが最高なんだよ」

 と宮本さんは嬉しいことを言ってくれる。

 僕もビールは雰囲気を楽しむ酒だと思っている。もちろん、僕と考えの違う人がいることは分かっているしそう言う人の楽しみ方を否定する気はない。

 というよりビールの楽しみ方なんて人の数だけあると思う。

 色んな食べ物飲み物がある中でビールというのは特に個人個人のこだわりが出やすいものだと僕は思う。

 ラーメンや焼酎と同じで一人一人で至高の味が極端に違い、違った場合交わることは難しい。だからこそ同じ感性でビールに接している人を見つけると僕はすごく嬉しくなる。きっと宮本さんも同じなのだろう。僕の顔を見るたびテーブルに呼んでくれる。

「酒は本当に雰囲気大事ですよね。もちろん、品質がいいというのは大事ですが・・・飲む環境は大事です。バーベキューをしているときなら冷えてさえいればある程度の好みの違いは気にならない事も多いですしね」

「うん。酒は飲む場所、一緒に食う料理、そして一緒に飲む相手が大事だよ。俺はオーナーや店長とこの店で飲めるなら大概のビールは美味しいと感じる自信があるよ」

「ありがとうございます。僕も宮本さんと飲むのは楽しいですよ。褒められて嬉しいし一品サービスしますよ。水谷君、こっちにおつまみステーキを僕の分と宮本さんの分」

 熊本の赤牛を使い、特製のタレで味付けして一口大にカットしたおつまみステーキは店の人気メニューだ。

 熊本の赤牛はほかの和牛と比べてサシが少ない。

 阿蘇で放牧し運動量が多いためだと思うがその分、脂肪の甘さではなく赤身の旨みを味わう肉だ。醤油をベースに少し甘味をつけたタレとよく合う。

 二人でおつまみステーキと黒ビールをひとしきり楽しんだところで宮本さんが一枚の写真を取り出した。

「オーナーにこれをあげようと思って」

 その写真は高いところから山肌を見下ろしている構図の写真だった。山肌には木が繁り密林といっても過言ではない感じだ。雲が下の方から登ってきているのだろう、下の方には山肌にへばりつくような雲が見える。その山肌に一ヶ所木がまばらになっているところがある。

 そこには木に隠れていくつかの屋根が見える。

 どうやって撮ったのだろう、まるで空中から撮ったように見える構図だ。壮大なパノラマに僕は少しの間、見入ってしまった。

「今回行った所の写真なんだけどね。世界一、雨が降る場所なんだって」

 宮本さんは更に数枚、写真を取り出す。バナナの木や名もわからない照葉樹が鬱蒼と茂っているジャングル。

 崖っぷちに細く作られた歩くだけでもめまいがしそうな道と吊り橋。

 なんとなく日本人に似た現地の子供たち。すごい雨が降っているのを雨が降っていない上から取られた写真。目の前も見えないほどの雨が降っている様子を家の中から撮った写真。

「すごくね、貧しいけどなんかすごく惹かれたんだ。オーナーもこういうの好きかなと思って」

 僕はその数枚の写真を見て僕はつぶやいた。

「雨の山脈、雲の村・・・って感じですね」

 僕の言葉を聞いて宮本さんは目を見開いた。

「おお、それいいですね。オーナー、案外詩人だなぁ・・・それ、今度書く記事のタイトルにもらっていいですか?」

 僕は少し照れながら頷いた。

「適当に思いついただけなんで恥ずかしけど・・・」

「いやいや立派なものだよ。いやー、今日はここに来てやっぱり正解だった」

 宮本さんは嬉しそうに笑った。


 あのあと、僕は宮本さんにあの写真のうち数枚を大きく引き伸ばして欲しいと頼んだ。宮本さんは記事のタイトル考えてくれたお礼と思えば安すぎると言いながら快く了承してくれた。

 そしてできたパネルを僕は部屋に飾って折りあるごとに眺めた。

 行ったこともない山奥の小さな村の空気を感じるような気がした。

 なぜこんなに惹かれるのかわからない。でも僕の心の中にこの村が居座ってどうしても離れなくなってしまった。

 あの後、宮本さんの記事は旅雑誌に載った。それを読むと村の暮らしが僕の頭の中で広がってその中に入って行きたくてたまらなくなった。


 そして数ヵ月後の4月半ば、僕は雲の村を目指して飛行機に乗っていた。

 宮本さんから村までの道のりと現地のガイドを紹介してもらい、村の長への紹介状を書いてもらった。

 幸いにも僕には時間は山ほどある。気が済むまで村に滞在しようと思っていた。



 

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