第二章 capter-2 イフリート(2)
次の日の昼休みになる。緋奥学園にある物静かな小トレーニング室の一つに、須賀谷と順は来ていた。因みに部屋の内装は、一般市民の高校の柔道場と体育館が複合したような感じである。
部屋の一画に柔道用の畳がある程度で、基本はワックスを塗った床であった。
「さて……と。ただの隣席だったお前がどういった風の吹きまわしで私が必要なんだ……? 須賀谷?」
だるそうな顔をしながらも順が一つ、背伸びをして須賀谷の方を見、ゴキゴキと首を鳴らしてきた。今一つ事態が、呑み込めていないようだ。
――だが、こちらは既に覚悟がある。
「いきなり切り出させてもらうが、お願いがある、一時的でも構わないんだ。まだ順、君は今年度のパートナーが決まってはいないだろう?」
「あぁ」
「……俺は特進Bの奴等と因縁がある。だから次の大会で勝ちたいから、何も言わずにこれから俺と組んでくれないか……? 賞金に興味は無いんだ、全てそちらの自由にしていいからさ」
須賀谷は緊張した面持ちをしながらもそう言って、もう一度頭を下げた。
「ほぉ……」
こちらに対し順は、キョトンと驚いたような顔をした。そして数拍、考え込んだような表情をする。
「……そうか。だが、残念だな。強くなりたいのなら他を当たって欲しい。……今の私には、目標なんてものは無いのだ」
しかし順は少しして近くの壁を一瞥すると首を横に振り、すぐにそう返してきた。
「……何っ」
やはりというか、そう答えるのは予想出来てはいた。しかし、こうも即答だとは……。
「それは何か……理由があるのか……?」
だがこちらも引き下がるわけにはいかない。疑問に奥歯をかみ締めつつも、理由を聞いた。
「態度はともかく、――頼みを断るのに理由がある必要があるのか、と言いたいが……一応隣席で関わってくれている事だしな、話してやろう。お前にはまだ分からないだろうが、人生には疲れってのがあるんだよ。私はもうなんだか生きるのが嫌になってきてしまったんだ。……どうせ報われずに骨になるなら何もしなくていい、心がすり減るなら目を瞑っている方がいいという考えでね」
すると順は素直に、何かを諦めたような顔で語ってきた。嘘をついている風でも無い。本当にそう思っているらしい。……疲れたと言う事なのか。
「そんな悟ったようなことをっ……」
言葉に詰まる。ある程度の質疑応答には答えを準備をしておいたが、問いに問いで返されるような事では捲し立てる事が出来ない。
「……お前には怒るつもりがないからはっきりと言ってやる。私はもうね、終わってるんだよ、人生が。もう底辺なんだよ、廃棄物なんだよ、諦めているんだよ、毎日を。……人らしい生活さえ送れてはいないんだよ、馬鹿みたいにな。貯蓄が切れて身体を壊したときが、私の死ぬときだ」
その間に順は自嘲的に笑いながらも、そう言葉を続けてきた。言いたい事は痛い程に共感が出来る。……この世の中は『本当の』弱者や敗北者に対してはあまりにも厳しい。平凡に生きる事でさえやっとだ。しかし、そう言うものの彼女だって、それは本心でないはずだ。
「自虐は止めてくれ。……じゃあなんで、ニリーツに『†産廃†』なんて言われて怒ったんだよ?」
須賀谷はまっすぐに順を見つめた。……此処で彼女の協力が得られなければ、タッグ戦では自分に勝ち目が無い。だから須賀谷は事情は分かるがなんとしても、今ここで順の力が欲しかった。
「聞きたくもないからだよ、嫌な記憶を。人生を潰された人間がそんな称号を聞いていい顔をする訳がない。正直もう私は自分の存在価値も生きる道さえもが分からないんだ」
すると順は節目がちにそう答えた。
「それだけなのか?」
静かなトレーニングルームに須賀谷の声が響いた。
「……何?」
「称号が嫌ならさ、勝てばいいじゃないかよ……? 俺は、俺の夢の為にあんたに協力して貰いたいんだ!」
「……夢? そんな物は寝て見るものだろう基本的に。大体なんで私がお前に協力しなけりゃならん? 虫が良過ぎないか?」
「……あんたに力が有るからだよ、俺はあんたを……勝ち抜く為に必要としているんだ」
「……何だと?」
順は目を丸くする。
「……悔しいが俺は落ちこぼれだ。 才能は無いし何をやったら強くなれるのさえ分からない。だが教室の時に見たあの力、あれを見て俺は驚いたんだ。俺が強くなる為にあの力の出し方を教えて貰いたい。俺は倒さなければならない奴が居る、そいつをどうにかしないと俺は困るんだよ、死ぬほどに」
そのまま、手を差出しながらそう言い切る。自分は勝ちたい。諦めたくはない。その為には必死で喰らい付く。恥も外聞も知った事ではない。
「私をおだてているつもりか? 首都にある武下通りの路上騎士スカウトにしてももっとマシな事を言うぞ。人を乗せるつもりにしても、そうはいかんよ」
だが奇妙な人間が現れたとばかりに、目の前の順は顔を顰める。何か怪しむように、そう、訝しむように。
「いや、俺は説得をしているつもりだ。……あんたにしかできない事だよ。私欲としてもな」
それでもそうやって熱意を込めて誘うように今度は言うと、順の瞳の奥が少し動いたのが分かった。心無しか空気も変化したようにも思える。
「――私欲?」
「あぁ、私欲だ。俺にはやらなきゃいけない野望がある。俺を小馬鹿にした人間に思い知らせたいと考えている事がある。その為なら何だってする、対価は払う。小間使いであろうが何だろうが辞さない、むしろ傍から見ながらでも技術を会得するから力を見せて欲しいんだよ、その力で俺もエースになりたいんだよ……!」
そこで、頷きながらも返事を返す。この世界で自分を通す為には力が強くなくてはならないのは当然だ。
――だから今、自分は力を欲しているんだ……!
「私欲か……説得の為に自らそんな言葉を持ち出すとは、多少は面白い事を言うじゃないか。歯の浮くような綺麗事を言ってくると思ったが妙な奴だな」
するとこちらの言葉を好意的に解釈をしたのか、順の顔に笑みが出たのが分かった。
「本気の俺なんだ……。斜に構える必要はない」
そう言い返す。
「しかし、私の意見は先程の通りだ」
だが、私情は意見とは無関係のようだ。――向こうはさらに続けてきた。
「でも、こちらも断られたからとはいえ、ああそうですか、なるほどわかりました、と引込む訳にもいかない」
それに対し声を強めながらも、須賀谷は返す。
「……それでもそちらは通そうと言うのだろう? ならば主張同士としては、戦うしかあるまいな」
今度はまた、順が呟いた。
「……そうくるかよ。 それなら、このようにしないか? 折角此処がトレーニング室なんだ、戦闘をするのも悪くはないと思う。無論、断る権利はあるがな」
ここで須賀谷は駄目押しとばかりに、呼び掛けてみる事にした。
完全に断られるくらいならば、僅かでも望みが有る方がまだマシだ。幸せは掴み取るものとは偉い人はいうが、見えなければ掴めるものも掴めやしない。調子に乗っていると取られても構わない、俺には為したい事がある。自らを追い込んだものへの復讐。自らが返り咲き、渡辺を叩き落とし、自分の力を見せつけ、イフットを取り戻すという事をするのだ。……その為には努力は惜しむつもりはない。
(――挑発に乗って来い……!)
『手に入りそうで入らない』、と『手に入らない』では心の中で別物なのだ。
目の前にある光を逃してたまるかよと須賀谷は焦りつつもそう、思った。
――そこで言葉を聴いて順の眉が、ぴくっとした。
「成程、一戦様子を見て及第点以上なら私がそちらの要求を飲むとしよう」
――よし、かかった。
「……あぁ」
須賀谷は戦闘と言われ躊躇わずに頷く。勝算は無いに等しいが、果たし合いだろうが大食いだろうがもう目的の為ならば勢いでやるしかない。
「……フン。久しぶりだが……白黒を付ける為なら仕方がない」
やはり案の定、誘導通りだ。まんまと順はこちらの演技に乗り、真剣勝負をする気になってきたようだった。
「……ルールは?」
「死なないように手加減してやる。それだけだ」
「……言ってくれるな」
須賀谷は言葉を継ぐと壁に立てかけてあった訓練用のブロンズで出来た頑丈そうな剣を右手に選び汎用盾を左手に装備し、さらに倉庫にあったサイズぴったりのマクシミリアン式甲冑を一式身に纏った。重いが、これくらいは役に立つはずだ。
ーー念のために、汎用盾の内側にあるハードポイントに『タマチルツルギ』を忍ばせながら。
「マクシミリアン式の鎧か、いい物だな。……だが、心配ならばもっと防具でカチカチに固めても構わんぞ? 下に鎖帷子やプレートを着込んでも構わんしな」
すると順がこちらを見てニヤニヤとしながら、自身の右腕に自らのバッグから取り出した輝く赤いハンドヘルド式の盾形紋章手甲を装備しつつ話しかけてきた。
「吠え面をかくなよ、……そんだけ着込んだら機動が落ちるだけだ」
だが須賀谷はそんな言葉などは気にしないとばかりに、真面目な顔で返答をする。
――今の自分には、イフットの血と思いが付与されている。両腕両足にゾクゾクと力が湧いてくるのだ、負ける訳が無いのだ。
「ふぅ……ッ!」
緊張感を高めると共に須賀谷は深呼吸をして雑念を吹き飛ばし、戦いに備えた。
順の準備は、白い腕の手甲だけらしい。対峙をすると、なんだか姿が物足りなく見える。俺相手に舐めプレイか。
「そんな軽装備な……手甲一つでいいのか?」
若干無粋だと思ったが、気分を落ち着けつつも不安に感じて顔を顰め、訊ねる。
「……どういう流行遅れの返しを期待しているのかは知らんが、気遣いは不要だ。これが、私の武器であり、鎧だ」
だが順は、こちらの様子など知った事では無いとばかりに平気な顔でそう返事をしてきた。何を考えているのかが読めない。
「久しぶりの戦いだけあって、楽しめそうだな。……これが私の今使える能力だ。見るがいい。『科学の名の元に全てを叩き潰す。今、私が私たらしめる力を今ここに……! デバイス起動! ヴァニッシュ転送! 四式機構鎧! エクステンション……セミアーマード!』」
そのまま順は自身の左肩に徐に輝く手甲を当てると、いきなり雄叫びを上げてみせる。
……その刹那、周囲の空間が裂けて発光を始めた。
「――っ!?」
すると、順の周りの空間から奇怪な鎧が浮き出てきて、さらに瞬時に順の身体の上にへと装着されていくのが見えた。
――その一瞬後に、姿が変わる。 先程まで輝く手甲のあった右腕にはトンファーとパイルバンカーが一体化したような装備がされていて、全体的な印象には聖騎士鎧と武者の融合とでも言うのだろうか、やたらとシャープなシルエットの赤い騎士の姿が見えた。あの篝火2号に近い雰囲気さえもを、感じられる。
「何だよ……、そりゃぁ!?」
あまりのハイテクさに、須賀谷は一歩後ずさりして慄いた。早着替えでは無く、まさしく鎧と言う名の物体を魔法のような物で召喚したのだ。……強いて言うならば、世界観が違う技術のように。
「――この手甲はただの武器ではなく、学校の研究棟で開発されたアーマーの召喚用のデバイスなのだよ。動力は装着者の魔力を使用した、魔法使いが魔法に頼らず行動できるよう考えられたレディメイドではなくオーダーメイドな強化アーマーだ。やる気が堕ちた私を、科学者達がリハビリと言う名の装着実験体としてアルバイトに駆り出し、色々と思考錯誤をして作ったものという事になるな。反動や燃費が最悪な試作型でもあるが」
驚きを察したのか、順が複雑な声色で言ってくる。
「強化アーマーだとッ……!?」
「通常の鎧や防具とは違うという事だ。魔法関連の対防御機能がある神聖装備やダンジョンの奥底に埋まっている特殊合金のアーティファクト級よりは流石に劣るが、そんな数打ちのマクシミリアンよりは耐火性能も耐衝撃性能も数倍はあるものになる。扱う上で……70キロだったか。やたらに重い上に素早く動くには魔力をドカ食いするのが不便だがな」
「何で……そんなもんを持ってるんだよ!?」
(このタマチルツルギと……出所は同じなのか!?)
流石に納得がいかない。なので仰天しつつも顔を引き攣らせたまま抗議をする。気にいらない、気に食わない。信じられるかよ……そんなもんが。
「文句があるのか? しばき倒すぞ? 私とてこんなものの実験体になどなるとは思いもしなかったさ」
しかし今度は順が、少しだるそうに口を開いてきた。
「……まぁこれでも一応、昔はエース階級だったからな。これは私専用に調整をされているものだ。今はセミアーマードな上にリミッターもかけられているが……手加減をしてやろうか?」
その辺に立てかけてあったブロンズ製の訓練用の大型剣に手を伸ばして八双の構えを取った順は、殺伐とした闘気を身体から発し始めながらもそう続けてくる。
「……いや、それは無用だ。能力を封印されて勝ったところで後で言い訳をされたら困るからな」
心のうちではかなり戸惑っていたが、相手の問いにはそう答える。
「へぇ。いつまでその余裕が、通じるのだろうか――?」
そうしていると不意に順は、苦笑をする。何だかんだで最初の教室の出会いの時にニリーツ相手に見せていた好戦的な性格が、どうやら素の状態には近いらしい。
――戦闘への流れが出来たようだ。
「……さぁ、お前の実力を見せて貰おうか! 一瞬でその鎧を叩き割ってやる!」
唐突に順は前置きを言い終えたかと思うと、途端にこちらに走りだして、訓練用の大型剣を左手一つに持ち替えて襲いかかってきた。
「なっ――!?」
跳躍と共にその重さを無視した急突進が迫ってくる。
ーー予測を超えて無茶苦茶に、速い!?
幼い頃、うっかり猪に遭遇して対峙した時以来の緊張感が急にわき上がってきて肝が冷える感覚を得てくる。――しかし、直線的な剣の軌道ならば……自分にも武具の才はあるからいなせない物ではないはずだ。
「……そんな一撃でやられるものかよ!」
勇気を出し、一歩前に踏み出しながらも左手に装備した盾を剣の根元に向けて力で叩きつけて衝撃を相殺し、攻撃を防ぐ。下手をすれば腕が折れていたかもしれないが、なんとか止めることが出来た。
(集中すれば腕が痺れるが耐えられなくは無い……やれたか)
武器は刃引きの上にブロンズ同士なのでこちらの盾は壊されないが、擦れる度に火花が少し散るのが見える。こちらはイフットの血で筋力も強化されているのだが力でも向こうがやや上らしく、踏ん張っている足に少し負担が掛かる。
「そんなに私の近くに寄ってもいいのか? 注意力が散漫だな」
だが、順が目の前で自信ありげにも笑ってきた。鍔迫り合いと同じ間合いなので口元が近い。
「何っ?」
「王手といったところだ。自分の腹部を見てみろ」
「――っ!」
――言われた通りに恐る恐る視線を動かし、絶句する。気が付けば、順の右腕がいつの間にか須賀谷の腹に添えられていた。
「私の右腕に今ついている複合武器は、接近戦で無類の破壊力を誇るトンパイルと言ってな。私がこのままこのパイルを撃てば、お前はバラバラになって死ぬぞ?」
――ゆっくりと脅し文句を、掛けてくる。まずは軽い勝利宣言という訳かよ。問答無用でないのが安心だが、中々に緊張をする。
「……なんだよ、そんな武器、卑怯くせぇ」
引きつった顔で、苦笑せざるを得ない。
「――これで実力差が分かっただろう」
「……あぁ、装備の差ってか? いい装備だな! すぐに俺も見せてやるよ!」
せめてもの仕返しだ。皮肉気味に言ってやる。
「言ってくれるな」
「無論だ。……騎士の、落ちこぼれを……舐めるなよ!」
そう言い終えた直後、唐突に左手に思い切り力を込めて盾を使い順を押し出した。状況的にはこの間合いで下手に動くのは危険だが、自分自身もイフットの血で強化されている以上はこちらのほうに小回りで分はあるはずだ。……やれなくは、ないはずだ。
「くっ、……姑息な!」
思ったとおりに順は喚いて、バランスを崩す。
「ハッ! その場しのぎと言われようが上等だ! あんたの攻撃は見た目よりは恐れる必要はない! そこだっ!」
その隙に、須賀谷は順の肩口に向かって気合を込めて斬り付けにいく。
――今なら出来る。そう信じる。同時に剣が鎧に向かって近付いていく!
「ぬあぁぁ!」
――しかし、見込みは外れた。振り下ろした切っ先は順の肩の装甲部に当たりそうになるが、ガキィンと高い音がして直接当たらず薄い半透明の光のバリアに防がれ斬撃が弾かれた。
「私自身の魔法……《雷帝の庇護》だ。そんな攻撃で貫けると思ったか?」
「バリアか!? くそ……冗談じゃねぇ、この剣じゃ威力が足りんのかよ!」
恐らくは硬度の違いだろう。悔しくも今の攻撃は無駄だった。
「……腕力不足だな! 士亜ッ!」
相手が高圧的に笑っている。今の戦意は、順の方が圧倒的に上だ。真正面からぶつかると相手に対して、萎縮をしてしまう。どうしても攻めの手というものが弱くなる。一瞬、反撃のチャンスを許してしまう……ッ!
「止めを刺してやる!」
「くそ……速いっ!?」
不意に順は剣を使い、勢いよく力任せに横に薙いできた。危うくもこちらも剣の腹で受けながら緊急回避に上体を横に逸らすが兜に刀身が当たり、兜の飾りが一撃で砕けてしまった。
「……勝手にこっちの視界を広げてきやがって……馬鹿力かよ全くっ!?」
須賀谷は恐怖しながらも、さらに姿勢を整えてから再度間合いを取った。
「その剣では私に致命打は与えられない。こちらに対し有効打が無いならば……貴様の負けだな」
向こうは笑ってくるが、こちらは終わるわけにも行かない。あれを使うしかないな。
「そう思うか? だがな、人の心を折った気になるにはまだ甘い! 俺にはまだもう一本剣があるんだよッ!」
啖呵を切るように言いながら、須賀谷はブロンズ剣を捨ててタマチルツルギに持ち替える。
「刀身め、伸びやがれ!」
柄を力一杯持ち力をこめると紫の刀身が1m弱程発生し、剣の形を成した。
「……見たことの無い武器だと……? 一年経たずこれだけの技術進歩をしているとは、学校の技術も面白いな!」
順は僅かに驚いたが不適に笑うと、遠慮さえもなく切り掛かってくる。
(これで向こうの剣を溶断さえすれば……!)
振り下ろされた剣に向かい、刀身を叩き付けようと目論む。
そう思った瞬間に剣と剣が接触するが、またもや効果は大したことが無いようだ。光に弾かれこそはしないがあちらの剣とは切り結ばれたままで溶解される様子が無かった。
「《雷帝の庇護》を貫通したか……!」
向こうは少し声色を変えるが、苦しい状況に変わりはない。一応はダメージは与えられるようだが、相手の魔法コーティングを破った上に鍔迫り合いを勝てなければ意味はない……!
(出力不足って事は俺の実力が足りないのか!? ブロンズさえ切れないとは……!)
期待はずれの事に思わず舌打ちをする。
数回切り結び、飛び退いたり盾で防ぎながらも戦闘を続けていく。
――怯えたら負けだ。目の前の女は、装備を抜きでも自分と比較をしたら圧倒的な力の差がある。奴の剣の発生保障を斬る事……まずは相手の出鼻を挫かねば。
そう考えると俺は右手の小手に魔力を溜める詠唱の準備をしつつ、昨年の夏にイフットに習い一カ月がかりで会得をした《身体エンチャントの補助魔法》を構える。
どうせ普通に切ろうとしても、見破られるはずだ。ならばこれしかない。
ーー元々、これの経緯としては去年の夏の課題としてドラゴンの鱗を破る方法というものがあった。
大抵の者は火炎による攻撃という手を選んだが、生憎自分は炎を扱えなかった。
だからイフットに必死に頼み込んだところ、これを渋々教えてもらったのだ。
夏休み明けの実技では、教師に驚かれたものでもあったな。
ーーそう回想しつつもエネルギーを手に収束させると、ぼんやりと右手が光る。
「――何だ、その手は?」
順が妙な構えに対し疑問を持ち、訊ねてくる。だが、真剣勝負において余計な心理フェイズは必要ない。要は近距離で相手に触れさえすればいいのだ。須賀谷は順に思考をさせる隙を与えずに、無言で素早く飛び込んで拳の間合いに入った。
「教える気は無いさ……俺は負けるわけにはいかないんだッ! 穿て! やけくそのッ!《エンチャント! ナックルッ!》」
「なっ!?」
「うぅぅらぁぁぁっ!」
好機と見るや腕から先を白く発光させて剣を握ったままの右拳を、思いさま叩き込む。
まさか剣で切りかかるのではなく直接殴ってくるとは予想も付かなかっただろう。見切り発進で繰り出した右拳は装甲の薄い腹部付近にヒットし、衝撃を炸裂させた。
「んぐぁっ!?」
電気が流れたかのようなバチリという音を伴い、順が叫ぶ。
「この技には防御と言うものが通用しない。何故ならば振動のように触れた時点で腕に帯びた魔法の効果が発揮されるものだから、接触した時点で食らったも同然なんだよ」
――須賀谷は、確実な手応えを得て頬を緩ませる。
「……ッつ! ……はぁ!? 剣を構えた騎士が徒手打撃だとっ!? 何という了見だ!?」
相手が絶対に予想をしていないだろう戦法と言うものは、効果的のようだった。須賀谷が想像をしていた通りの表情をして順はそのまま尻餅を付きつつも、それから苦悶の感情を浮かべて後転し咳払いをした。
「……クッ、面白い技を使うじゃないかよ……。お前は騎士じゃなくて、武道家専攻だったのか……?」
順が身を捩りながら、喘いだ。その額には汗が浮かんでいるが、機動力も低下せず完全なダウンはしていない。一応身体的にはともかく、精神的には結構効いたと見える。ただ、どうにもおちこぼれにこんな技を仕掛けられるのは想定外のようで、此方の力を測りかねた様子がありありと見えた。
「……ただの4流戦士だよ、買い被るな」
念を押して反撃を回避する為に飛び退きながら言葉を返す。早くも疲労をしてきたので装備をしているブーツが重いが、この程度は我慢だ。さっさと有効打突さえ決めれば、問題は無い。
――しかし、今の攻撃ではやや威力が足りなかったようだ。それどころかどうにも少し、逆に怒らせてしまった様子がある。
「……こちらの鎧程では無いとはいえ、マクシミリアン式も結構に重いが、その鎧を付けたままで格闘をしかけてくるとは中々だ。……今のは痛かった。……ならばお返しをせねばな。見せてやる、ケイラウトアーマー第一の奥の手、《フルアーマー・リミット・デモリッション》を!」
順はダメージも早々に回復したかのような顔をすると顔を上げて口を横に結び、いきなりそう見得を張り言い切ってきた。
「何っ……?」
言葉を言い終るも刹那、今度は須賀谷が反応をすると同時に順の四肢に装着された装甲から蒸気が吹き出し始める。白い煙が次いで順の足元からも螺旋を描き放出されていき、徐々に広がっていくのが分かった。
「安定装置解除……出力222%……! リスクの無い力など面白くもない、人は代償の代わりに力を手にするという事だ。私に一撃を与えた事に対するせめてもの敬意だ、本気を出して一撃で沈めてやる。……真の力の一片を、見るがいい! これが私の力ッ! フルアーマーだ!」
そう言い終えた直後、蒸気が霧のように順の鎧から円状に一気に噴き出した。そして数秒後、蒸気が晴れると同時に順の姿は胴体と頭部にアーマーを追加し形態を変えて、速度をはね上げて須賀谷の目の前から消失をした。
「――透明化かっ!? ど、何処だよ……畜生!」
慌てて勘で、右へ向く。――だが、相手は居ない。――続いて左へ向く。――それでも居ない。姿を完全に消したのではなく、高速移動のはずだ。ステルス魔法は教科書で読んだが、前準備も無くそう簡単に使えるものでも無いはずだろう。空気の流れでも感知が出来ない。……くそッ、何処へ行った? ……取り敢えずは身を固めねば。
『プ……《プロテクションリフレクター》発動! さっきのままでもきついのにさらに強化されるなんて!?』
……一瞬の気転が効き攻撃に備え、一応数分の間は保てるはずの防御力向上の魔法を唱えておく。
詠唱の後に、順のとはまた違う薄い光が自分を包む。――相手にここまで喋らせるべきではなかった。
……じっとしていると恐怖感が上がってくる。汗が頬を、伝わってきた。暗闇で肉食獣と対峙をするかのような緊張感が身体を包む。
少しのミスで体力の大半を持っていかれる恐怖に、心臓の鼓動が高鳴る。
「――っく、慌ててはいけない……! 恐怖心は自分を殺す……。 カウンターで切り付けられれば、勝機は、まだ!」
落ち着きながらも息を止める。そのまま盾の準備をしっかりとし、攻撃に備える。
それから相手の位置を特定しようと周囲に意識を張り巡らせていたその時――。
近くで僅かに空気が揺らぐような、気配を感じ取った。
「――まさか」
――ふと直感が起き、恐る恐る後ろを振り返る。するとそこには既に、順が腕を構えながら立っていた。――いつの間に、移動したのだ?
「捕まえたぞ、わざわざセオリー通りに真後ろに来てやったが甘かったな……そういう時はいつでも全方位攻撃できるよう前準備をするものだ」
疑問を浮かべるよりも早く、順が既に戦闘態勢に入っている事に驚く。
「っく! そんな、こんな事がッ」
目線が合う。もう既に、死線が見える。――来るかよ! 相手を見据え、生き残ってやる!
絶叫したいのも我慢をし、脳内にアドレナリンが走るのを感じた。自分が仕留めるか仕留められるかという危機に、脳の奥から興奮をする。焦りの感覚がでてくる。集中力が増したせいか時の流れが若干、遅くなる。自分より圧倒的に強い敵が現れた事に、キュッ、と筋肉が締まっていく。
「迎撃にっ……!」
「遅いんだよ! 気功拳《竜巻の逆鱗》(クヴァール)ッ!」
しかし守りを固める体勢を取る前に、さらに力強く繰り出した仕返しの拳が須賀谷にへと迫ってきた。
「回避は……クッ、出来ない!?」
思ったよりも、スピードの上昇が大きいだと?
……そう悪態を付いた瞬間には、既に拳の衝撃が自分の身体に刻まれていた。
「……っぐぁあああああああああ!?」
拳速が先程とは違い過ぎる。相手が想定以上だ。行動の速さの差が数ターンどころではなかった。
瞬時の本能で盾を構えたものの、拳が叩きつけられると同時に衝撃を伴った蒸気がまた、順の身体から噴出される。
「こんなところで終わりたくないのにッ……!」
……予想外に、為す術もなく衝撃を受け空中で錐揉み回転をしていく。……慣性で盾とタマチルツルギを放りだして空中を滑空し、身体を捻りながら20m程吹き飛ぶ。
「うほぉァァ!?」
そして次の瞬間にトレーニングルームの壁に派手に叩きつけられると、そのまま衝突の余波で壁の上に飾ってあった木刀が上からガラガラと降ってきたのを感じた。
瞼が、重い。鎧がガシャンと鳴り身体の節々から力と気力が抜けていく。掃除の行き届かなかった木刀からの埃が暫く、自分の周囲を舞う。肺の中身が全て出てしまったかのように、息苦しい。
「ぅぅ……ぅ……なんなんだよッ……! 畜生……!」
信じられない。チートだろう? 痛みのあまりに少しの間は声さえもが、出なかった。完全に、勝負ありだ。――ダメージが大き過ぎた。
「――っく……! 一本をとられたか……!」
自分の敗北を認識すると同時に疲労感が、全身を包んでくる。
須賀谷は両目を閉じると、がくりと項垂れた。
――勝てなかった。意識が飛ばなかったのが不思議なくらいだ。
改めて目を開き視線を動かして見れば、自分の鎧の胸部には大きなヒビが入っていた。魔法を使い、盾で防御の姿勢を取った上でこのダメージだ。本音を言えばまともに受けていたのならこの程度の鎧などあの一撃で粉々に砕け散っていただろう。……あるいは、鎧ごと貫通してあの世行きも考えられた。
「助かって良かったとはいえ……完敗じゃないかよ……!」
自分の幸運に安堵をしつつも同時に非力さに苛立ち、腕の無さを自己嫌悪する。最後に受け身が取れなかったのも、自分の未熟さだ。
……動けないでいると順が光と共に自分の鎧を解除して、こちらに歩いてきた。須賀谷が起き上がれないでいると、片手をすっと差し出してくる。
「起きろ、士亜」
勝った事に少し満足そうな様子で、笑い掛けてくる。本人にとっては久々の戦いでの勝利だろう。流石の余裕の表情のようだ。
――しかし、自分はその手を掴む事が出来なかった。
「……ぐっ……くそっ……」
――身体が痛むだけではない。……茫然としていたのが正気に、戻ったのだ。自分が何を背負って順相手に勝負を仕掛けたのか、思い出したのだ。
――辛いのだ。本気でやった揚句、完膚なきまでにぼろ負けだった。
圧倒的な力量の差だ。須賀谷は落胆のあまりに木刀に埋もれてしょんぼりとしたまま、両拳を握り締めてその場で動けなかった。
「……約束通り、私は自由だな」
少しして、順が自ら差し出した手を引っ込めながらも言ってきた。冷たい言葉でもある。
また、計画が遠のいてしまった。須賀谷は、力無い目で順を見上げた。
順が、こちらを見ている。
しかし数秒後にこちらから視点を外すと部屋の外の方を向き、出口に向かって歩き出していこうとした。
順の姿が少しずつ、遠くなる。冷静になると、自分の胸が痛んでくる。
俺は、こんな事でいいのだろうか。――無念な感情が、湧いてきた。本来ならば掴めたかもしれない筈の自分の未来の光景が、遠くなっていくのを感じた。
……自分の背後に、闇が現れる幻覚を見る。呼吸が荒くなっていく。
自分はこれから一人、イフットを取り戻せずに朽ち果ててしまうのだろうか。
老人にもなれずに、騎士にもなれずに、不様に飢え死にをしてしまうのだろうか。
人に『屑が』と軽蔑の目で笑われて、ボロボロの服で薄汚い街を彷徨う自分の妄想を脳内で見る。
……自分の両手を見ると、手汗をすごく掻いている。精神的に不安定になってくる。
「……畜生っ……チャンスさえ、無いのか」
嫌だ、そんなのは……アイツがいないのは嫌だ。指に力が入る。
……不様な未来なんざ、絶対にお断りだ。こんなところで倒れたら、一生後ろめたくなる事になる。それどころか、人生から退場する事になってしまう。
認めない。そんなのは……直視したくなんかない……!
俺はいきなり、立ち上がる。そしてそのまま順の方まで走って行くと、順の足に縋りついた。
「頼む、お願いだ……!」
恥も外聞も捨てて、必死で頼み込む。
「俺は勝ちたいんだ……嫌な奴なんかに、負けたくないんだ……!」
そう大声をあげて、訴える。
「力を貸してくれ……! この俺に! 守りたいものを守る力を! 殺されない為の力を! 無力な自分と、決別する為の力を!」
「頼む……頼むっ……ッ!」
最後の方は涙声になりつつも、頭を下げる。足に手の指を、必死で突き立てる。
「…………」
順はそれを、困ったような顔をしつつも冷めた目で見ていた。
……が、少し、不意に溜息をついたようにも見えた。
「――合格だ。 チャンスと言う、な。最も最初から力を貸してくださいと言いにくれば断っていたが。ぶきっちょなりにやるようだ」
順は唐突にくくっと呆れたように笑うと、ぽんと肩に手を置いてきた。
「えっ……?」
「実際には、仮にだがな。勝負の結果に負けたのはお前なのは明白だ」
「うぐ……」
「少し話をさせて貰うぞ。……実は私にはな……仲間を殺された、復讐を誓った相手が居るんだよ。そいつは私ですらも追いすがる事が出来ない、恐ろしく強い奴だ。……そいつをブッ殺すために、私自身が強くなりたいのも事実でもある。だからどうだ、……そうだな、条件はお前と一緒だ。私とコンビを組まないか? その敵と当たった時にそいつを確実に討ち取る、その為に私を援護するという条件を飲めば、私がお前に稽古を付けてやろう。無論、稽古以上の見返りはないが……どう思う? 危険ではあるが……やる気はあるのか?」
さらに今度は順はもう一度片手を差し出してきながらも、視線を送ってきた。
まさか落としておいて、持ち上げてくるとは。……予想外だ。
「……え? 本当にっ、稽古を付けてくれるのか……?」
表情を窺うように、訊ねる。これは自分が強くなるチャンスじゃないか。
――だがしかし、順は声では応えない。
でも気が付いてみれば、初めて会った時以来にずっと濁っていた順の目が、今では少し曇りが晴れているように見えた。
「あ……あぁ! よろしくおねがいします!」
俺は徐に、地面にへと深々一気に頭を下げた。……やった! 光だ、光が見えた!
「条件は成立だな。……敬語など使うなよ。……お前は私の心に再点火したのだ。私には復讐という目標がある、今一度私がエースに返り咲きにいくには、お前のような張り合いが必要だ。……寄生をさせるつもりは無いから、覚悟をしておけよ」
順はそんなこっちの内心を見抜いたかのように優しく励ますと頭の上に手を載せ、声を掛けてくる。
「……人生は何も無い糞だと思っていたが、落ち目の私に誘いを掛けてくるとは良い事を言うじゃないか。下手に綺麗事を言われるよりも、理性的な私欲で組んだ方が信用は出来る。一朝一夕で自分の考えを変えるつもりはないが、お前の態度には感銘をしたぞ。私に、付いて来い」
そのままそう笑って、言った。
――本当に、有り難い。その顔を見て、そう心底感じた。
「……だが、少しお前の目的に興味が無い訳でもないな。……見た感じ人に頭を下げるのが嫌そうだがそれでも特進Bを目指す目当ては、女か? 特別奨学金なのか?」
ところが話が一区切りするとそこで、順が態度を変えてきた。
「……えっ」
少し図星を突かれて戸惑う。どう、答えればいいのか。
しかし迷っていると、さらに言葉が続けて掛けられた。
「なぁに、理由なしに私に人が近づいてくるとは思ってはいないさ。私も自分を奮い立たせる何かが欲しかったのは事実だからな。……利害関係という奴だ、先程は訊ねるように言ったが、からかってみただけで別に詮索はするつもりはない。……まぁ、お前の話に乗ってさらに自分も旨みが取れるような条件ならば、構わんさ」
言葉を続け、さらに背伸びをする。
「……あぁ、今は久し振りに気分がいい。明日は第三学食『ギガマウンテン』の大盛モンブランラーメンをおごってやろう、士亜。お前は最近、教室では腹をすかせているではないか。見るからに金に困ってあまりいい食べ物を食べてないだろう? 来る気はあるな?」
そして断るのは無粋だとばかりに、食事に誘ってくる。彼女の心境にも、何らかの変化があったのだろう。
「……あ、ありがとう、……すまないな」
須賀谷は頷いて、差し出された順の片手を掴んだ。
「これからお前には、私の背後を任せられるくらいには強くなって貰う。……覚悟をしておけよ? 須賀谷……士亜。今はもう、休むといい」
――順の語りかけてくる声が、須賀谷の耳に響いた。
言っている言葉の口調自体はドライなようだが、古い表現で言えば厳しくも優しい師弟関係というものなのだろうか。彼女の声には不思議にも感情が籠っていて温かみというのがあった。