1.「魔王アグニレオン」
数ある物語の中から見つけてくださりありがとうございます。
本作は前作『魔王はなぜ勇者の私を殺さない』の続編となります。
単体でもお読みいただけますが、前作を先にお読みいただくと、二人の関係や想いをより深く感じていただけるかと思います。
全6話、静かに沈んでいく物語と、その先に残るものを――
どうか最後まで見届けていただけたら嬉しいです。
最初は――
人間が共に生きるに値するかを見ていただけだった。
余は元より、人と魔が争い続ける世界を望んではいない。
だが理想だけでは国は守れない。
王とは、現実の中で最善を選び続ける存在。
だから、クリスティアが現れたときも
ただ都合の良い観察対象が来た、としか思わなかった。
魔王を討つために来た人間。
余の前に現れたはじめての人間。
ちょうどいい。人間という種を知るには、これ以上ない存在だった。
何度も剣を交えた。
その度に思い知らされたのは、力ではない。
ただひたすらに、曇りなき心だった。
逃げない。媚びない。怯えない。
ただ、真正面から余を見ていた。
あれほど凛とした、気高い人間を、
余は見たことがなかった。
その剣さばきには、血の滲むような努力の跡があった。
生まれ持った才能ではない。
積み重ねてきた日々の重さだった。
やがて彼女は、作った菓子を持って対話を望んだ。
菓子は、特別美味いわけではなかった。
だが、不思議と――心が動いた。
彼女は、笑った。
彼女が欲しいと思った。
だが、手に入れるには、あまりにも障りが多すぎた。
余の弟、ベルゼオンは人間を嫌悪している。
女の存在を知れば、迷わず殺す。
余は――手放さざるを得なかった。
それでも彼女は、真正面からぶつかってきた。
愚かだと思った。
そして――愛おしいと思った。
気づけば、余は彼女を抱きしめていた。
唇に触れたあの瞬間。
世界の理が、ほんの少しだけ揺らいだ気がした。
………
「……陛下」
静かな声が、現実へと引き戻した。
顔を上げると、扉の前に伝令の魔族が跪いていた。
全身に戦場の匂いをまとっている。
「…何事か」
「国境砦が、人間軍の奇襲を受けました」
空気が凍りつく。
「……被害は」
「双方に死傷者が出ております。
砦は持ちこたえておりますが……状況は予断を許しません」
奇襲。
宣戦布告ではない。
だが、明確な敵対行為。
余はしばし沈黙した。
怒りは湧かない。
驚きもない。
ただ――
「そうか」
それだけを告げた。
伝令は一瞬、戸惑ったような顔をした。
報復の命を待っているのだろう。
だが沈黙を守る。
余が本気になれば、この均衡は消える。
そして世界は、終わる。
人間は、まだ理解していない。
この均衡が、余の意思によってのみ保たれているということを。
「……しばらく様子を見よ」
「は…はっ!」
伝令は深く頭を下げ、慌ただしく去っていった。
静寂が戻る。
余はゆっくりと玉座に身を預けた。
戦は始まっていない。
だが――平穏は、静かに崩れ始めている。
窓の外には、闇が広がっていた。
月は高く、冷たく、
まるで世界を見下ろすかのように輝いている。
ふと、あの笑顔を思い出す。
「……クリスティア」
名を口にするだけで、胸の奥が軋む。
余は魔族の王。
会いに行くことはできない。
だが――
「クリスティア。お前に、会いたい」
月は答えない。
ただ優しく、世界を照らす。
それは、ただの出会いのはずだった。
だが、すべてはここから始まる。
――次話へ。




