貴族は動き出した
────それは、今から二日前。
「うーむ。妙だな」
片手で地図を指しつつ、周囲を確認。
緑の木々、青い空、時折さえずる小鳥。
魔王の存在など関係ないかのように世界は平常運転で、この異常の原因も影響も見受けられない。
その日もエリシオは歩いていた。
いつもと少し違うところといえば、目指す場所がはっきりしていなかったところだろうか。
村の位置を確認してから歩き出す通例とは異なり、今回の彼はつい先程まで地図も確認しなかった。
何故なら。
(アイシャの魔力を感知し、追ってはみたが……いつまで経っても辿り着けないとは。どうなっているんだこれは)
かれこれ数時間はその魔力を探しているのだが、一向にそれらしきものが視認できない。
ぼんやりとした気配はあるものの、精査しようとすると霧散してしまう。
諦めたエリシオは魔法での探知は不可能だと断じ、地図でもって周囲に何があるのかを確認していたところであった。
(位置からして、この辺りに村があるはずなのだが。……認識できないということは、魔力の発生源は……)
ふと、思い至る。
が、それは通常の魔道士であればありえない可能性。
戯言とされてもおかしくない、あまりにもぶっ飛んだ発想だったが────エリシオにはそれが出来る人物に心当たりがあったし、その心当たりはまさに件のアイシャであった。
であれば後は早い。
彼女が使う手はある程度把握しているのだから、その尽くを潰していけばいいのだ。
そうして、荷の中から杖を取り出す。
一つ息を整えて────
「『解析』!……駄目か」
発動と同時に弾け飛んだ。
「『消去』!当然だな、単純すぎる」
発動対象として選択することができなかった。
『もしや、侵入』!それはまあ、対策するか……なっ、何ぃっ!!」
逆ハックされて自壊しかけた。
そうして幾度となく吹き飛ばされ、撃たれ、躱してようやく。
「……まさか、こんな……いや、だが他に手が……『共振』」
ぶわ、と景色に波紋が生じる。
その中心は徐々に色を変えていき、広がったかと思えば、あっという間に馬車1台分の穴が開いた。
その向こうに見えるのはもちろん、探していた村そのもの。
エリシオの認識を阻害していたのは、己のライバルが作り出したであろう、村一つを丸々包み込む結界であった。
一歩踏み入って、なるほど、と頷く。
やけに難解な結界を張っていると思ったが、その理由はどうやらこの土地にあるらしい。
少し立ち入っただけでもうわかる。ここは地脈の直上だ。
(これほどまでに魔力が満ちているとは……魔獣や悪用する者が絶えないだろう。……いや、アイシャのことだ。ここまでやったということは既に何かしらあったのだな)
であれば下手に弄る必要もない。弾かれる条件が些か厳しいような気もするが、彼女がこの手の判断を誤ることはないだろう。
とりあえず開けた穴を閉じようと振り向き、
────ふと止まる。
(見られている?)
獣の類ではない。
加えて、この結界を張ったアイシャによる逆探知でもない。ただ、粘つくような嫌な視線であった。
(このタイミング。侵入を試みて敗れた者だろうが……あまり良い雰囲気ではないな)
だが、開き方を模倣される心配はない。
なにせ先ほど使った『共振』は超マイナー魔法なのだ。
途中の魔法式を知るには、王都の魔道学校にいる教授に教えを請うしかない。
その上、身につけたところで使える場面といえば遠距離から脆い物体を割る程度。
それくらいなら石を投げたほうが早い。要は、何をやるにしても代替が効いてしまうのだ。
そんな魔法を好き好んで覚える輩など早々おらず、エリシオも別の要件で職員室を訪れた際に教わったものである。
まあ、とにかく。
そんな限定的な状況に至るなど更々ありえない。よほどの腕があれば解析も不可能ではなかろうが、にしては気配が分かり易すぎる。
であればこの視線は?
槍に手を当て待つが、襲い来る気配はなく。
「ふむ……」
少しばかり考え込む。
元より急ぐ旅。時折聞く勇者パーティの足取りは衰えることを知らず、ただでさえ縮まない距離を更に開いていた(どう考えても度重なる寄り道が原因である)。
しかし、エリシオは貴族なので。
(……三日。それで片がつかなければ、先に行くしかあるまい)
そうして、この村への滞在を決めたのだった。
*
そして現在。
夕食を終え、宿の個室で日記をしたためながら、エリシオは窓の外を見やる。
事前に決めた三日まであと一日。遅くとも明後日の朝には、この村を立たねばならない。
なにせ目指すは世界を救う旅。目の前のことばかりに気を取られ、勇者パーティを見失ってしまっては元も子もないのだ。
そこの天秤は、エリシオにもきちんと存在する。すべてを救えるなど、元より思っていない。
けれど。
この村の人々を助けたい、と感じているのは、結界を見つけた日にはなかった新たな理由であった。
貴族が国民を助けるのは当たり前である。
故にエリシオは当然の義務として、振りかかる災難を払おうと思ったし、そのつもりでこの村に滞在していた。
しかし、エリシオは人々と同じ食卓を囲み、物を教わり、善意を受けた。きちんと代金を支払った上のことだったとしても、それが温かいものだったのは違いない。
だから今のエリシオが抱く憂いの所在は、義務感とは違う部分だ。もっと柔らかい、受けた優しさを返したいという感謝の念だ。
しかしそれには時間が足りない。
この妙な視線は、ずっとこちらを伺う割に手を出す気配が感じられない。
恐らく、エリシオ当人を目的としていないのだ。自力で結界の内部に入ったが故の監視程度なのだろう。
敵の目的はこの村自体。
そして、今仕掛けてこないのはあえてのことか、まだ準備が整っていないから。
更に言えば、結界はあくまで認識阻害用のものだ。
弾かれていない先導者がいれば回避できてしまう。
例えば、外出した村人が襲われてしまえば────。
(私がいる間はそのような事態、起こさせはしないが……やはり元を絶たねばならないか)
ペンを片付けつつ、日記を閉じる。
時間はない。
今日明日でどうにかせねばな、と呟いて、エリシオは椅子から立った。
相手が仕掛けてこないのであれば、仕掛けるように仕向ければいい。
エリシオには軍略の心得があった。
*
真夜中。
人々が寝静まった頃合いに、一人の商人が村の外周を歩いていた。
辺りには霧が立ち込めている。真っ当な者であれば、外出を避ける状況────しかし彼にとっては幸いであった。
薄明るく光る鉱石を手に、結界の外周を辿る。
翳し、時に放り上げ、キャッチし、遂に。
(見つけた!)
鉱石の色が変わる。その周囲の魔力が薄いことを表すそれこそ、この商人が求めていた現象であった。
否、商人などではない。
この男は盗賊だ。
周辺一帯を縄張りとしている彼らはこの一週間、非常に困っていた。
原因はこの結界である。
勇者パーティーが村を訪れ、悪人や魔獣の類を避けるべく貼った結界。
認識阻害の効果を持つこれは、『明確な害意、敵意を持つ者』『結界に気付いた上で逆探知を仕掛けた者』の二種類を拒絶する。前者は地脈の影響から人々を守るため、後者はうっかり誰かに解かれないためだ。
そんなことは知らずとも、盗賊たる彼らはもちろん阻まれた。
現に今も、すぐ側にあるはずの村を視認することすらできない。
だが、これを見つけたからにはもう安心だ。
この忌々しい結界が貼られて一週間、団の総出で探していたひずみ。魔法を用いた結界であれば確実に生じる、とされているもの。
検知用の鉱石さえあれば魔道士でなくとも見出せるそれは、彼らにとって格好の侵入経路である。
男は早速、朗報を頭領へと伝えた。
「見っけましたよ!南東の端、若干上側です」
『へえ、よくやった!』
通信用の魔法具(もちろん盗品である)から伝わる興奮に、こりゃ取り分多めだなとガッツポーズ。
どうしやすか、と指示を仰ぐ。
「今夜は装備を整えて、明日あたり────『いや、今日だね』……は?」
思わず呆けた声が出た。しかし追及するよりも早く、頭領は宣言する。
『それも今夜。なにせ霧だ、姿を隠すにはちょうどいいし……ああ、確かかなりいい身なりの冒険者が滞在してたよね。そいつの持ち物もいただけば、こないだまでの損も帳消しさ!』
僕もすぐに行くよ、集合よろしく!と一方的に切られた通信。
男は大慌てで支度を始めた。




