貴族は騙された
さて。
そんなこんなでまた安請け合いをしたエリシオだったが、彼は今────
「こちらで合っているんだな?」
「う、うん」「あってるよー」
「そうか!であれば、しっかりと掴まっていたまえ」
深夜の森を爆走していた。
聞けばこの兄妹、帰り道自体は分かるという。
歩いていて先程のように囲まれれば面倒だし、何より二人を守りきれるとは限らない。加えて、兄妹の疲労も懸念される。
というわけで左右に一人ずつ抱え、道を聞きつつ走ることにしたのだった。
これが最も効率的で、最も時間のショートカットになると、エリシオは内心自信満々である。次の目的地である村の方角からは遠ざかっているが。
しかしまあ、エリシオの足は速い。日々の走り込みは、彼を王都でも指折りの俊足へと導いていた。
急いでいるとはいえ、この程度の寄り道なら問題ないだろう、とは当人の判断。それが積もりに積もって大幅な遅延となっているが、彼がそれに気付くことはおそらく一生ないだろう。
あまりにも人が良すぎる。
それはエリシオの少ない欠点のうちの一つだった。
*
十分と経たずに「ここ」と声が掛かったのは僥倖だった。
まあ、止まった場所が森の最深部だった、という点から目を背ければだが。
目の前に広がるのは窪地。
森の奥地だというのに、その周囲だけ木々が生えていない。
ぽっかりと開いた緑の天蓋の隙間からは、星空が浮かんでいる。
ここだけ見れば、天体観測の穴場とも取れた。しかし。
(嫌な気配だ。これは……腐臭、か?)
何かが腐り果てたような嫌な匂いが、そして、背筋を伝うような嫌な気配がエリシオを踏み止まらせた。
いわゆる、アンデッド────もしくは死霊の類が住み着いた際の典型的な状態である。とても人が、否、獣すらも住める環境ではない。
となれば結論として、騙されたか訳ありかの二択。
とりあえず事情を聞こうと兄妹を見て、
「……そういうことか」
震える二人の視線が一点、窪地の中央へと向いていることに気付いた。
そこには、何かが横たわっている。
ここからでは目視できない。けれど兄妹の反応を見るに、それが何なのか、誰なのかは明らかで。
更に言えば、この環境を作り出している根源が別にいることも、なんとなく察しが付いた。
「状況は理解した。が、嘘はよくない!」
びくっ!と二人がひときわ大きく震える。
驚かせてしまったかと思いつつ、エリシオはこう続けた。
「今後は控えるのだぞ。……あいにく私はその類を見ることはできないのだ。少し待ってくれ」
二人を下ろし、そのまま荷も下ろす。
下ろした荷をしばらくごそごそ探ったかと思うと、一つの瓶を取り出した。ついでに弓と、矢を一本取り出す。
瓶を覗き見れば、透明な液体が中でちゃぷんと音を立てた。
腐敗や不純物がないことを確認した上で、大きく振りかぶって。
「備えあれば憂いなし、とは何処の言葉だったか。提唱した方に大いに賛同する、ぞっ」
窪地のちょうど真上に向かって、放り投げた。
瓶は高く、高く放物線を描き、落下して────パリン、と。
地面にぶつかることなく、割れた。
当然中身は周囲に飛び散る。
瞬間、大地が揺れた。
よし、と矢のない弓をその場に置き、様子を伺う。
エリシオが投げたのは聖水だ。これには退魔の力がある。
が、あまりにも対象が強力だった場合には、その効能を十全に発揮できない。精々が姿をはっきりとさせる程度である。
じわり、と何もなかったはずの空間に色がにじむ。
赤黒い鱗、鋭い爪、蝙蝠に似た翼。何よりも特筆すべきは、周囲の木々を軽く越える体躯。
レッドドラゴン。
つい先日までこの周囲に生息していた大型の竜種が、そこにいた。
周囲の村の人々が見れば、ありえないと口にしただろう。
なにせこの竜は数日前、依頼を受けた勇者一行によって葬られている。それが何故、というのは、その姿が雄編に語っていた。
「切り傷に魔法痕……どうやら手酷くやられたらしいな、竜よ」
勇者が仕留め損なったわけでも、別の個体でもない。
折れた爪に欠けた眼球、穴が空いた翼。
竜は確かに死んでいた。
死んでなお死霊として蘇り、彷徨い、兄妹と────その親を襲ったのだろう。
「であればやることは単純だな」
兄妹を背後に庇いつつ、槍を抜き放つ。
倒すだけならば造作もない。
霊化しているとはいえ、片目は欠損、あの翼では空を飛ぶことも難しいだろう。
しかし。
エリシオはそうしない。
なぜならば、あの竜も『この国に住まうもの』だからだ。
人だけではない。狼も、狐も、この国にある以上はエリシオが助ける範疇にある。
流石に優先順位はつけるし、襲われて大人しく食われてやる訳にはいかない。
だがそれでもエリシオは、この国のもののために最善を尽くす。
なにしろ貴族なので。
国民のおかげで生きている以上、全霊を持って返すのは当然のこと。
故に、声高らかに宣言した。
「僧侶ではないが、弔わせていただく!!!」
……彼の数少ない欠点。
その二つ目は、真面目すぎることである。
戦闘が始まると同時、エリシオは大きく踏み込んだ。
竜が爪を振り上げるよりも早く間合いの内に潜り込み、窪地の中央に横たわっているであろう兄妹の親を探す。
視界の端に金色を見つけ、その元に辿り着くまで約数秒。
そこにいたのは、足から血を流す雌の狐だった。
「やはりか」
息があることを確認し、安堵の息を吐く。
最悪のケースを想定してはいたが、どうやらなんとかなりそうだ。母狐をそっと抱え、エリシオは瞬時に飛び退く。
前髪をブレスが掠めたのか、焦げ付くような匂い。しかし、そんなことは些事である。まずは二人を────否、二匹を安心させてやらねば。
アクロバティックに兄妹の元に戻り、母狐を下ろす。
「後で傷の手当てをしよう。それまでの間、守ってくれるだろうか?」
二匹は一瞬、信じられないといった様相で顔を見合わせた。が、それもほんの一瞬。こちらに向き直ると、大慌てでコクコクと頷いた。
それに頷き返し、エリシオは竜に向き直る。
「さ、次は貴殿の番だ。本職でないが故、少々手荒だぞ」
言いながらも槍をくるりと回す。
言語を認識できているのかはわからない。だが、死んでいるとはいえ知能の高い竜種だ。言葉のニュアンスは受け取ったようで、こちらに向かって飛び込んでくる。
そしてそれをエリシオは、
「とはいえ、大人しくしてくれるとやりやすいことには変わりないのだがな。無用な痛みは避けたくないか?」
その場から一歩も動かず、槍の柄で受け切った。
生まれる拮抗、しかしどちらかといえば竜が押されている。
それを蹴りで押し込み、蹴飛ばし、間合いを取った上で────エリシオは、槍の石突を地面に突き刺した。
「神々に奉る。この竜の魂を清め、祓い、天へと導き給え!」
十字槍を即席の十字架として、祈りを捧ぐ。
エリシオは聖職者ではない。
本来であればこれほどの悪霊を祓魔などできない。これは実力の問題ではなく、職業として行うことができないのだ。が。
会敵時に投げた聖水が効いていた。祓うまでとは行かずとも、大幅な弱体化を齎していたのである。
なにせあの聖水、王都の司教が清めた特別製。
エリシオは貴族である。であれば、護身のために持ち歩く道具とて超一流であった。
それを下処理とし、儀式は何の問題もなく受理され────竜の残滓は、跡形もなく姿を消した。
「……すまない。君とて存在を保つために必死だったのだろう。だが、私は自分勝手なものでね。人の姿で助けを求められれば、応えたくなってしまう。襲い来る狼は殺すくせにだ。……まだまだ、未熟だな」
祈りを終え、誰に言うとでもなく、エリシオは呟いた。




