【幕間】カスパー・ドーナツマルクの8年間 /2
縁談の場所へ向かう足取りは重く、今も亡き妻を愛し、実の娘を探すそんな男の元へ嫁ぎたい女性がいるとは考えることが出来なかった。それでも、時間を開けてもらった先方に失礼だと、待ち合わせていたホテルのロビーへとたどり着くと、そこには侍女もつけずに一人ロビーのソファーに腰掛ける女性の姿があった。
この国では珍しい黒い髪で、目は赤色とオレンジ色が合わさった夕焼けの空のような綺麗な女性だった。彼女の名前は、カミラ・レーゼル子爵令嬢。レーゼル家の次女で、ハーマン伯爵が10歳も年下の男爵令嬢との間に子をもうけてしまい、カミラ・レーゼル嬢も当時妊娠3ヶ月という状態でありながら、伯爵から婚約解消の申し入れを行われてしまい、破婚となった経歴を持つ女性だ。
今は、生まれた子どもとともに、レーゼル子爵の持つ北部の別荘で暮らしているそうだ。
「急な縁談話で、公爵様も戸惑いがありますでしょうが……。わたくしとしては、前向きに考えていただきたいのです」
「それはなぜでしょうか?縁談に応じた手前こんなことを聞くのも心苦しいのですが……」
「まずひとつに、北部から出たくない。というのが理由としてあります。子どももすでに9年もここ北部で暮らしております。それに、わたくし自身も北部を気に入っているのです。首都の喧騒から離れた、公爵領の落ち着いた雰囲気が大変好ましいのです」
「その理由はわかりましたが、私でなくとも未婚の令息や、後妻を求める貴族が北部には数名いたはずですが……?」
「そこが理由の2つ目になります。まず、子持ちの令嬢に舞い込む縁談は、良いお話であることがありません。それに、後妻を求める貴族の方には、すでにお子様がいらっしゃるので、私の子どもが窮屈な目に合う可能性を捨てきれません」
「なるほど。ですが、私は知っての通り実の娘を捜している最中です。そして、諦める気も全くありません。」
「存じております。だからこそ公爵様なのです。いつか必ずご令嬢は見つかるでしょう。ですが、その時私の娘があとから家にいるのではなく、先に家の一員となっていることが重要なのです。娘は、よく見てよく学ぶ非常に良い子です。見つかったご令嬢の手本となるような子になるでしょう」
彼女は、ここまでの会話で、絶対に気持ちを曲げないという覚悟のある目で私に話してくれた。そこで、その意思強さと、娘が見つかったときに姉がいるというのも、もしかしたら良い効果をもたらすのではないかと考え、数回カミラ令嬢の娘も含めてお会いしていく中で決めよう。という話で落ち着いた。
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それから何度か会ううちに、まだ会ったこともない実の娘に、カミラ令嬢の娘を重ねてみてしまうことがあり、徐々に情が湧いてきていたのだろう。私は、後妻として迎えることを決めたのは、あの事件から7年。カミラ令嬢と娘のツェツィーリアに会ってから2年の月日が経ったときだった。
「カミラ子爵令嬢。私は嘘をつくことは愚か者を化かすときだと考えているのです。ですので、偽りのない言葉をお伝えすると、私はまだ亡き妻を愛しております。それに実の娘の捜索も今後も辞めることはありません」
「はい。存じておりますわ」
「そんな私でも良ければ、公爵夫人として……。私の妻になっていただけますか?」
用意していた、婚約に関する資料とともに、この国で自分の妻になる人へ送る、彼女の瞳の色に近いオレンジの宝石で装飾されたネックレスをカミラに渡した。それを彼女はりんとした表情で、
「はい。お受けいたします。今後ともよろしくお願いいたしますわ」
その後、事務的な部分を終え、婚約パーティーは両家の内々な者たちだけで済ませる簡易的なものを行った。カミラの娘、ツェツィーリアは後妻の連れ子ということもあり、アルマン国の法律上継承権を持たないが、家系図では長女として迎え入れられた。
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私は、その後も実の娘を探すために各地を飛び回っていた。だが、娘として迎えたツェツィーリアにはさみしい思いをさせないよう、離れ離れになった妹をさがしていること、そんな妹を可愛がってほしいこと、そして君ももう私の家族であるということをよく聞かせていた。
「お父様……。わたくし必ず妹を大切にしますわ!」
「あぁ。そうしてほしい。私の大切な家族として、ツェツィを大事にするのと同じで、私の娘『マリア』も家族として快く迎え入れてほしいんだ」
「わかってますわ……。でも、もう少しお父様との時間がほしいのですわ……」
この頃から、ヴェルトシュタイン辺境伯領と隣国ポルスキ公国の国境で起きた些細な諍いが、アルマン王国でも問題として挙げられ、王国一の軽騎兵を持つ我が公爵家も忙しくしており、ツェツィーリアとの時間を取れていないのは事実だった。
「ごめんな。でも、ツェツィはいい子だから、お父さんの仕事が落ち着くまで待っててくれるかな?」
「……わかりましたわ。でも必ずですよ、必ず時間をつくっていただきますわ!」
「もちろんだよ」
今では公に娘の捜索を行えていない代わりに、クライスト侯爵が領地経営の傍らで捜索を手伝ってもらっている。
「……?お父様?」
「いや、なんでもないよ。ただ、ツェツィとマリアが並んで歩く姿が待ち遠しいなと考えていたのさ」
「お父様……。その、妹のマリアは私を好きになってくれるでしょうか?」
「気に入るさ!ツェツィはいい子だから、マリアの良い姉としてお手本になるしね」
「最近では、刺繍もうまくできるようになりましたの!」
そんな他愛もない会話をしていたとき、執事長のベンノがドアをノックして一枚の手紙を渡してきた。その手紙は西部にある、クライスト侯爵家の紋章が入っていた。時折こうして報告をもらうため、いまでは見慣れた手紙の一つだ。
「……」
「どうしましたの?妹の捜索に進展がありましたの?」
「いや、誘拐犯の方の話だ……」
「しかも、金髪の子どもといっしょにいたらしい……」
手紙には、エッカルトらしい文面でこのように綴られていた———。
『公爵。俺は誘拐した乳母の女の消息を西部で見つけた。クライスト領からすこし南下したところにある貧民街だ。令状もなく、正式な形で領外の人間を捕まえられないことはわかるよな?
いまは偵察の得意な裏の人間を雇って監視させてる。まだ容姿が似ているだけの可能性もあるが、子連れで金色の髪のこどもだったらしい。時間があれば確認しに西部まで来てくれ。エッカルト・クライスト』
私は西部へと急ぎ向かった。北部から西部まで馬車で大体6日ほどかかっただろうか。クライスト侯爵邸で、エッカルトと合流し、現状の報告を受けた。
「今どういう状況だ?」
「おそらく乳母と思われる女は、西部の南側に位置するハーラー伯爵領の貧民街で暮らしている」
「手紙で聞いた」
「今は、ハーラー伯爵に陳情を送って正式な捜査と逮捕の権利をもらったところだ」
「行こうか」
「いいのか?もし違った場合、お前すぐにヴェルトシュタインに行かなきゃいけないだろう?新しい娘だって……」
「わかっている! だが、実の娘に関する情報は早めに手に入れたいんだ!」
「前にも、虚偽の情報流されて、偽の女を捕まえたことがあったろうが!冷静になれって言ってんだよ!」
「お前は……。もし自分の息子、コンラートがいる可能性を考えたら冷静になれるのか?」
「……っ!」
「今はなんだっていいさ、仮に間違いだったとしても俺がすべて背負うさ……」
そう。今はなんだっていい。新しい家族は出来た。だが、俺には実の娘がいまあの女の元で暮らしているかもしれないなどと言われて、冷静でいれるわけがなかった……。
ご拝読いただきありがとうございます。次回更新日は12月5日です