【幕間】カスパー・ドーナツマルクの8年間 /1
※今回から2話ほど、次の章に移るための、幕間として、今作の主人公の実父が8年間どのように過ごしていたかを語る話になります。心情や状況説明が多く、会話の少ない文章構成のため見づらい可能性はございますが、気合を入れてこちらも書いておりますので、何卒よろしくお願いいたします。
今でもあの日を思い出す。忘れもしない私の人生における最大の失敗のことを———。
8年前、妻の出産を無事に終えられるように、多くの使用人と執事長らとともに、妻の寝室の前で、冬になると現れる、腹をすかせた小狼のように、ウロウロとしながらまだ小さく幼い命の誕生を心から祈っていたときに悲劇はおきてしまった……。
”バンッ!”
出産に立ち会っていた助産師が、勢いよく寝室のドアを開け、大きな声で私を呼びかけた。
「公爵様っ……! 奥様がっ…!」
「アレクシアに何がおきた!?」
そこから正確な記憶はない。確か、大きな声で妻の名前を呼びかけ、苦しい、辛い、痛いと涙を流しながら歯を食いしばり僅かな力で懸命に生きようとする妻の手をとる私。必死に回復魔法をかけ続け、痛みを緩和する治癒魔法を並行してかける医者3人。周りの侍女や執事らも大声で、「奥様ぁっ!」と呼びかけ、現世へと留めようと涙をながすものものいたようだ。
「…っカスパー……。」
「無理に話すな!今は回復に専念してっ……」
「あ……あの子を……。わたしたちの子どもを……あい…し……」
握り続けていた妻の手は、急激に力を失いガクンっと下がる。妻の眠るベッドには、医者の回復魔法も虚しく血だらけとなった、思わず目を覆いたくなるような光景だった。
「アレクシアっ……! 嘘だっ…!」
「あの子を置いて……私よりも先に……先に逝くなんてっ!」
「あぁ……。アレクシア……。」
こうして妻は、大切な贈り物を私に残して先立ってしまったのだ。彼女は25年という短い人生で、最後に母として、子どものことを想った言葉を私にかけようとして、亡くなってしまった……。
「ベンノ……。」
「はい……。大旦那様。」
「妻と私の宝物は……。ここにいる……のか?」
「生まれたばかりの赤子には、強い魔力を当てないように、産後すぐに雇っていた乳母が外に出してくれております……。バタバタしてしまいましたが、恐らくは今お嬢様のお部屋へと向かわれたかと……」
「そう……か……」
「唯一の肉親となるのだ。笑顔で会いに行かねば……な……。」
妻の死を悲しむことはあとでもできる。今は、生まれたばかりの私の娘に会いに行かねば……。
それが悲劇の幕開けだとは知らずに、私は妻と新たな生命の誕生を祝うために、二人で仲良く飾り付けあった娘の部屋へと足を運んだ。
「娘は……。」
ドアを開けた私の眼の前に広がる光景に、サーっと血の気が引く思いとともに、最悪のシナリオが私の前に広がった。それは、娘を預かった乳母も、生まれたばかりの娘の姿も、この場にはないという想像し得ない事態だった。
即座に屋敷の隅々を総出で捜し始めた。鬼の形相とはまさにこのことなのだろう。普段、良い環境で働けるように優しい言葉で労っていた使用人たちに向けて私は、人が変わったように大声で強い言葉で指示を出し、私兵の騎士団にも外へ出た可能性を考慮して、急ごしらえの捜索隊まで組んで必死に探した。だが、生まれたばかりの娘を抱えた乳母の痕跡は、何一つ見つからなかった。
それからの私は、公爵という立場を初めてうっとおしく思うほど、業務の傍らでしか娘の捜索に関与できない自分を恨み、空いた時間があれば、自ら情報をかき集めていた。そこで判明した僅かな事実と証拠は、自分を強く恨むには十分なものだった。
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調査をはじめて1ヶ月経った頃、集めた情報を整理して、あの日何が起きていたのかを解明することに成功した。
あの乳母は、30代という乳母にしては若い女だった。だが、公募をかけた際に強いやる気を感じ、経歴は浅いものの、こういった女性が子どもを良い子へと成長させてくれるだろうと、生前の妻とも意見が合い、採用した女だった。
乳母として採用された彼女は、以前妻の生家である『ローヴァイン伯爵家』のある、ローヴァイン伯爵領で、助産師として働いていた。その後、ローヴァイン伯爵領で執り行った、交流のある領民も招待された婚約パーティーで、酔ってふらついていた彼女を、たまたま近くを通りかかった私が、休憩室まで案内した。たったそれだけのことで私に惚れてしまったという。
もともと、思い込みの激しい性格だったようで、「公爵様は私に惚れていた」「あの女とは私との逢瀬を隠すための婚姻だ」などと、近しい友人達には息をするように話していたそうだ。呆れた友人たちは皆彼女から離れていき、孤独になった彼女は更に思い込みを強くしていった。
そこから、どのように乳母として働き始めたのかは定かではないが、ロスラー男爵家の乳母として採用され、そこから2つの貴族家でも乳母として働いた経験を元に、我が家の乳母としての採用試験を受けに来たのだという。
彼女は、乳母として採用されて以降、とある闇商人から「とある地点と別の地点を瞬時に移動することができる魔導具」を購入し、娘の誘拐という愚かな行為の計画をはじめたそうだ。連れ去られた現場となった娘の部屋には、魔塔から雇った魔法使いの調査により、僅かな魔法の残滓を確認したというが、その残滓から痕跡を辿ることは現代の魔法技術では不可能という答えだった。
私は、魔塔へ残滓を辿る事のできる魔法や魔道具の開発を依頼し、そのための出資も惜しまなかった。他には、子どもを誘拐したものの人相書きを掲示し、些細な情報でもいいからと、国内を探し回った。孤児院へ預けたことも考慮し、数多くの孤児院を自らの足で訪れたこともあった。
そうして年月は流れ、妻の死と娘の誘拐事件の始まりから5年が経過した。死別などで独り身となった高位貴族は、養子を取って後継者を育てるか、後妻を娶って後継者を産ませるか、連れ子がいた場合でも正当な後継者として任命できるという習わしが当たり前だ。だが、私にはそんな決断をすることが出来ずにいた。
娘の捜索を始めてから5年の間で、公に捜索をしていたこともあり、数多くの人間が浅ましい考えのもと、娘と偽って金髪碧眼の女の子を連れてくることになった。それでも本当の娘が現れることはなかった。魔法で髪を染めたものや、染料で無理やり染めたもの。そもそも髪の毛も目の色も違う子を連れてくるものなど、公爵家の後継者という地位を求めた、浅ましい人間の腐った感情を味わい続け、私は心身ともに疲弊していた。それでも私は諦めることなく、国内を業務の傍らではあるが捜し回った。
そんなとき、古くからの友人でもある、クライスト侯爵家のエッカルト侯爵から、後妻を娶らないか?という提案をされたのだ……。最初は、全く乗り気ではなかったが、侯爵も極秘裏に捜索を手伝うことで、今の浅ましい人間の感情を味合わない生活の為に、と説得をされ、周囲の信頼の置ける家臣たちからの後押しもあり、とりあえず会って話をしてからということで縁談へと向かった。
ご拝読いただきありがとうございます。次の更新日は12月4日です