2度目の人生には問題が山積みです /6
この侯爵邸に来てから1週間と3日経った。6日目にエッカルトから「公爵が神殿に到着して、いよいよ始まるらしいぞ」と伝えられた。そうして今日も変わらず勉強をしている。まだこの侯爵邸で暮らせるうちは、今後のいじめに怯えずに住むのが非常にありがたい。
最近はコンラートも私を教える余裕はなく、次期侯爵としての後継者教育を同時並行で行っているらしい。クライスト侯爵領の業務を補佐しているため、外出も多くなった。
「お嬢様。本日はここまでにいたしましょう」
「はい! ありがとうございました。ハインケス夫人!」
このハインケス夫人は、ミア・ハインケス子爵夫人という方で、現国王がまだ第2王子でしかなかったときの教育係を担っていた優秀な人だそう。旦那のベンノ・ハインケス子爵は、前国王陛下が統治していた際に、疫病の発生源を突き止めたことで爵位を与えられた、学者気質な家系だそうで、ミア子爵夫人が優秀なのはそんな旦那の影響もあるのだろう。
(ただこの人苦手なんだよなぁ…)
というのも、”私が” ミア夫人と呼ぶことを嫌うのもそうだが、私に名前がないから ”仕方なく” お嬢様と呼んでいたり、”孤児で公爵の娘の可能性があるだけ” の私に、ものを教えることに抵抗があるようだからだ。
それに僅かな回数の会話の中に言葉のトゲを感じることもある———。
あれは、ある程度勉強に慣れてきた頃のこと……。
「お嬢様はまだ幼く ”意志薄弱” とされたお方なので、こういった勉強を継続することに意味があるのです。何事も真剣に取り組めば成果はいつか芽生えるでしょう」
(私を焚きつけるふりをして、元孤児で幼いから意思決定も自分でできない人間だと話したり……)
「お嬢様は綺麗な金髪碧眼でいらっしゃる。その分 ”月夜の蟹” ですので補わなければならない部分も多々あるでしょう」
(私は綺麗な見た目だけど、それでも中身がない孤児だとからかってきたり……)
「最近はマナーの勉強も順調だとお聞きしましたわ。ですが……今の調子では ”鵜のマネをする烏” ですので、”轍を踏む” ことなくより一層真剣に取り組むことをおすすめいたしますわ」
(私のカーテシーをみて、今の腕前では誰かの猿真似にすぎないから、そんなことを繰り返さないように気をつけろと言ってきたり……)
このような、”元孤児” の私には難しい言葉など伝わらないだろうと、言葉の裏にトゲを隠している気がするのだ。
(今後も元孤児というレッテルはついて回るんだろうなぁ……)
(本当に公爵の娘だとしても、育った環境で判断する貴族は多いらしいし)
これはエラが教えてくれた話だが、”とある貴族家で婚外子を例外的に後継者とした” という子にとってはどうしようもない事柄でも、”婚外子” という立場のせいで周りの風当たりが強く、本人が心労の末に自死してしまったという話だった。エラはこの話を元に、そういった風を防ぐには、誰よりも心を強く持たなくてはならないと、いつになく真剣な表情で私に話してくれた。
(私はこの貴族社会においては、ヒロインでも主人公でも、当て馬キャラでもなく、元孤児という過去の立場を背負ってあるく異物にすぎないんだ……)
この話を聞いてから考え方を改めることにした。いままで悪役令嬢の義姉や継母をどうするかばかり考えていたが、この世界を生きていく以上、そういった問題にも手を付けていかなければならないのだ……。
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とうとう待ち望んでいたような、そうでもないような今世の人生を左右する結果が送られてくる日だ。この侯爵邸にきてから2週間と5日かかってしまったが、私が今後公爵令嬢になるのか?はたまたただの平民に過ぎないのか?が決まることになる。
「封書を開けるぞ?心の準備はいいか?」
「はい……。」
鼓動が早いのがわかる。私は今まで公爵の娘になると決め込んでいたが、そうならない可能性も大いにある。エッカルトは慣れた手つきで封書を開き、私に見せる前に同封されていた資料に目を通す。
「俺から答えは言わない。勉強した成果をこの瞬間に使うと良い」
「ありがとうございます。では……」
エッカルトから資料を受取る。不安と緊張から手汗と震えが止まらないがそれでも目を通す。
「……ここに……ドーナツマルク公爵の娘……であることを、臣民の健康と治癒の女神『イーアス』の名のもとに……証明する……」
「よかったな。実の娘であることがこれで証明されたわけだ」
「これが現実だといまだに信じられません……」
「そりゃそうだ。急に貴族の娘、しかも公爵令嬢だなんて信じられなくて当たり前だ。だが、これはこの国の女神の名のもとに証明された、確たる証拠となる。周りは信じたくなくても、信用せざるを得なくなる」
「私は歓迎されるでしょうか……?」
「それは今後の振る舞い方次第だ。だが一つ言えるのは、お前の実父『カスパー・ドーナツマルク』公爵は確実に歓迎しているさ。8年も自分の娘を捜していたんだ、涙を流しながら抱きしめてくれるだろうさ……」
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前世の記憶を思い出したときに、こんなことになると考えたことはなかった。今、私は前世でアニメ化までされた漫画の世界にいる。
(アニメ化は不評だったけど……)
そんな世界にやってきたというのに、この体には孤児院で受けたひどい仕打ちの記憶、会話の裏に隠された元孤児への言葉の暴力、急に高位貴族の娘になるという立場への不安……。あげだしたらキリはないけど、この小さな身体と、前世の平凡な私が抱え込むにはあまりにも重い感情だ。
「はぁ……」
寝室に戻ってからはしばらくこの調子だ。執務室での話は、この広いようで狭い侯爵邸という場所ではすぐに広まった。元孤児が実は国随一の権力者の娘というシンデレラ・ストーリーに、若い侍女や執事達、貴族階級ではない平民の使用人たちまでもが、笑顔で寝室に戻って来る私を想像していたのだろう……。
だが、私の心情は思いの外顔に出ていたようで、近くを通る侍女や執事はもちろん、軽食を運びに来た料理人までもが、意外なわたしの反応に戸惑いを隠しきれていなかった。
「…不安……なのですか?」
そばで何も言わず待機していたエラが、ため息を吐いてばかりの私に、最大限気を使ってひねり出した言葉だった。
(不安……。それもある。それよりも恐怖が強い。この重い感情をこの小さな身体で受け止めて、うまく立ち回らないと、この貴族社会では生きてはいけないという恐怖が……)
「エラさんは、私と同じ立場に置かれた時、今後について恐怖心を感じる可能性はありますか?」
「エラ、で構いませんお嬢様。もうお嬢様は、この国の公爵令嬢というお立場であらせられます。私のような、使用人に敬語をお使いになる必要はございません。」
「…それと……。質問にお答えするとしましたら、想像もできないというのが正しい回答かと存じます」
「それは……っ。」
それ以上エラに踏み込んだことは聞くことができなかった。私のようなひどい扱いを受けた、元孤児の気持ちがわからないから?などと、優しく接してくれた彼女に聞くことなど決してしてはならないと……。
「…ありがとうエラ。変な質問をしてごめんなさい……。」
「いえ。お嬢様になんでもとお伝えしたのは私ですので。」
彼女はどこまでも気が利く非常に素晴らしい人間だ。この侯爵邸でも一番心を開ける存在で、侯爵邸の使用人でなければ、私の専属として一生そばで仕えていてほしいと願ってしまうほどに……。
ご拝読いただきありがとうございます。次回更新は12月3日です