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常温保存可能な憐憫

作者: 越谷 雅


 この日本において最もくだらない行事、それはバレンタインデーだ。ウァレンティヌス司祭の死を悼んで始まった正当な祭りは、他文化を捻じ曲げて消費してしまういかにも日本的なやりかたで、チョコレートの広告塔に成り下がった。そして、やれチョコがもらえただの、あの人に渡して告白するだの、青臭いガキどもがきゃっきゃと騒ぐ。実にしょうもない。ドラマは創作のなかにしかない。実際にバレンタインデーに起こるのは、女同士の馴れ合い、バカな男どもの気持ちの悪い期待、本当にくだらない。くだらないったらありはしない。靴箱に本命チョコ?匂いが移って不愉快だろう。校舎裏での告白?野次馬が騒いで尻切れトンボだ。そういったくだらない場面を見てきたから言える。この日本において最もくだらない行事とは、バレンタインデーだ。


「内藤君、君もそう思うだろ」

「概ね同意だね。ただ、そこまでの熱量をもって語られる話題でもないとおもうけど」

 図書室のコミュニティスペースでだらけ7割勉強3割、さえない大学生が二人。ぐちぐちと喋っては、問題の回答をルーズリーフに書きつける。

「なぜというに、見ろ、期末も近い二月のはじめ、それなのに学内のこのありさまよ」

「ん?……あー、どうもカップルが多いように見受けられるね」

 図書館で回りを見渡せば、男女、男女、一つ飛ばして男女、カップルの群れがあちこちで仲睦まじく勉強したり駄弁ったり。大方、クリスマスでくっついてここまでうまくやってきた奴らだろう。距離感からして、絶対にそうだ。図書館を出れば、もっといる。大学周辺の店に入れば、必ず一組は大学生カップルがいる。

「天下の如月大生がこのていたらくとは君、ひどいと思わないか」

「べつに、どんなに偏差値よくたって恋愛くらいするでしょ」

「恋愛くらいって……異性にうつつを抜かして本業をおろそかにするなど、如月大生の態度として言語道断だろう」

「本業をおろそかにしてるかはわかんないんじゃない?」

「その分のリソースを割けたはず、という言う話だ。それに、あんなちゃらけた大学生どもが学業をきちんと修められているはずがあろうか?」

「時々、ほんとーに時々思うけど、西木君ってたまにすごくジジくさいよね」

「何を言う。ところで内藤君、やけにカップルどもの肩を持つな?さては、君、まさかとは思うが彼女ができたわけじゃあるまいね」

「いないよ、バーカ」

「馬鹿とは口の汚い……」

「じゃあ、アホ」

「同じだ、程度が」

「ふん……」

「ともかくだ、こいつらがお互いにチョコなど贈りあってイチャイチャしてるのを考えると反吐が出る」

「妬ましいだけなんじゃないの。君も彼氏作ったら?」

「違う、そしてなんで俺に彼氏なんだ、別に同性愛者じゃない、ましてトランスジェンダーでもない」

「なんでだろうね?はは」

「なんなんだ……」

 そんな話をしている間に、コミュニティスペースからカップルが一組減り、二組減り、気がつけば閉館五分前のチャイムが鳴った。窓の外はとっくに真っ暗だった。嫌な暗さだ。雲で月が隠されている。

「へー、今日も頑張った頑張った。これだけ頑張れば単位は間違いないでしょ」

「油断は禁物だぞ君。前期もそう言ってⅭだった科目があるじゃないか」

「単位さえ出ればいいんだよ、単位さえ出れば。帰って飲もうよ。君ん家でいいだろ?」

「はあ……この危機感の無さ。呆れるよ」

「それに関しては、まあ、同感かな」

「はあ?俺の危機感が薄かったことが今まであったか?」

「いや、僕の話」

「はん、自覚があるようでなにより」

「へいへい」

 外に出ると、冬の冷気が骨身に染みた。マフラーと手袋をしてもなお寒い。手と首以外から体にしみこんでくる冷気が隅々までいきわたっているような感じがする。

「うう、寒い……」

「手でもつなぐ?」

「急に何だ、気色悪い……」

「あはは、同感」

幸い住むアパートまでは近いのが救いだ。早足に歩き出した。

「あっ」

内藤が不意に出した声に、思わず立ち止まる。

「どうしたんだ」

「シー……みて、あれ」

「ん?……!」

 内藤が指さす方を見ると、カップルが道端でイチャイチャしていた。こんな寒空の下で、バカなのだろうか?全く理解できない。しかも、ちょうど帰り道を塞ぐ形で、だ。あんなやつらのわきを通れるか。

「ちっ……内藤君、回り道しよう」

「う、うんっ、そう、だね」

「妙に声が上ずっているな。憧れなどもつんじゃないぞ。女なぞみんな性格の悪いろくでなしだ。さんざん弄ばれて捨てられるだけだ」

「……」

 妙に口数が減ったのが気になったが、そういう場面を見るのがショックだったのだろうか。こいつはすかしたように見えて結構ガキっぽいところがあるな、などと思いながら歩けば、玄関はすぐそこだった。帰りつくころには、内藤の調子も元に戻っていた。

「ほら、あがれよ。酒は冷蔵庫の中の好きに飲んでいいから」

「当たり前じゃん、半分は僕の金で買ったんだし」

「それもそうか。つまみは……するめと柿ピーどっちがいい?」

「両方かな」

「わかった」

 ガサゴソとつまみを手にリビングに入ると、内藤はもう既にビールの蓋を開け、テレビを点けて飲みはじめていた。家主より先に始めるとはどういう了見か。

「この芸人面白いよねー、僕大好き」

「芸事で食ってる下賤な人間に興味はない。ドラマを点けてくれないか。バラエティ番組はくだらなすぎてみていられない」

「えー?おもしろいのに~」

「家主は俺だぞ」

「はいはい、逆らえません逆らえません。ほいっ、どうぞ」

「うおッ馬鹿ッリモコンを投げてよこすな!」

「べー」

「はぁ……」

 つまみがあると酒が進む。一緒に飲む相手がいるとさらに進む。酔いも回る。

「だからぁ、君にも彼女ができれば、そのひねくれた性質も治ると思うよぉぼかぁ。そんなんじゃあ、いつまでたってもしあわせになんかなれっこないよ~~」

「お前が言う幸せってのが結婚だとかそういう話なんであれば、心底余計な世話だ。俺は君のような気のおけない仲間と駄弁りながら酒でも飲めればそれで幸せなんだよ」

「へぇ~~そう?でも、僕が結婚しちゃったらできなくなるよ?」

「は!結婚できるのかい?君、俺以外に友達いるのか」

「それは……いない……けど」

「じゃあダメだね。友達もできないのにまして恋人なんて無理だ!それに、君だって愛だの恋だのくだらないってわかってるだろ。おえがしょっちゅう話してんだから」

「君が話したとて僕がそれを受け入れるのは別問題さァ……君、結婚がいやなら、もう僕と生きようよ」

「ヤだね。君はいいやつだが、俺ぁ家主より先に酒を開けるようなやつとルームシェアなんてお断りだ」

「あーそうかい!ごくっごくっ……」

「お、君いつもよりペースがいいな。どういう風の吹き回しだい?」

「ひっく……さっきの……カップルさ」

「ああ、どおりで。」

「……うらやましかったんだ」

「はぁ?君も焼きが回ったねぇ。さっきも言ったがね、君、恋愛なんてくだらないゲームさ。君も僕も童貞だがね、僕はそこんとこがよーくわかってるんだ。お互いに刃を向けあっているようなものだよ。いいかい、恋愛感情なんて畢竟醜い独占欲、もっとひどけりゃ名誉心さ。彼氏彼女がいないとダサいなんて風潮に流されてみんな恋愛してるのさ。心底くだらないよ。君は童貞を卒業したいのかもしれないがね、ぼかあ嫌だね。中学高校と、俺は恋愛のくだらない側面ばっかりみてきたんだ。君とは経験値が違うよ。憧れをもつのはやめたまえよ。第一……あ?」

 内藤はつぶれていた。

「なんだよつまらない……世話のかかる……くそ……」

ぐちぐち言いながら、酒でぐらつく体と頭をなんとかもたせながら、内藤に毛布をかけてやった。そして、俺も潰れた。


 冷気を感じて、目を覚ました。とっくに午後3時だった。机の上には書置きがあった。

『3限に出るから、先にでとくよ』

「……3限あったのにあんなに酒飲んでたのかよ、凄まじいな……」

 水を一杯飲んで大きく息をつく。今日は全休だ。もう少し寝ていたいが、眠気もない。やることも、ない。

「そうだ、あの本……」

いつか借りていた図書館の本、そろそろ返却期限ではなかったか。

「えーと、延長するか……あ、予約……マジかぁ……」

 返却せざるをえない。億劫だが、致し方ない。まだ若干ふらつく体で着替えと洗顔、歯磨きを済ませ、本を片手に外に出る。

「寒……」

 マフラーと手袋を装備し、改めて外に出る。今日も今日とて極寒だった。震えながら図書館に向かった。寒いからか、人通りもまばらだ。

 返却ボックスは入口右にある。そこに本をいれようとしたところで。

「おわっ!?」

 足元の凍結した水たまりに、足を滑らせこけてしまった。寒さが傷口に染みてなお痛い。また、寒さと衝撃で力が抜けて立ち上がれない。なんでこんな目に遭うのか、合理的説明が欲しい。

「あの……」

 ふと、女性の声。

「大丈夫ですか?」

顔をあげた。その瞳に、俺は吸い込まれてしまったのだ。純黒の瞳は理知的な輝きに満ち、その心配そうな表情が俺の心をさらった。あ、え、という、言葉にならない声しか出なかった。

「あの……?」

「あ、あい、いえ!だ、大丈夫、大丈夫で、す、ええ」

 慌てて立ち上がろうとしたが、滑ってうまくいかない。難儀していると、手を差し出された。

「ほら、つかまってください」

「あ、ど。どうも」

 手を握った瞬間びり、と電流が走ったような気がした。暖かいぬくもりが手を包んだ。ゆっくりと立ち上がると、女性はニコ、と笑って言った。

「この時期。水たまりも凍っちゃって危ないですから、気を付けてくださいね」

「は、はい、おっしゃる通りで……ほ!本を返しにきたのでして!失礼して……」

「あ、その本……」

 女性が本を覗き込もうと近づいた。微かに甘い香りが舞った。

「えっえっ」

「私が予約した本です、それ」

「あっ、そ、そうなんですか、じゃあカウンターに返しに」

「石川直樹、好きなんですか!?」

「あ、ええ、ほどほど、たしなむ程度なんですが……」

「私も大好きで!情景描写が優しくて好きなんですよね」

「は、はい、いいですよね」

「ちょっと、お時間あったらしゃべりませんか?私の周り、小説の話できる人いなくて……」

「あ、え、ええ、もちろん」

「やった!あ、これ私の連絡先です、忘れないうちに」

「え、ええ、どうも、」

 それから、図書館横のカフェに行った。彼女は名前を瑞樹さんと言って、小説、特に石川の小説が好きなのだそうだった。それから、話しているあいだに如月大の学生だということが分かった。話している間俺はというと、ただただ彼女の声に聞き惚れ、目に魅了され、コロコロ変わる表情にときめき、大変なことになっていた。

「今日は楽しかったです!また話しましょうね!」

「え、ええ、また今度」

 あまりにも唐突な始まりだった。


「ねえ」

「……」

「……ねぇ!」

「……」

「西木くん!!!!」

「うわっ!急に大きな声を出すなよ、驚く」

「急ってか、ずっと呼んでたんだけど……ここの解き方教えてほしくて」

「あ、ああそこね、そこはここをこちょこちょっと回せば……」

「あ、ほんとじゃん、サンキュー。……君、最近なんか上の空じゃない?」

「え、そうか」

「そうだよ!ずっと呼んでも気が付かないし、授業の板書とってなかったりするし」

「あ……う、うーん」

「まさか、彼女でもできたかー?あの西木がねー」

「い!いや、そうではない、そうではないが……」

「ないが?」

「……今までさんざん否定してきて恥ずかしい限りだが、す、好きな人ができた」

「……はえ?マジ?」

「……ああ」

「……はあ、そうかい、見損なったよ」

「ま、待て!気持ちはわかるが……!」

「はは、冗談だよ、応援する。何か力になれることはないかい?」

「……内藤君、君は本当に最高の友人だ……心から礼を言う」

「はは、よせよ気色悪い」

「なんだと」

「はは。算段をつけよう。君と、君の意中の人をくっつける、ね」

「……恩に着る」

「お礼ができて偉い!」


 それから、作戦会議を幾度となく行った。彼女の好み、趣味、人間関係、そういった情報をあつめ、アプローチの手法を練る。半ばストーカーまがいのことまで。そして、あるとき。

「……誰かと待ち合わせをしているようだな」

「友達かな?」

「……あ」

「あー……」

 彼女に駆け寄る男性。笑顔で迎える瑞樹さん。そうして二人は重むろに腕を組んで、歩いていってしまった。

「……」

「さ……西木君……」

「ああ……帰ろうか……」

 その日は、朝まで飲み明かした。


 鬱鬱とした気分のなか、今日も今日とて試験勉強に図書館へ行く。周りを見るとカップルカップルカップル。心なしかいつもより多い感じがする。

「西木君、おはよう。相変わらず隈がひどいね」

「ああ……」

「まったく、いつまでもそうやってへこんで……ほら、これ」

「何……?」

「常温保存可能な憐憫、かな」

「なんだ、それ……」

「や、ほんとは瑞樹さんに貰いたかったと思うけど、あまりにも哀れだからサ」

 そうか、今日はバレンタインデー……

「……」

「おいおい、どうし……うわ!」

「ありがとう……ありがとう……俺が本当に頼れるのは内藤君、君だけだ」

「急に抱き着いてくるやつがあるか!気色悪いな。恋愛が人をダメにするってのはどうも本当らしいね。以前よりさらにキショくなっているよ」

「なんとでも言うがいいさ」

「はぁ……びっくりした」

「……今回はダメだったが!また次がある!……筈だ!そのときはまた、よろしく頼むよ」

「はは、お安い御用さ。……(まぁ、ちょっと胸がなくて声が低くて髪が短いからって、男だと判断してるうちは、まだ先は長いと思うけどね)……」

「何か言ったか?」

「いや、君が瑞樹さんとくっついて僕が一人ぼっちにならなくてよかったな、ってね」

「またそんな皮肉を」

「本心さ」

「あっそ」

 今日は、太陽の降り注ぐ、少し暖かい日だった。常温保存可能な憐憫は、ゆっくりと溶けていった



常温保存不可能やんけ。つまり、そういうことです

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